内で燃え狂う炎は僅かに揺らめく火を残し、行き場のない闘志と際限の無い疑問を心の底に募らせる。
何故にと問うには情報が足りず、答えを導き出すには問いが足りず……。何故劣化ルミナをこの時代の人間が持っているのか、何故クリフォト・システムを扱える人間が現れたのか、何故劣化ルミナ・エーイーリー制圧の際にクリファ汚染が広がらなかったのか……考えるべき問いと状況から鑑みる推測がイブの脳内を駆け抜け、少女は意識を思考の海へ落とす。
大戦中……二百年以上前に起きた大戦で使用された劣化ルミナの大半は、軍上層部が秘密裏に廃棄処分した筈だ。オーバーテクノロジーの真髄であった劣化ルミナをクリフォト・システムという管理機構に無理やり押し込め、兵士の命と引換えに猛威を振るった技術。現存している劣化ルミナの数は多くない。劣化ルミナ・エーイーリーを制圧したのならば、残るクリファ・コードの数から考えるに後九つ……。
いや、そもそも劣化ルミナを生み出せる存在はカナンだけ。イブ自身が目にした劣化ルミナ保持者であるカァスという男と、白衣を纏った教祖の従者達。もし奴らの呼び名にクリファ・コードが紐づかれているのなら、既に少女は六つの劣化ルミナ保持者を知っている。
バチカル、アディシェス、アクゼリュス、ケムダー、キムラヌート……カイツール。それぞれが邪悪の樹のクリファを冠した名を持ち、人間を兵器に変える特異性を持つナノマシン群。残る三つの劣化ルミナ保持者が誰なのか分からない。だが……それぞれにカナンの手が入っていると考えた場合、暴走状態に陥った瞬間甚大な被害を齎すのは想像に難くない。
「……」対抗するための力は此処にある「……」ダナンのルミナに刻まれたセフィロト・カウンターは、クリフォト・システムの管理下にある劣化ルミナを完全制圧する強大な力で「……」彼を更なる地獄へ引きずり込む両刃の剣。
通常兵器では殺しきれず、何度身体を壊しても再生修復される劣化ルミナ保持者は歩く核兵器のような存在だ。特異性による戦場破壊、無作為な人的被害、細胞及び遺伝子異常を引き起こすクリファ汚染……イブが方舟で産まれ、其処で生きていた頃には既に地上は放射能汚染と制御不能のクリファによって人間が生きていける環境ではなかった。生きていけないから地下に建造された方舟に籠もり、人は限られたスペースで種を存続させていたのだ。
「ままならないわね、どうも」
塔……地下から地上へ這い出し、新たな楽園を手にした人間は過ちを繰り返す。下層、中層、上層と分けられた世界は血に濡れた歴史をなぞろうとしているのだろうか? 欲望と暴力が支配する下層街は薄い毒素……クリファが漂う辺獄にして、腐敗した楽園へ続く地獄の入口だった。
塔へ移住出来た方舟の住人がどう生きたのか彼女は知らない。計画の失敗を聞かされ、次の為にと無理矢理コールド・カプセルの中へ押し込まれたイブが再び目を覚ました時、かつての楽園は朽ちた鉄箱と化していたのだから。
情報を得ようとも情報端末に記録されているデータは全てカナンの手によって消され、何故妹にそんなことをしたのか問うと言葉より先に刃が飛んでくる始末。姉妹である筈なのに殺し合い、計画など無意味だと呟いたカナンは劣化ルミナを使い何かを企んでいる筈。彼女の心を惑わした何者かの手に操られているに違いない。
ならば、誰がカナンの心を惑わしたのか……それは偽神と呼ばれる塔の最上層に存在する者だろう。
神と呼ぶには愚かしく、神と称えるには不完全な存在。過去に一度だけ……それこそイブのルミナや戦闘支援AIネフティスにも記録されていない彼女自身の脳にだけ記憶されているネームレスとの対話の中、彼が世間話をするように話した話題に偽神の名があった。
