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大切な人のために、私が出来る一番のこと 下

 銀の羽根が仄暗い通路に舞い、白銀の煌めきを放つ銀翼が空を裂いて広がった。


 人形以上に整った綺麗な顔立ちと七色の瞳。凛とした雰囲気を纏いながらも、炎々と燃え続ける憤怒を胸に滾らせるイブは腕に抱いていたステラを地面に下ろし、二枚の銀翼を少女の周りに浮かばせる。


 「イブ……そっちの仕事は、もういいの?」


 「色々と面倒事があったけど、リルスが最後の纏めに入ってる。問題無しと言っておこうかしら」


 「……」


 「言いたい事があるならハッキリ言いなさいステラ。エスパーじゃないの、黙っていられても困るのよ」


 聞きたい事が無いと言えば嘘になる。何故己のピンチにタイミング良く駆けつけてくれたのか、何をそんなに怒っているのか、個人的な用事とは仕事よりも大切な事なのか……。口を噤み、指先を忙しなく動かしたステラはイブの瞳をジッと見据える。


 「……イブ」


 「なに?」


 「ダナンは……大丈夫なの?」


 「大丈夫とは言い難いわね」


 「どうして?」


 「彼の手に余る敵が居て、ソイツは私が殺さなきゃならないから」


 「ダナンの手に余る敵って?」


 「言葉通りの意味よ。彼には私が必要だし、生き延びる為には私の手が必要なの。これで満足?」


 急いでいるような、苛立ちを抑えきれていないような、イブにしては余裕が無い反応。何時もの彼女なら皮肉の一つでも言って此方の反応を窺ったり、端的に話を進めて絶妙な位置で切り上げる筈。一秒経つ毎にイブの眉間に少しずつ皺が寄り、切れ長の瞳がスッと細くなる様子から、ステラは言葉を自然と喉の奥に引っ込めてしまう。


 どうしようもないのは多分己の方なのだ。真意に触れることを恐れ、僅かな感情の揺らめきに一歩退いてしまう己は臆病者と言っても過言ではない。イブとの会話を此処で断ち、ダナンの指示に従って逃げ出せば己に与えられた役割は完遂出来たと云えよう。


 だが、本当にそれでいいのだろうか? 逃げ出した後、どんな顔で仲間に会えばいい? 大変だったねと安い言葉を口にして、事情も何もかもを知らずに安穏と過ごせばいいのか? 違う……仲間であるのならば、家族として生きたいのならば、彼女達の重荷を少しでも背負うべきだ。


 一歩、また一歩と通路の奥へ足を進めるイブの手を掴んだステラは「待って!」と叫び、怒りに濡れるイブの双眼を見つめる。


 「まだ何か用があるの?」


 「……絶対に」


 「……」


 「絶対に、生きて帰って来て。ダナンと一緒に……お願いイブ」


 「どうかしら」


 「……」


 「私は奴等に一度も勝てた事が無いし、これから戦う相手はダナンも一度敗北している存在よ。状況が変わっても勝機は薄いし、勝てるかどうかも怪しいところなの」


 「なら私も!」


 「邪魔よ」


 「……」


 「……あんまり言いたくないんだけどね、貴女一人加わったところで足枷が一つ増えるだけよなのよステラ。一つ聞くけど、貴女は銃弾の雨を耐えることが出来る?」


 「それは……」


 「レーザー兵器の直撃を食らっても生きていられる? 切り刻まれてバラバラにされても狂わずにいられる? 体内を蒸し焼きにされても死なないの? いい? 私とダナンがこれから戦う相手はそういう敵なの。正気でいられる保証なんか何処にも無くて、狂気に流されるワケにもいかなくて……。貴女のような子供を連れて行ける筈が無いじゃない……ねぇ? ステラ」


 ごねる子供を優しく諭すように言葉を紡いだイブはそっとステラの手を剥がし、小さな溜息を吐く。


 「私と貴女じゃ戦う場所が違う……そうでしょう? ダナンの戦場が殺し合いの場なら、リルスは情報戦と交渉の場が戦場。私もダナンと同じような立ち位置に居るけど、あの二人と比べたらもっと遠くの場所に立ってるのよ。ステラ、貴女の戦場は何処? 教えて」


