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2i,Iweleth・Deterioratus Lumina 上


 一歩巨獣が歩を進める。大地を震わせる轟音と崩れる身体。黒ずんだ皮膚片が火に入る夏の虫のように燃え、胸に開いた目玉を火種に全身に火の粉を散らすエーイーリーは茶けた複眼にダナンを映し、歓喜と憤怒が入り混じった声で吠え狂う。


 暴走から崩壊へ至り、消滅に帰す。劣化ルミナという劇毒に耐えられなかった生物が辿る運命は一つだけ……それは自己完結型生命体として種の終焉を迎え、組み込まれた生物を自身の崩壊システムに適用させること。崩壊システムの適用とは即ち劣化ルミナ・エーイーリーを構成するナノマシン群の活動終了であり、非活性期へ移行する強制初期化プロセスである。


 「……」


 銀翼を広げたイブが殺意を滾らせ、ナノマシンの制御システムを人為的に書き換えられた巨獣を睨む。


 元々の……2i,Iwelethの運用方法は極限戦闘下での電子情報戦だ。短時間短期間の電撃戦に挑み、不可能と判断された作戦を成功へ導く為の死装束、死を恐れず命を散らす者への鎮魂歌……。劣化ルミナ・エーイーリーを細胞に組み込まれた兵士は皆作戦終了と同時に死へ至り、自動人体廃棄機構によって細胞一つ残す事無く消滅する。


 崩壊期を迎えたにも関わらず、活動停止に陥らないシステム異常。肉体が崩れ、死へ近づいているのに消滅しないプロセス異常。在り得ないと呟くも、目の前で起きている現実がイブの思考を否定する。


 「イブッ!!」


 「……」


 地べたを這いずっていたダナンが声を荒げ、巨獣の目玉へ機械腕を向ける。


 「奴を、アイツはどうやったら殺せる!? 心臓は」


 「……少し待って」


 足をガクガクと震わせながら立ち上がったダナンがへレスを握り、頬に張り付いた火の粉を拭う。


 指示を仰ぎ、答えを待つ時間さえ惜しい。今こうして思考を巡らせるイブの言葉を待つよりも、戦うべきだ。脅威を排除する為に戦え。己も満身創痍だが、エーイーリーもまた身体を崩しながら死へ進んでいる。時間を稼ぐべきか、命を削って敵を殺すべきか……何を悩む必要がある? 答えは到の昔に決まっている筈だ。

 「エデス、それと女」


 「ダナン、俺達は」


 「逃げろ」


 「……」


 「応急処置は終わったな? なら、逃げろ。後は俺達が何とかする」


 「勝算はあるのか?」


 「……分からん。けど、やるべき事は一つだ。エーイーリーを……あの狂った獣を殺す。アレはこの世界に居ちゃいけない存在だ。だから殺す。塵一つ残さずに消し去ってやる」


 「出来るのか?」


 「……出来るなら、やるべきだ」


 身体を引き摺り、機械腕に内蔵されている小型波動砲を展開したダナンはイブへ視線を送り「やれるか? イブ」と呟いた。


 「……ダナン」


 「……」


 「貴男は奴の事を知ってるの?」


 「知らん」


 「一度退くのも一つの手よ」


 「退けない」


 「……以前の貴男なら自分の命を優先する筈よね? なに? 心変わりでもした?」


 「さっきも言ったが……倉庫の外にはステラが居るんだ。商業区にはリルスが居て、俺の後ろにはエデスが居る。立てる奴が前に出なきゃ、歩ける奴が立ち向かわなきゃ……守りたい奴さえ守れない。俺が血を流すだけで救えるのなら、戦うべきだ。そうだろ? イブ」


 荒削りな意思と玲瓏なる闘志に燃える黒い瞳。コード・オニムスのバックファイアに体力を奪われ、精神的にも苦しい筈なのに戦う決意を固めたダナンに何を言える。ふらつき、歩く事さえ精一杯。何度もへレスを取り落としそうになるダナンの隣に立ったイブは「勝算はあるわ。可能性は零に近いけど」細い指を地面へ向ける。

