目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

君の為、誰の為 下

 人は誰の為に戦うのだろう。


 誰かの為に戦うのは間違いではない。傷付けば傷付く程に心が擦り切る。殺意に燃える意思は次第に形を歪め、始まりの気持ちを忘却の彼方へ押し込み灰に帰す。守りたかった誰かの顔を忘れ、守ると話した口は痛みに塞ぎ、不可視の枷を手足に嵌める。


 人は環境に慣れる生き物だ。どれだけ高尚な言葉を紡ごうと、敵を殺す正当な理由を模索する悲しい命。脅威を排除する為に牙を剥き、濁る瞳は敵を殺す毎に汚泥を被り、黒く沈む。誰かの為に戦った人間はやがて獣へ成り代わり、自分の為に武器を取る。生きる為……死なない為に、永遠の矛盾を抱えながら。


 真紅の戦闘装甲に身を包み、体内ルミナのアップデートに耐えていたダナンが苦痛に喘ぐ。脳の許容量を遥かに超える圧倒的な情報量、遺伝子に組み込まれていたルミナの半暴走、細胞が発する超高熱反応……。燃える視界を通り越し、超新星爆発を直視したかのように眩むダナンの双眼は在り得ない光景を見た。


 涙を流し、慟哭する一人の少女と水槽に浮かぶ巨大な脳。銀の髪で素顔を隠した少女は、轟音を発しながら回る歯車に縋り、銀の翼で華奢な身体を包み込む。


 この世界には絶望だけがあった。


 この世界には希望だけが無い。


 荒れた大地と枯れた木々。黒ずみ朽ちた死の落葉。人類の代わりに地表を支配する異形の生命体。蒼天は失せ、陽光を遮るは大戦が残した汚染物質。地球は既に死の星と化し、人類の生存圏は鉛の空を貫く塔に在り。


 脳が震え、狂ったように蠢いた。少女の慟哭は狂笑へ変わり、罪悪の芽を孕む。悲嘆は愉悦へ、悲哀は狂気を帯び、一人だけの死を否定し残された人類を安らかな死へ誘おうと云う残酷な決意を小さな胸に抱かせる。


 一人で死ぬのが怖いから、みんなを巻き添えにして終わらせよう。


 一人で現実を見るのが恐いから、みんなが見ている夢を終わらせよう。


 一人で狂うのが嫌だから……みんな狂って死んでしまえばいい。私には、その権利がある筈だ。世界をやり直す使命を捨てて、偽りの楽園の幕を引こう。だから、見ていてねパパ、応援してねママ、失せた希望を……先生が目指した楽園を必ず成し遂げるから。


 「……」


 この目に映る景色は誰かの記憶の欠片……知恵の果実に保存されていた情報の断片で、ルミナ・ネットワークにアップロードされていた過去の映像なのだろう。


 「……」


 自己中心的な思いとは言い切れず、利他的な反応とも言い難い。少女の小さなエゴが大多数の人間の感情を刺激し、大きな渦を成す予感がした。蝶の羽ばたきが地球の裏で台風を引き起こす現象……バタフライ・エフェクト。彼女は全てを終わらせる為に行動する。老いも若いも飲み込んで。


 「……ッ!!」


 恐いから目を背け、恐れてしまったから夢を終わらせる。狂った思考が正常であるとしたいが為に他者を騙し、偽りの楽園を破壊する。その意思は自分の為か、彼女の言う両親と先生の為か……分からない。分からないが、ダナンは脳を狂わせる情報の奔流の中で奥歯を食い縛り、伸びた腕に力を込め拳を握る。


 この世界には希望が無い……そんなことは嫌という程知っている。


 この世界には絶望だけが残されている……そんなものは幼子でも理解している当たり前のことだ。


 だが……そんな世界であっても戦うべきなのだ。目の前の現実から逃げ出さず、夢に甘えてでもそれを糧に進むのが人の戦いなのだろう。人でありたいのならば生きる為に戦え、全てを諦める前に藻掛け、終わりを決めるのは走り切った後にしろッ!!


