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賛美、礼賛、喝采

 銀の閃光が猛スピードで遺跡の闇を裂く。銀の粒子を身に纏い、大穴から飛び出したイブは眠るダナンを地面に横たわらせる。


 「イブ、あの化け物は」


 「始末したわ」


 「……」


 「エデス、ダナンをお願い。死んではいないけど……多分二、三日は目を覚まさないと思う。だから安全な場所に連れて行って」


 「君はどうするつもりだ?」


 「私は」


 七色の瞳が機械翼を羽ばたかせる無貌の教祖を射抜き、隣に浮かぶ純白の強化外骨格へ滑る。


 「話を聞かなくちゃいけない奴が居る。どうして劣化ルミナを持っていたのか、何処から入手したのか問い詰める必要があるの。普通……いえ、アレはこの時代の人間が、塔に住む人間が持っちゃいけない代物よ」


 「……俺も」


 ディアナに支えられていたエデスが一歩前に踏み出し、身体を大きくふらめかせた。


 「無理しないで、貴男はもう戦える状態じゃない。兵士なら自分の身体のことを自分が一番理解しているでしょう? なら……退ける時に退くべきよ。違う? エデス」


 「……」


 イブの言っていることはぐぅの音も出ない程の正論で、エデス自身もこれ以上戦えないと分かっている。片腕を失ったことによる失血と、身体の彼方此方に刻まれた大中小の火傷、機能不全に陥った戦闘装甲服……。到の昔にエデスの体力は底を尽き、今こうして立っているのは彼自身の強靭な精神力の賜物だ。


 「……ボス」


 「……」


 「此処は彼女の言う通りです。撤退するべきかと」


 任務を熟し、中層マフィアの殲滅を終わらせた己等の取る行動は撤退の一択なのだろう。部隊の隊員へこれ以上負担を掛けるワケにはいかない。


 だが……教祖をみすみす見逃してなるものかと、エデスの内で殺意が闘志の鎖を掻き鳴らす。


 人間を異形へ変える代物……劣化ルミナとやらを持つ教団を見逃せる筈がない。今此処で鈍色に照る機械翼を叩き壊し、事前に脅威を排除することが治安維持兵としての責務の筈。中層街に混乱を招く狂人を……此処で殺す。逃げられる前に、凶弾を撃ち込むべきだ。


 アサルトライフルの安全装置を外し、銃口を教祖へ向ける。アイアンサイトの照準を教祖の頭部に合わせ、引き金に指を掛けた瞬間、教祖は「あぁ……」と小さく涙混じりの溜め息を吐く。


 「エイリー……愚鈍なる者、君は実に愚かで浅ましく、思慮に欠ける人間だったが……正に聖人と呼ぶべき人間だったのもまた事実。絶対なる死に歯向かい、そして死を受け入れる姿は殉教者としての理想。故に……死した君へ私は最大の賛辞を送ろう。火の粉に陰り、瞳を開いた君は美しかった」


 芝居がかったような口調でツラツラと言葉を並べ、脳と歯車が複雑に絡み合った被り物を手で覆う教祖。彼の言葉に同調するように強化外骨格の男……アディが「美しかった」と震えた声で話す。


 「正しき者は命の樹を巡り、偽りを抱きし者は邪悪の樹に埋まる……。アディ……エイリーは正しき者だったかな? それとも偽りを抱きし者だったかな? 君の目にはどう映る……アディシェス」


 「愚鈍なる殻は貴方様の御意思に反する者。なれば偽りを抱きし者でしょう」


 「なれば彼の罪悪は邪悪の海に沈むだろう」


 「しかし、彼は己が命を以て教義を示し、肉体という鎖を断ち斬りました。偽りし者から脱却したエイリーは高尚な死を貴方様へ捧げ、聖人となったのです。正しき者……それが私の目が捉えた事実でしょう……教祖様」


 「……如何にも、彼は盲目の羊飼いに非ず。そして逸れた羊にも非ず。アディ……彼は至ったのだよ。死という素晴らしき結末へ。辺獄を渡り、地獄を往き、楽園へ足を踏み入れた者を私は聖人と呼び讃えよう。故に、礼賛を送ろうではないか……死と向き合った穢れた魂を賞賛しよう。アディ、彼の死を以て救世主はセフィラを得たのだよ」