 「……近いだけなら上々だ。話してくれ、イブ」


 「ネフティス」


 『御用でしょうか? 管理者イブ』


 「知恵の果実は何処?」


 『検索完了。知恵の果実、クリファ抑制管理機構は箱舟下層にて稼働中」


 「此処の真下で合ってるわね?」


 『肯定。知恵の果実のアクセス権は管理者カナン及びNPCにあります。貴女がアクセス出来る範囲は劣化ルミナの情報閲覧に限られております』


 「……知恵の果実へのアクセスが必要なの。貴方が仲介して」


 『しかし、NPCと共に行動するのであればアクセスは可能』


 「NPCが何処に居るのか、生きているのかサッパリ分からないのよ? 無理なら無理と言って」


 『NPCは既に貴女と出会い、行動を共にしております。ネームレスの想定範囲外の邂逅となりましたが、彼はルミナの蟲を管理者イブより譲渡され、計画の一端を担う存在です。これ以上の情報はProject EDENの段階が上がり次第開示されます。ご了承くださいませ』


 「待って、NPCはもう私に会ってるって? しかも行動を共にしてる? ルミナの蟲の譲渡はダナン以外に———」


 ハッと息を飲み、唇を震わせながらダナンを見つめたイブはまさかと息を呑む。


 「……ダナン、一つだけ、聞いてもいい?」


 「何だ」


 「NPCと、ネームレス、EDENって言葉に、聞き覚えがない?」


 「分からないが……何故か急かされるような気分になる」


 「イブとカナンを……私達を前から知ってるような気は?」


 「知らん」


 「ルミナの蟲と劣化ルミナ、この言葉に違和感は?」

 「……どうしたイブ、今そんなこと聞いてる場合じゃないだろ? 戦いに関係があるのか? エーイーリーを倒す為に必要なことなのか? 俺は」


 「答えてッ!!」


 少女の声に身を強張らせ、深い溜息を吐いたダナンは、


 「奴を殺さなきゃならない。それだけは理解しているが、ルミナの蟲……俺の心臓に蠢く存在はお前から話を聞くまで知らなかった。これで満足か?」


 どうしたものかと機械の手指を曲げる。


 確かに劣化ルミナやEDEN、NPCという単語に強い既視感と違和感を覚えることがあった。ホロ・アースを前にした時、カミシロと名乗った過去の科学者の映像を見た時、言い得ない懐かしさを感じると同時に忌避感を覚えた事もまた事実。


 何故彼女が此処まで執着するのか分からない。脅威を排除する為に必要な情報なのか、それともただ単に聞きたいから聞いているだけなのか……。僅かな苛立ちを感じると共に、ゆっくりと歩き出したダナンは己の手を掴むイブを睨む。


 「まだ何か聞きたいことがあるのか? どうでもいい事を」


 「ダナン」


 「……」


 「可能性は零に近いって言ったわよね? 訂正するわ、私と貴男なら絶対に勝てる。奴を、劣化ルミナ・エーイーリーを鎮圧することは可能よ」


 「理由は?」


 「貴男が生きていてくれたから」


 「……俺は死なない、絶対に」


 「そうね、貴男は死なないわ。私が絶対に死なせない。その……今まで色々あったけど、私の事……許してくれる?」


 「許すも何も……嫌いな奴の命を、どうでもいいと思ってる奴の命をわざわざ危険を冒して助けないだろ。俺は……嫌いじゃない。お前も、リルスも、ステラも……失いたくないんだ。多分……ずっと」


 「……ありがと。最後に一つだけ……貴男はダナン? それとも、NPC? どっち?」


 「本当に変な事を言うなお前は。俺はダナンだ、これからも、死ぬまでな」


 「……そうね、貴男はずっと自分のことをダナンって名乗ってたものね。えぇ、それで結構……十分よ。ならダナン、少しだけ痛いけど我慢してくれる?」


 「何を―——」


 ズン———と、ダナンの背に銀翼が突き刺さり、


 「イブ———? ッ!?」


 「私のルミナ……その半分を貴男にあげる。だから……勝ちましょう。絶対に生きて帰るの。私達の居場所へ」


 彼の身体へイブの持つルミナが注入された。


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