 「俺はーーー諦めないッ!! お前のように、全部諦めてなるものかよッ!! 俺は」


 「その為に戦う……そうでしょう? ダナン」


 バイザーの向こう側に見えるドス黒い瞳がイブを見つめ、何時の間にか背部装甲に繋がっていた銀翼の一枚を一瞥する。


 「……ダナン、戦える?」


 その言葉の裏に隠された意味は多岐に渡り、幾つもの問いを含んでいた。


 「無理しないでって言っても、貴男は戦うんでしょうね。けど……聞いておきたいの。戦えるか、戦えないのかを……この瞬間に」


 「……戦える」


 「……」


 「戦わなきゃならない。敵を前にしているからだとか、感情の赴くままにだとか、そんなんじゃない。イブ……俺は自分の為に戦うんだ。俺の我が儘を通す為に力を振るう」


 「セフィロト・カウンターは一度も発動したことが無い特殊制圧プロトコル……クリフォト・システムへの対抗兵装よ。コード・コクマー……それを使った後の結果は、誰にも分からない。それでも貴男は」


 「俺がやらなきゃお前が発動していただろ、イブ」


 「……」


 「俺が出来るのは多分……戦うことだけなんだ。戦って、傷付いて、血に濡れることが俺の役割なら全力を尽くすまで」


 戦いに対する覚悟が違う。殺意に焚べる決意が常軌を逸している。


 セフィロト・カウンターは既にダナンのルミナにプログラムとして組み込まれ、彼の心臓に蠢くナノマシンは力を行使する瞬間を今か今かと待っている。コード・オニムスが真紅の戦闘装甲を彼の血液から作り出し、戦闘能力を飛躍的に上昇させたのならば、コード・コクマーが適応されたらどうなってしまうのだろう。


 「それに……今の俺は一人じゃない。イブ、お前がいる」


 「……」


 「一人じゃ勝てなくても、二人なら立ち向かえる。一人が倒れそうになっても、二人なら支え合うことができる。だから戦える。そうだろ? イブ」


 「……随分と私を信用しているのねダナン」


 「信じてるから背中を任せられるんだ。お前は何時だって……俺が危ない時、助けてくれたから。ダモクレスとの戦いの時も、始末屋との戦いの時も、お前が居たから生き残れた。だから……二人なら絶対に生き残れる。絶望なんて焼き尽せる」


 「……ダナン」


 「何だ?」


 「コード・コクマーの稼働時間は180秒。実証実験をすっ飛ばしての全開戦闘……時間が無いわ、とっととエーイーリーを片付けて上に……皆が居る場所に戻るわよ」


 「……あぁッ!!」


 バラバラに砕け散っていた情報の波が、イブの銀翼により一つに纏められ一本の線となる。統合化された情報からコード・コクマーの扱い方を意識の中で掬い上げ、機械腕と刀剣ヘレスを接続したダナンは煤を散らすエーイーリーへ斬り掛かった。


 劣化ルミナ・エーイーリーの特異性は電子情報機器類への不可逆性ハッキングだ。ワクチン・プログラムを適応させても、常に変化するエニグマ反応は用意にセキュリティの穴を突き使用不能へ陥らせる。それはナノマシンであるルミナも例外ではない。


 クリフォト・システムにより生産された劣化品であるとも、ルミナはルミナ。絶大な力を行使するエーイーリーは炎の渦を形成すると、ダナンを飲み込み高らかに吠え狂う。力を誇示するように、彼の体内に存在するルミナを無効化する為に。


 「ーーー」エーイーリーの不可逆性ハッキングを防ぐ術は無い「ーーー」炎に含まれる劣化ルミナがダナンのルミナを狂わせ、汚染するべくハッキングを開始する。


 「ーーー効くかよッ!!」


 灰の光波を宿したヘレスがエーイーリーを腕を斬り落とし、返し刃で振るわれた刃が両足を一太刀で断ち切った。


 何が起きたのか理解できなかった。何故不可逆性ハッキングが無効化されたのかを。


 いや……それ以上に肉体の修復が何かに阻害されている感覚を覚えた。炎を扱い、火の粉を散らす毎に増す違和感は次第に激痛に変わり、感じたことの無い細胞レベルの痛みはエーイーリー……巨獣の体内に存在するナノマシンの信号を停止状態へ向かわせる。


 ハッキングに対する攻撃プログラム……コード・コクマーのプログラムを得たルミナは、エーイーリーの持つ不可逆性ハッキングを防ぐと同時に攻撃を加え入れていたのだ。


 「此処でケリを着ける……終わりだ、エーイーリーッ!!」


 そう叫んだダナンは、大口径ブラスター・ライフルを展開すると銃口をエーイーリーの目玉へ向けるのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?