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君の為、誰の為 上

 「———ン」


 頭が割れるように痛かった。


 「———ナン」


 鼓膜に響くイブの声……指先をピクリと動かし、瞼を開けたダナンは喉の奥に指を突っ込み、溜まった血を吐き出すと大きく咽込みながら四つん這いになる。


 「ダナン! 無事!?」


 無事と云うには身体のあちこちが激痛を訴え、機械腕の神経接続部位が細い糸を通したようにキリキリと痛んでいた。拙い繰り手が操るマリオネットのような、片側の繰糸が切れたぎこちない動きで立ち上がったダナンは、揺れる視界にゲロを吐く。


 此処は何処だ———色鮮やかなランプが明滅する闇に包まれた空間。


 悪い夢……いや、良い夢を見ていたような気がする。懐かしい人と言葉を交わし、再び歩き出す幻想的で空虚な夢。


 儚く、脆く、触れれば崩れる夢の片鱗から意識を手放し、フワリと己の横に舞い降りたイブを視界に入れたダナンは「……イブ、俺は」と呟き、空間を震わせる重々しい音に体勢を崩す。


 「眠っていたのよ、貴男は。どう? 良い夢は見れた?」


 「……」


 「顔を顰めちゃって……悪い夢でも見たの?」


 「……良い、夢だったのかもしれない。イブ、お前は」


 血に濡れた白い手と煤けた銀翼。額から血を垂れ流し、口角に滲んだ火傷の痕を手の甲で拭ったイブの姿は何処からどう見ても戦いの真っ最中。闇を燃やし、一直線に進む炎を銀翼で防いだ少女は、火の粉を散らす巨獣……エーイーリーを七色の眼に映す。


 「気にしないで」


 「……」


 「私なら大丈夫よ。貴男程じゃないけど傷付くことに慣れているし、ルミナの補助もある。ダナン……大丈夫?」


 「……大丈夫だ、直ぐにまた戦え」


 「戦えそうに無いから聞いてるの。正直に言って……貴男自身の為に」


 グラグラと揺れる視界がイブの顔を二重に映し、気を抜けば直ぐにでも四肢は崩れ落ちてしまいそうだった。瘦せ我慢の空元気、滾る闘志とは裏腹に肉体は限界を訴え、精神との乖離も甚だしい。ダナンの体内に存在するルミナが如何に彼の傷を修復しようとも、蓄積されたダメージは時間と共に皮膚の下に浮かび上がり、少しずつ血を滲ませる。


 満身創痍だった。もう戦わなくてもいいと優しく抱き締められ、頭を撫でられたりでもしたら彼の意識は再び闇へ引き摺り込まれてしまうだろう。沸騰する程に熱くなってしまった血が冷静さを取り戻し、限界まで上昇した血圧もまた平時の状態に戻ってしまう。自分の身体のことは自分が一番知っている……早鐘を打つように脈動する心臓を、痛む胸を握り締めたダナンはゆっくりと首を横に振る。


 「……大丈夫じゃないのは、お前の方だろ? イブ」


 「……」


 「良い夢を見たんだ、死んだ爺さんと会って話をする……そんな夢。イブ、俺達は一人だったのか?」


 「……今まではそうね」


 「あぁ、今まではそうだ。けど、今は昔で、昔は過去……。俺とこうして話をしているお前は……それでも一人だと思うのか? 俺は……そう思わない」


 傷付いた少女の前に立ち、迸る炎に顔を朱色に染めたダナンが機械腕を生身の手で握る。


 「イブ、お前は……俺達はもう一人じゃない。お前の横に俺が立っているように、俺がお前の横に立っているように……一人だけで戦っているワケじゃないんだ。だから……もう下らない意地を張るのは止そう。自分だけの意地じゃなくて、もっと大きな何かに意地を張ろう。そうだろ? イブ」


 彼女の孤独を知る術は無い。自分と彼女は違う人間で、全く別の人生を歩んで来た他人なのだから。


 彼女の痛みを己は知らない。彼女がどれだけ傷付き、自分の求める何かの為に戦ってきたのかなど、他人であるダナンには量り得ないことなのだから。


 だが……その痛みと孤独を分かち合えるのはやはり他人だけなのだ。彼女を知ることも、瞳の奥に見える悲しみを拭えることも、自分にしか出来ない特別なこと。柔らかな笑みを浮かべ、奥歯を噛み締めたダナンは「コード・オニムス……起動ッ!!」真紅の装甲を身に纏い、刀剣へレスを抜く。


