乾いた発砲音が薄暗い路地に鳴り響く。
グリップを握り締め、引き金を引いた少年は一列に並んだ空き缶を次々と撃ち抜き、空になったマガジンを抜くと新しいマガジンを差し込む。
この間僅か一秒。慣れた手付きでマガジン交換を終えた少年の瞳が空き缶から死肉を漁る野良犬を射抜き、銃身をスライドすると弾丸を薬室へ装填し、引き金を連続で引くと野良犬の胴体と頭を撃つ。
「ダナン、そこまでだ。銃をホルスターに戻せ」
低く枯れた声が少年……ダナンの鼓膜を叩く。煤けたコートを羽織り、機械腕の指関節に溜まった血滓を針金で穿り出していた老人がダナンの背後に立ち、肩を叩いた。
「……」
「慣れてきたな、初めて銃を撃った時と大違いじゃねぇか」
「……あれだけ人を殺してたら慣れるだろ? 普通」
「慣れるってそういう意味じゃねぇんだが……まぁいい、一服でもしようやダナン」
生温い缶コーヒーをダナンへ放り投げた老人は、腰を擦りながら彼の隣に座る。
「どうだ? 少しは今の生活に慣れたか?」
「……どうだか」
「どうだかって、答えられるのはお前しかいないんだぜ? どう思っているか、どう考えているかはお前自身なんだからよ。けど……悪くねぇだろ?」
「……うん」
路地裏で死体を漁り、敵の脅威に怯える日々を送っていたダナンからして見れば、今の生活は決して悪くない。戦い方を教わり、銃の手入れや撃ち方を身体に直接叩き込まれた少年は一端の遺跡発掘者と云っても差し支えないだろう。
「……爺さん」
「何だ? ダナン」
「……どうして俺を拾ってくれたんだ? 他人を助けてもアンタに何一つ得が無いのに」
「そりゃぁお前……大人が餓鬼を助けるのは当たり前だろ? 何を言ってやがる」
「……けど、そのせいでアンタは」
「あぁ、死んだ。優しさを見られたから、其処につけ込まれ、甘さを利用された。何だ、覚えてるじゃねぇか……ダナン」
呆れたように笑った老人は煙草を口に咥え、火を着ける。
「で」
「……」
「お前は何時まで此処で立ち止まって、餓鬼の頃の思い出に浸っているつもりだ?」
「別に俺は」
「手、見てみろよ。自分のな」
スッと視線を手元に下ろし、傷だらけの生身の手と鈍色の機械腕を視界に映す。
「……」戦って、生き延びて、傷ついて「……」殺し続けて、血に濡れて、乾いた血を指で擦り落として、引き金を引いて……。
「……俺は、アンタのようになりたかった」
「……」
「誰かを助けられるような人間に、強い人になりたかった。けど……俺じゃ駄目なんだ。傷つく前に殺して、助けることを諦めた人間に……憧れを抱く資格は無い。俺は結局何も変わらないで生きてきて、ずっと……後ろばかりを見て来たんだ」
後悔に濡れた人生と悔恨に歪んだ意思。復讐は何時しか八つ当たりに変わり、生き延びたいと云う意思は永遠の殺意へ変貌した。
「爺さん……アンタは多分、何も間違っちゃいなかったんだ。間違っていたのは俺の方で、俺自身がどうしたいのか分からないでいた……。責任は……全部俺にある。だから」
「死にたいのか? お前自身が」
「……」
深い溜息を紫煙と共に吐き、ダナンの背中を叩いた老人が「馬鹿か? お前は」と軽く笑う。
「お前が俺に成れる筈がねぇだろうよ。いや、お前だけじゃねぇ……皆他の誰かに成れるワケじゃねぇんだよダナン」
「……けど、俺は」
「恩義、恩情、憧れ、理想……自分だけの考えを持たない人間は憧憬の夕日を見る。遠く手が届かない夢だからこそやがて日は沈み、諦念の夜を迎え涙を流す。ダナン、お前の手にあるのは銃だけか? それとももっと別の……自分で手に入れた何かか?」
もう一度両手を見つめたダナンの目が涙で滲む。