 慟哭の中に狂気を孕み、狂気の中で真理を生む。言葉という呪文を巧みに操り、信仰の魔法を編む教祖の姿は狂った神性を纏う人の形をした異形。無貌であるのに涙を流していると錯覚させる悲哀のカリスマ性は、その場に居る者の激情を逆撫でする。


 生かしておいてはいけない人物だ。奴が生きている以上、何をしでかすのか分かったものじゃない。


 殺さねば……殺すという意思を焚べなければ奴の狂気に呑まれてしまう。理に適っているようで、矛盾した思考を否定しなければ病的興奮が伝播する。


 銀翼を広げ、教祖へ斬り掛かったイブの刃が強化外骨格の装甲に阻まれる。ギチギチと火花を散らし、睨み合う両者の間には別の意味での守る意思があった。


 「片割れの者、我々は貴女と敵対するつもりは無い。いや、寧ろその逆……貴女は此方側に来るべきだ」


 「ふざけないで、劣化ルミナを何処で手に入れたの? 貴方達の後ろに付いている人間はカナン? それとも……神か何か?」


 「言うなれば……我等が持つ信仰であろう」


 強化外骨格の各部装甲から展開された数多の機械義手がイブの銀翼を掴み、四肢を拘束する。


 「この世界には希望だけが無い。希望が無い故に人は荒み、理性が蝕まれる。本能の汚濁に穢れ、欲望に染まった人間は既に獣ではないのだ片割れの君。人を如何にして救い、どう導こうとしても……命と肉体に縛られたままでは意味は無い。貴女もそうだろう?」


 「戯言よ、それは」


 「戯言でも虚言でも、理屈を通せば真実となり、真理を得る。我等が偉大なる教祖様はクリファ汚染を克服せし聖人……否、クリフォト・システムに適応した現人神。劣化ルミナという聖遺物を己が手足のように扱い、意のままに操る者など誰一人として存在しなかった。違うか? いいや……違わない」


 甲高い金属音を響かせながら罅割れる純白の装甲と、光を纏う白銀の翼。アディの言葉を馬鹿馬鹿しいと一蹴し、七色の瞳を輝かせたイブは鋼の枷からするりと抜け出し空を舞う。


 こんな木っ端を問い詰めても意味は無い。捕らえるべきは異形の被り物を被った教祖ただ一人。銀翼を羽ばたかせ、猛追するアディの機械義手を見事な身体捌きで躱し切った少女は銀翼を教祖へ向ける。


 「ッ!!」


 強烈な悪寒と身を貫く死の視線。ぽっかりと空いた天井から降り注いだ泥の棘を皮一枚で回避したイブの視線が、教祖の周りに現れた白衣の三人へ向けられた。


 「アグゼリュス……私達は彼女と敵対してはならない。分かるね? 残酷なる死を求める者よ」


 「バチカルの旦那ぁ、ちょいと時間を掛け過ぎじゃねぇか? 皆アンタを待ってるんだぜ? こんな場所まで来ちゃってさ」


 「言葉を慎みなさいアグゼリュス……教祖様、貴方様は下層街の毒気に精神を病まれておられるのです。豪華絢爛とは言わずにも……然るべき場所で信仰を成さねばなりません」


 「気苦労を掛けるねケムダー……。私が此処に居るのは意味があるからさ……エイリーの最期を、愚鈍なる聖者の死をこの瞳に焼き付けねばならぬ故に此処に居る。分かるね? 貪欲なる死を信ずる者よ」


 「……教祖様、貴方様に罪はありません。この場で罰を受ける者はアディシェスでしょう。守護の任さえ満足に熟せぬ者を貴方様は御許しになられるのですか?」


 「彼は己の為に剣を持ち、求めし者との戦争を欲する者だ。許す許さぬなど無意味な判断に過ぎないだろう? 君が満足しなくとも……私は大いに期待しているのだよ。私の言葉は間違っているかな? キムラヌート」


 それぞれが体内に劣化ルミナを宿し、それを制御している在り得ぬ事象。イブの額に汗が滲み、どう戦うか脳内でシミュレーションを繰り返している内に教祖が腕を広げ、


 「時の満ち引きは潮流の如く時代に流れ、我等は海流を彷徨う屍の群れに非ず。故に……我が子等よ、喝采せよ。死がエイリーを肉体の枷から解き放ち、聖人として完成された事実を称賛せよ。あぁ……素晴らしきかな、死の救いは」


 被り物をそっと撫で、ステルス迷彩を起動しその場から音も無く姿を消した。




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