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大切な人のために、私が出来る一番のこと 上

 息を切らし、通路を駆ける。前だけを見て、ただひたすらに。


 今の自分に出来ることはダナンの指示に従い、逃げることだけだった。機械の唸りに息を潜め、遠ざかる殺気に安堵の息を漏らす。拳銃の引き金に指を掛けたままゴーグルに映る情報を辿るステラは、湿ったガスマスクのフィルターを交換する。


 「ステラちゃん」


 「……なによ」


 「大丈夫?」


 「……大丈夫よ、気にしないで」


 「けど、息が」


 「大丈夫だって言ってるでしょ……ッ!」


 サテラの声に苛立ちを覚え、これではいけないと頭を振るう。通路を徘徊する機械体に見つかってしまえばそれで終わり。連中の装甲を貫ける武器も無ければ、ダナンのように鋼の血管を断つ技術も無い自分は単なる弱者であり、強者の生餌に過ぎないのだ。万が一……否、億分の一の勝機が見えたとしても、そんなリスクを取ることは出来ない。


 「……」


 喉が乾き、目の奥が痛くなる。


 「……ッ」


 ストレスか疲労の蓄積か……肩に掛けていた荷物がヤケに重く感じた。全身の筋肉が緊張のせいで凝り固まり、無駄な力が入ってしまう。


 無頼漢の機械体と戦ったところで死ぬのは自分の方だ。ダナンのような戦闘技術も無ければ、リルスのように情報機器を巧みに操る術も無い。イブのように未知の兵装も持っていなければ、仲間達が持つ突出した能力が無い自分は劣った人間に違いない。


 逃げて、逃げて、目的地に到着して。商業区に着いた後はどうしたらいい? この戦場から脱出した後、どうやったらステラ達を中層街へ戻すことが出来る? 何度頭を捻ろうが、思考を回そうが、仕事と呼ばれる行為を初めて経験したステラは正しい解を導き出すことは出来なかった。

 『情報媒体と接続完了……ステラ、逃走経路を指示します。私に従って下さい』


 「誰ッ!?」


 「ステラちゃん、どうしたの?」


 「声が、アタシの耳に」


 『焦らず落ち着いて聞いて下さい。私の名はネフティス。ダナンのルミナに組み込まれている戦闘支援AIです。ダナンの指示により、貴女の行動を支援させて頂きます』


 抑揚の無い女の声。ステラの鼓膜に直接語り掛けてきたネフティスと名乗る存在は、彼女が身に付けているゴーグルにマップとナビを表示する。


 『百メートル直進後、曲がり角を右へ。通路の最奥に位置する扉の先が商業区倉庫街です』


 「……」


 信じるべきか否か。深呼吸を繰り返し、視界に映った矢印を見据えたステラは「アンタがダナンの仲間なら……姿を見せて。そうじゃないと……信用できない」と、呟く。


 『合理的な判断基準とは言い難い発言です』


 「けど」


 『ですが、貴女の身体及び精神的年齢を鑑みれば妥当な発言とも捉えられます。少々お待ちください』


 ゴーグルの端に赤い髪を伸ばす少女が現れ、微笑を浮かべると小首を傾げ『これで宜しいでしょうか? ステラ』柔らかい声でステラの鼓膜を撫でたネフティスには、微かな感情が乗っていた。


 「……ありがと、ネフティス」


 『時間は有限です。至急行動を開始して下さい』


 「うん」


 同い年に見えるネフティスの仮想体に頷き返したステラは、後方に立つ少年少女達へ合図を送り、足を進める。キラキラと舞う埃を突っ切り、曲がり角を抜けた先に見える扉へ真っ直ぐ走る。


 「サテラ」


 「何?」


 「アンタ、中層街への戻り方知ってる?」


 「一応ね。市民IDと認証コードがあればゲートで上に戻ることは出来るわ」


 生きていればの話だけど……サテラの声を聞き流したステラは扉のノブを握り、少しだけ拓く。その瞬間、脳を揺さぶる振動と爆撃による業火が扉の隙間から入り込み、少女のグローブを焼いた。