 『コード・オニムスの起動を確認。活動限界時間計測……380秒。各種武装展開。戦闘補助システム起動。戦闘支援AI・ネフティス、ルミナ保持者NPC……訂正。ダナンの戦闘をサポートします』


 脳に響く無機質な声に頷き返し、炎をへレスで断ち斬ったダナンが背部ブースターを噴かす。


 業火に眩む視界と装甲を焼く炎の渦。チラチラと舞う火の粉に含まれる不可逆性ハッキング・ナノマシンがルミナの調律を狂わせる。ノイズが奔る視界に大口径ブラスター・ライフルの狙いがブレ、ターゲッティング・システムがエラーを吐く。


 近接戦闘に挑む可能性を視野に入れる。へレスの光波が届く位置まで近づき、エーイーリーの首を叩き落とす方法を模索する。しかし、この炎の中では近づくことも困難で、遠距離戦闘に切り替えようとしてもライフルの銃口が定まらない。


 「……一人じゃない、か」


 意を決したように頷き、四枚の銀翼を広げたイブがダナンの背に銀翼の一枚を突き刺し、システム系統の補助を行うと、銀の盾を展開する。


 「イブ———ッ!!」


 「ダナン! 一度しか言わないわ! アレを見てッ!」


 紅蓮の業火が少女を襲い、白い肌に赤の牙を突き立てる。


 「イブッ!!」


 荒れ狂う炎の中、少女が指差した方向に在る機械の大樹。轟々とした音を響かせ、点灯と消灯を規則正しく繰り返すランプを果実にした鋼の枝葉。


 『クリファ抑制管理機構健在。ダナン、劣化ルミナ・エーイーリーの鎮圧及び殲滅、手動管理を希望するならば知恵の果実との接続を推奨します』


 「知恵の——果実だとッ!?」


 『貴男に問います。生きたいですか? 死にたいですか? 選んで下さい……ダナン』


 迷っている暇は無い。選び取る時間は火の粉が舞い散る数瞬のみ。一瞬でイブと大樹を交互に見つめ、ブースターから蒼い炎を噴出させたダナンは叫ぶ。


 「生きたいとか死にたいとか———そんなんじゃねぇだろッ!!」


 『……』


 「俺一人で生き残るだけじゃ意味が無いんだよ!! 俺の見える範囲で、この手で救える仲間が居たら無理も承知で助けるんだよッ!! 違うかネフティス!? いいや、違わない!!」


 『それが貴男の選択ですか? ダナン』


 「あぁッ!!」


 『……苦難に挫けず、苦痛に歪み、苦悩に慟哭する。苦しみは常に貴男と共にあり、それは恋人のように寄り添い続けるでしょう。歩み続ける生が苦難であるように、戦いがもたらす苦しみが苦痛であるように、混迷とした霧に包まれる命が苦悩に咽び泣くように……。それが人間と云うものでしょう、ダナン』


 体内を駆け巡る血が沸き立ち燃える。


 『故に、人が人らしく生きる為には……それらに抗う覚悟が必要なのです。覚悟は心を固め、決意の源泉。ダナン……ルミナの融合段階引き上げの準備が整いました。調律及び調整を開始します』


 ダナンの心臓に蠢くルミナが、母の胎内で胎動する胎児のように鼓動を響かせ、細胞を構成する遺伝子情報を書き換える。


 戦う為には力が必要だ。圧倒的な力は不条理を捩じ伏せ、理不尽を踏み躙る暴力と化す。しかし、力があるだけでは生きられない。弱者を虐げる力はいずれ圧政者の首を締め、その者を破滅へ向かわせるのだから。


 決意を胸に、覚悟を抱け。自分だけの道を往く意思を篝火に焚べ、意味と理由を探し続ける為に人は戦わねばならない。星を追い、夢へ手を伸ばし、走り続ける為に。


 『クリファ抑制管理機構……コクマー・ラツィエルと体内ルミナを接続。指示を願います、ダナン』


 「———ッ!!」


 パスが繋がったような感覚を覚えた。一本の線が知恵の果実と繋がり、脳に情報が書き加えられる。


 「セフィロト・カウンター……起動ッ!!」






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