 「……分かんないよ」


 「えぇ普通はそれが正しい反応だと思うわ。ダナンは生きたいから、死にたくないから戦ってる。リルスは多分自分とダナンの為に動いている。アタシも自分の目的を果たす為に戦ってるし、貴方達と一緒に居るのも脇道に逸れてるだけ……。貴女のような子供は戦場に立つべきじゃないのよ? 本当は」


 「……」


 「……厭ね年を取るって。ステラ、貴女は貴女のやるべき事を成しなさい。貴女が立つ場所が本当に自分が生きるべき場所なのか、守るに値するのか、戦場に立つにはそれからでも遅くない。どうせ……私達は今と違う方向に歩き出すんだから」


 「……違うよ」


 「……」


 「アタシは、それは、違うと思うッ!!」


 ゴーグルに涙が溜まり、ガスマスクから嗚咽が漏れる。


 家族が居なければ仲間も居なかった。死と絶望が蔓延する下層街ではそんな幻想を抱くことも我が儘に過ぎず、手が届かない願いの一片だった。


 何時死ぬか分からず、生きていることが奇跡に近い環境。何時も誰かが無惨に朽ち、血達磨となって横たわる路地裏が少女の全て。生ゴミを漁り、腐敗した食べ物を口に入れ、飢えを凌ぐ日々が下層街に生きる弱者の世界だった。


 家族という未知の温かさに憧れた。


 心を許し合える仲間が欲しい。


 これからを……明日を共に歩ける誰かを切望し、思わぬ幸運で転がり込んできた今の家族を手離したくない。

 「イブ……違う方を向いて歩いても、また戻って来れると思うんだアタシは」


 「……」


 「今のアタシは本当に足手纏いで弱くて、どうしようも無いと思うけど、皆が何処かに行っても帰って来られる目印になるからッ! 偽物の家族でも、アタシにとっては、本当の家族だから……そんな事、言わないでよッ!!」


 「……家族、ね」


 あぁ……と、イブが小さく頷き顎に考え込むように指を当てる。


 「ステラ」


 「……なに? イブ」


 「貴女、少し私の妹と似てるわね」


 「妹が居るの?」


 「昔の話よ、随分と昔……貴女が生まれるずっと前のこと。それについては余り聞かないで貰えると助かるわ。けど……」


 「……」


 「偽りの家族でも、本当の家族に成れる。良い言葉じゃない、綺麗な言葉ね……えぇ」


 遠い昔を思い出すように、懐かしい過去に思いを馳せるように、穏やかな微笑みを浮かべたイブはステラの頭を撫で、


 「ステラ、約束して欲しいことがあるの。いい?」


 「……うん」


 「もし私が何処かに行っても、ダナンとリルスが居なくなったとしても、絶対に諦めちゃだめよ? 何を諦めちゃ駄目って云ったら、それは自分で見つけ出して。私達の居場所になってくれるのなら、何度倒れても立ち上がるの。約束出来る? ステラ」


 「……なら」


 「えぇ」


 「アタシからも、約束して欲しいことがある」


 「聞かせて、ステラ」


 「……大切な人のために、イブが出来る一番のことをして。今のアタシが出来ることは限られているけど、イブならもっと沢山のことが出来る筈だから……。お願いイブ、約束してくれる?」


 「……何だか」


 「……」


 「下から出てみれば色々と約束を交わしてるわね私も。けど、いいわよステラ。今の私には大切な人なんか居ないけど、大切にしている事はある。だから約束よステラ……私達二人のね」


 「……うん!」


 小指を差し出したイブと不思議な顔をするステラ。少女の小指に自分の指を絡ませ「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます、指切った」と口ずさむ。


 「えっと、これは?」


 「古いおまじないよ。ある意味契約の口約束ね」


 「……覚えとく」


 「覚えておいて損は無いわ。ステラ、後の事は頼むわね」


 「任せて、イブ」


 そう短く言葉を交わし、通路の奥へ進むイブを見送ったステラは少年少女達へ「行くよ皆!」と叫び、歩を進めた。


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