五臓六腑に響く衝撃と、勢い良く射出された鎖付き摘出杭。手元のレバーを力一杯引き、重々しい音と共に黒焦げになった撃ち殻薬莢を排出したエデスは、喉奥から込み上げてくる熱い液に激しく咽る。
鉄錆の臭いが口いっぱいに広がり、鮮やかな赤が強い粘り気を帯びて垂れ落ちた。射出型摘出機の発射時衝撃は万全状態の戦闘装甲服であっても骨が軋む程に重く、継戦機能にシステムの大半を割いていたエデスの装甲服では射出機の衝撃を緩和することは不可能。肋骨が圧し折れる感覚に呻いたエデスは霞む視界にエーイーリーを捉え、僅かにズレた照準に舌打ちする。
失血による視界不良と脱水症状、指先が強張り震える筋異常、吐き気を伴う頭痛……。片腕を無くした状態で正気を保ち、冷静さを装うエデスの奮戦は狂気とも云える常人の極地。頬を焼く炎に目を細め、巻取りボタンを指先で押したエデスは薬莢箱に並ぶ真鍮薬莢を摘出機に装填すると射出レバーを引く。
残された時間は多くない。真紅の装甲に身を包み、驚異的な力でエーイーリーを圧倒するダナンと白銀の装甲を纏うイブ。二人が全身全霊を以て巨獣の足止めをしている故にこうして己は射撃だけに集中することが出来る。二人の戦いを無駄にするな、稼いだ時間を無意味に浪費するな、一秒一秒に己の命を賭けろ。
荒い息を吐き、濃い血の匂いを嗅ぎ取り照準器を覗き込む。溶けたHHPCを捨て、自動ターゲッティング・システムを切ったエデスは金属調整弁を操作する。
「……ッ」
手が足りない。幾らエーイーリーの動きが鈍くとも、手動操作に移行した状態で引き金を引くことは出来やしない。
キリキリと右に左に回る調整弁と極度の緊張で震える手指。徐々に失われてゆく血液が彼の体温を奪い、炎の熱だけを認識させる。
二度目の失敗は許されない。一度目は運良く心臓付近に杭が刺さっただけ。奴を殺すには心臓を摘出する他術は無い。だが……この状態で、片腕を失った常人に正確な射撃が出来るのだろうか? 熱狂的な戦闘を繰り広げるダナンとイブのように己は成れない。硬い皮膚と柔い肉しか持たない人間が……限界を超えて死地を超えるには、命を失う覚悟が必要だ。
死……その言葉を呟いたエデスの胸に仄暗い恐怖が生まれ、恐怖は影となり死の人型を顕現させる。黒いボロ切れを身に纏い、髑髏を模した仮面で素顔を隠した人型は大振りの鎌をそっとエデスの首元に当て、決死の覚悟が真の願いか否かを嘯いた。
此処で逃げても誰もお前を責めやしない。仕方なかったと言っても許される。
それはそれで、これはこれ。他人の命よりも先ずは自分の命……そうだろう?
カタカタと白い顎が震え、命の行く末を見届ける死神が笑う。愉快だと、面白いと、自己犠牲など偽善が織り成す自己満足だと、愉悦に浸る。
確かにそうだと頷きそうになった。他人の為に戦うなんて行為は命あっての物種で、死ねば全て終わる綺麗な意思。兵士として戦い、大勢の命を奪った己がそんな大層な言葉を吐ける筈が無い。死神の言う通り……逃げて仕方なかったと話せば全て丸く収まる筈。
「……馬鹿か、俺は」
今逃げてどうするつもりだ。一生後悔したまま生きるなんて自分自身が許せない。逡巡も思考も関係無い……絶望した心が発する声に耳を傾ける暇があるのなら、成すべきことをしろ。後悔も悔恨も……事が終わった後に何度でも出来るのだから。
だが、射出機を発射出来る回数は戦闘装甲服の状態から後一回。もしこれが失敗したら後が無い現実はエデス自身が誰よりも理解していた故に、引き金に掛けた指が迷いを覚えタイミングを見計らう。今撃つげきか、絶好の機会を待つべきかを。
「―――長」
冷静になれ、息を整えろ。
「―――課長」
集中しろ、全神経を眼に集めて、
「課長!!」
「ッ!?」