過去へ戻る術は無い。もし進んだ秒針を巻き戻す方法があるのなら、老人が死んだあの日に戻ることを選択する。もしもう一度やり直す機会があるのなら、後悔の無い生き方を選びたい。回る短針と長針の隙間を掻い潜り、納得する結末を掴み取りたいと願う。
進んだ時間は巻き戻せない。己が年を取り、少年から青年へ成長してしまったように、時の流れとはかくも残酷で無慈悲なもの。だから……今の自分を、歩み続けてきた足を、痛みを覚えた両手を信じるしかない。
「……爺さん」
「あぁ」
「色々、あったんだ。アンタが死んでから、本当に、色々と」
「知ってるさ」
「昔と同じように遺跡に潜って、金を稼いでいた。それはアンタから教わった方法で、その他にも……仲間が出来たんだ」
「……あぁ」
「皮肉屋だけど情報関係の仕事が出来るリルス、俺を仲間と……仲間って呼んでくれるステラ、そして……遺跡で出会ったイブ。歓楽区で行動を共にしたグローリア、治安維持兵のエデス……。ずっと一人だと思っていたけどさ……最近になって俺の周りには人が居ることに気付いたんだ」
ゆっくりと立ち上がった少年……否、青年は煤けたコートを脱ぎ捨て、新しいコートに袖を通す。下りた前髪を両手で後ろに固め、オールバックにして。
「ダナン」
老人の指先が左右に揺れ、仄暗い闇に濡れた事務所と中層街へ向かう為のゲートを指差した。
「進むのか、戻るのか……お前はどうするつもりだ?」
「……進むさ」
「其処から先は辛い道程になるぞ?」
「大丈夫……俺は一人じゃない」
「お前の生き方を否定する人間も現れるぞ?」
「その時は俺を理解してくれる迄とことん付き合うつもりだ。人間みんな同じ思いを抱いている筈がない。昔教えてくれた言葉、なんだっけ……十人十色、そうだろ? 意見が分かれる時だってある。当たり前だ」
「……そうか」
なら、行って来い。老人に背中を押され、ネオンに満ちる表通りへ歩を進める。
「偶には振り返ってもいい。だが、決して立ち止まるんじゃないぞ?」
「……」
「お前は強くない。迷って、悩んで、苦しむ時もある」
次第に足は速くなり、呼吸が荒くなるのも構わず、その勢いのままネオンの光が揺れる通りへと走り出す。
「けどな……それはいずれお前の糧となり、力へと変わる。苦痛を恐れるな、苦悩から逃げるな、苦難に挫けるな。大丈夫……お前は転んでも立ち上がれるさ、なんせ俺の自慢の息子なんだからな」
地を蹴る足に白い線虫が纏わり付き、それは真紅の装甲へ変貌する。腕、胴体、首、顔……騎士甲冑を模した戦闘装甲に身を包み、背部ブースターから蒼い炎を噴き出したダナンはゲートの中へ突っ込む。
「爺さ―――」
「振り向くなッ!」
「ッ!!」
「そのまま真っ直ぐ自分の成すべきことをするんだ。ダナン、お前は進むことを選択した。戻るんじゃなく、未来へ目を向けた。なら……もう分かる筈だ。此処が何処で、何故俺と話をしていたか……そうだろ? ダナン」
「……あぁ」
「……頑張れよ?」
「……あぁ」
「自分に負けるな、世界に負けるな。立ち続けて、最後まで意地を張り通した奴が笑うんだ。だから……お前は笑え。自嘲でも、苦笑でもなく……一度だけ腹の底から笑ってみろ。笑えないなんて言うなよ? 誰だって……笑いたい時には笑う資格がある。勿論お前にもな」
「あぁッ!!」
重苦しい音を響かせながらゲートの扉が閉まる。その中で深呼吸を繰り返し、自分の為だけに笑ったダナンは果てしなく続く天井を見上げる。
「……ありがとう、爺さん。いや……親父」
眩いばかりの光に眼を細め、真っ白い手を握り締めた青年は再び意識を表層へ戻すのだった。