 「ッ!!」


 「ステラちゃん!?」


 何だ? 何が起こった? 黒ずんだグローブを撫でたステラの目に飛び込んで来た光景は、引き剥がされる扉と真紅の機械眼に殺意を滾らせる機械体。


 「交代の時間に来ないと思ったら何だ? まさかこんな餓鬼に全員殺られたのか?」


 蒸気を噴き出しながら通路に踏み込んだ機械体はステラの頭を鷲掴みにすると壁へ叩き付け、傷だらけの少年へライフルの銃口を向けながら、


 「頭にどう説明させる気だ? 稼ぎの良い仕事を見つけて、暫くは遊んで暮らせると思っていた俺の気分をどうしてくれる。なぁ餓鬼ども……お前等はどうしたい?」


 「どうしたいって」


 銃声が鳴り響き、少年の頭が破裂する。砕けた頭蓋が辺りに飛び散り、脳漿の欠片がサテラの頬に張り付き、ゆっくりと垂れ落ちた。


 「質問してるのはこっちだ。テメエ等はハイかイエスの選択肢しか無いんだよ餓鬼。牢に戻るか、此処で死ぬか……選べよ餓鬼ども!!」


 轟く怒号にその場に居る全員が硬直する。ようやく見えた光が闇に飲み込まれる感覚を抱く者、蜘蛛の糸を途中で切られた錯覚を覚えた者、力無くへたり込み頭を撃ち抜かれる者……越えられない絶望と対峙した時、人間は思考を放棄し乾いた笑いを発するのだ。諦念に囚われたように、ケタケタと。


 だが、心を蝕む絶望に抗う者は強者に分類される人間だ。肉体的に弱くとも、生身の身体では機械体に勝てないと理解していても立ち向かう者は精神的強者に違いない。必死に手足を振るい、狙いを定めようとしていたステラから拳銃を奪い取ったサテラは銃口を機械体の眉間に合わせ、引き金に指を掛ける。


 「何だ? そんな玩具で俺を殺そうってのか?」


 「サテラちゃんから手を離してッ!!」


 「馬鹿言うんじゃねぇ……殺しはしねぇよ。手足を捥いで達磨にするだけだ。肉欲の坩堝に売れるぜ? ただの便所としてな」


 再び銃声が鳴り響き、銃弾が天井に突き刺さる。細かな破片がパラパラと地面に降り注ぎ、軽く口笛を噴いた機械体は面白いと云った風でサテラへ視線を向けた。


 「下手な鉄砲数うちゃ当たるっていうが……おいおいもっと狙いを定めろよ。そんなんじゃ俺は、機械体を殺せないぜ? ほら撃てよ。早く撃てよ」


 「ッ!!」


 銃など一度も撃ったことが無かった。それでも抵抗の意を示す為には引き金を引くしか方法は無い。連続して響き渡る銃声と鋼に弾かれる弾丸と……火花を散らし、重々しい駆動音を唸らせながらサテラの手から拳銃を奪い取った機械体は、銃を片手で紙屑のように軽々と丸め、ポイと投げ捨てる。


 「おい女」


 「な、何よッ!!」


 「お前が無頼漢に入るなら全員見逃してやってもいいぜ? お坊ちゃまお嬢様の群れの中じゃお前が一番面白い」


 「そんなの」


 「駄目ッ!!」


 「……」


 「無頼漢は、下層街は駄目ッ!! アンタが、サテラが人間として生きたいなら、絶対にその誘いに乗っちゃ駄目!! どんな時でも、絶対に」


 「黙れよ、餓鬼」


 力を込めた機械体の手がステラの頭蓋を胡桃割り人形のように握り潰そうとしていた。悲鳴と嗚咽が通路に木霊し、逡巡したサテラは小さく頷くと、


 「貴方達の仲間になれば、全員見逃してくれるのよね?」


 「あぁ」


 「なら、私は」


 仲間になる。その言葉を発しようとした瞬間、銀の閃光が機械体の腕を断つ。


 「その汚い手をステラから離してくれない? 機械体」


 白銀の髪を靡かせ、六枚の銀翼を羽ばたかせたイブが冷めた視線を機械体へ投げつけ、首を落とすと両腕にステラを抱く。


 「い、イブ、どうして、此処に」


 「少し個人的な用事があっただけよ。ダナンは何処?」


 「ダナンは……」


 「あぁ大丈夫、場所は分かったわ。けど……」


 「けど?」


 「頑張ったじゃないステラ。後は私に任せなさい」


 柔らかい笑みを浮かべたイブは、二枚の銀翼を切り離し通路の奥からルミナの反応を感じ取るのだった。


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