危うく引き金を引きそうになったエデスと、調整弁に触れる煤けたタクティカル・グローブ。焼け焦げた戦闘装甲服を纏い、溶けて歪な形をしたフルフェイㇲ・ヘルメットで頭を覆ったディアナが彼の双眼を覗き込む。
「ウルフ5、お前」
「課長」
「逃げろ、先に逃げて部隊に伝えろ。中層街治安維持軍本体に」
「指示を」
「……馬鹿なことを考えるな、お前は」
「私は下層街ゲート管理局、エデス課長の部下ですッ!! 指示を下さい、貴男に必要なことを!! 私に出来ることを!!」
ディアナの鬼気迫る声に気圧される。
「エデス課長……今此処で戦っている人間は貴男一人だけじゃないんです」
「……」
「出来ないことがあったなら、足りない部分があるのなら、指示を下さい。多分……今の貴男よりは私の方が上手く動けます。だから……お願いします課長。私は何をしたらいいんですか? 貴男の為に、みんなの為に」
初めての戦場で地獄を歩いた彼女は既に歴戦の兵士の風格を漂わせ、炎を噴射する巨獣を睨む瞳に新兵としての迷いは見えなかった。自身のHHPCを射出機に接続し、自動ターゲッティング・システムを起動したディアナは射手の役割りをエデスから半ば強引に奪い、引き金を半分引く。
「……ウルフ5」
「はい」
「あの黒い心臓が見えるか?」
「見えます」
「射出機の杭をあの心臓に突き刺して引っこ抜け。後は彼等がやってくれる筈だ。……出来るな?」
「了解」
銃身が自動でエーイーリーの心臓に向けられる。装填されていた薬莢がガチャンとレバーの動きに合わせてチャンバー内へ落ちる。
「三秒後に撃て」
「……」
「三、二、一……。撃てッ!!」
倉庫内に轟く炸裂音と真っ直ぐ撃ち放たれた摘出杭。熱波を切り裂き、炎を貫きながらエーイーリーへ向かう杭を見つめていたエデスは、杭の異変に気づき血相を変える。
「ウルフ5!! 巻取り装置を起動しろ!!」
「ッ!!」
当初の計画では摘出杭をエーイーリーの心臓へ撃ち込み、引き抜く筈だった。しかし、敵の炎は時間が経つにつれ加速度的に勢いを増し、熱波もまた鉄をも溶かす威力となっていた。
溶け落ちる鋼鉄杭と煤と化す鎖、一度目の直撃が奇跡の産物ならば、二度目の射撃は現実の直視。超高温の熱波を放出し、荒れ狂う炎を操るエーイーリーは己が心臓を狙う杭へ優先的に熱を加え、致命の一撃を無に帰す。
咄嗟に替えの摘出杭を引っ張り出し、ディアナへ投げ渡す。弾薬の予備は十分にあるが彼女の戦闘装甲服もエデスと同じで限界に近い状態だ。いや、それよりも今危機的状況にあるのは自分達で、エーイーリーの殺意が生を塗り潰すのも時間の問題。
「ディアナ!!」
ディアナへ飛びかかり、炎の渦を潜り抜けたエデスの背が焼ける。激痛に声よりも神経が先に反応し、ゲロを吐いた男の耳に「成功です、課長ッ!!」信じ難い報告が木霊した。
「……」溶けた杭の代わりに美しい銀翼が取り付けられ、射出機が自動的に鎖を巻き取っていた「……あぁ」抜き取られた心臓をダナンの刃が滅茶苦茶に切り刻み、木っ端微塵に粉砕すると最後はブラスターの熱線で灼かれ、跡形も無く消え去った。
「エデス!! 無事か!?」
装甲が砕けたダナンがエデスに駆け寄り、途中で力尽きるように頭から倒れていた。
「エデス!! 返事を」
「少し休みなさいダナン、まだ終わっちゃいないわ」
「終わっちゃいないって、心臓は殺した筈だぞイブ!!」
エデスの傷を銀翼の超精密医療機器で治療していたイブがエーイーリーを睨み、舌打ちする。
「……カナン、貴女は一体何をしたの?」
『エーイーリー鎮圧……訂正、再起動。自壊シークエンス実行。劣化ルミナ・エーイーリー、警戒、鎮圧及び殲滅行動を推奨します』
心臓が存在していた部分に巨大な目を開いたエーイーリーは、吠え狂いながら肉体を自らの意思で自他諸共崩壊させようとしていた。