人は何をしようとも終わりには逆らえぬ。もし定められた命に抗い、数多の命と未来を己等の延命と引き換えにした者が居るのなら……その者等は神を名乗るだろう。偽りの完全を手に、最も愚劣な行為に走る者……故に偽神。努々覚えておけ、イブ。
「……偽神」
「イブ?」
ハッと意識を思考の海から引き上げ、エデスへ視線を向けたイブはダナンを銀翼で包み込み、軽く頭を振るう。
「どうした……? 考え事をしているようだったが」
「……エデス」
「何だ?」
「貴男、震え狂う神という教団について何か知ってる?」
「……知ってるが、そう多くはない」
「教祖や他の連中……さっきの白衣の奴らは?」
「初めて見た。イブ、君の方こそ……教団と何か関係があるのか?」
「……無いわよ、絶対に」
教団の足跡を追えば、何故カナンが劣化ルミナを生産したのか掴めそうな気がした。絶望に沈んだ妹が何故自分の首を締める愚行に走ったのか、何故己に刃を向けるようになったのか……裏切りに意味があったのかを知りたかった。
しかし、功を焦っては仕損じる可能性の方が高い。今はゆっくりと、確実に足を進ませよう。未だ希望は潰えていない。終わりがあるように、始まりも此処にある。
「アイツ等は敵よ、それ以上でもそれ以下でもないわ。何を考えているのか、何を成そうとしているのか……皆目見当もつかないけど、動けば潰す。羽虫に情なんて必要ない。そうでしょう? エデス」
「……必要な情報があったなら」
「……」
「個人的に話そう。勿論……今回の件の謝礼も込めて、な」
「ありがとう、エデス」
少しだけ笑ったエデスと倉庫内に雪崩込む治安維持軍の兵士達。凄惨な戦場を目の当たりにした部隊員が銃を構え、イブへ銃口を向ける。
「ボス! この状況は……それにその傷は!」
「銃を下ろせ」
「ですがーーー」
「彼女は協力者だ。中層マフィア、エイリーの殺害は成功。医療班を回してくれ」
残った片腕を上げ、治療カプセルに横たわったエデスが「二人を丁重に扱え、部隊は帰投しろ。作戦は成功だ、全員よくやった」と話し、瞼を閉じる。
「……ウルフ5」
「はい」
「疲れたか?」
「……はい」
「今回は特殊なケースだが、これが戦場だ。傷を負うのも、命の危機に瀕するのも当たり前……兵士を辞めるのも貴様の自由だ。それでも」
「ボス」
「……」
「ボスは……そんな状態になってでも、兵士を辞めたいと思いますか?」
「俺にはこれ以外の生き方が無い。戦いに必要な才能があって、殺しの適性があったから兵士を続けている。辞めたいとは……思わないな」
「なら私も辞めません」
「……理由を話せ」
「私にも……戦える意味があったからです」
ディアナの瞳がエデスを見つめ、煤の奥に隠された傷から血が流れた。
「私はボスのような兵士には成れないでしょう。腕を失って、火傷を負って、傷だらけになったら当たり前のように心が挫けてしまう」
「……それが当たり前なんだよ」
「ですが」
胸を張り、敬礼をしたディアナは、
「目に見える範囲の、私の手で守れる誰かが居たならば……それが私の戦う理由になり、戦える意味にもなります。だから辞めません。この戦いに……誰かを殺したことに、何かを見出すのは自分だけだと……そう思いますから」
「……そうか」
貴様がそう思うなら、それでいい……。ディアナの言葉を聞いたエデスは大きく息を吐く。
「イブ……」
「なに? エデス」
「ダナンに」
「えぇ」
「……迷惑を、掛けたと、そう伝えてくれ。頼む……イブ」
「安心して、ちゃんと伝えておくから……貴男は休みなさい。エデス」
「あぁ……」
パッタリと、一瞬で意識を手放したエデスを見つめたイブはダナンを抱えたまま、倉庫を後にした。