「ダナン、本当に良かったの?」
切れかけた電灯が明滅する通りを往くダナンの隣でリルスが溜息を吐きながら問う。
「サテラだっけ? あの子、貴男に気があったようだし、上手いこと使えば中層街に行けたかもしれないのよ? それに、ディックとか云う男もサイレンティウムの」
「いいんだ」
「勿体ないじゃない、前の貴男なら使えるものは何だって使う筈でしょ? 違う?」
「……そうだな。だが、これでいい」
煙草を口に咥え、火を着けたダナンは煙を燻らせ機械腕の指を曲げ伸ばす。
リルスの言っている事は正しかった。使えるモノなら文字通り何でも使い、死体が手にしていた武器さえも利用する……それが間違いであるとも思わない。弱者から奪い、他人を騙し、殺しを正当な手段として利用する。悪と呼ばれる行為を生きていく上で最も合理的な手段であると認め、事実として飲み込み砕く。
自分勝手な利己主義と身勝手な自己保存、銃の引き金を引く事を躊躇わず、迷いや葛藤を焼き尽くして生きる下層民、平然と嘘を吐く罪深さ……。紫煙を吐き、頭を掻いたダナンはリルスを一瞥すると「リルス、お前から見て……俺はどう思う?」消え入りそうな声で呟いた。
「そうね、馬鹿か阿呆のどっちかじゃない?」
「……辛辣だな」
「けど、嫌いじゃないわよ貴男の事」
「……」
「長い事一緒に居るけど、貴男って結構面倒見が良い方じゃない? 何ていうのかしら……あぁ、身内贔屓? 自分じゃ認めないだろうから私から言ってあげる。ダナン、貴男意外と優しいのよ? 知ってる?」
「……どうだか」
「聞いてきたのは貴男の方でしょ? しっかりしなさいよ、大黒柱のお兄さん」
「大黒柱のお兄さん? 俺が?」
「そ、ステラも養わなくちゃならないし、私とイブにご飯を食べさせなきゃならない。ま、私は何時も通り自分の仕事を熟すけど……あの二人は違うでしょ?」
襲い掛かる半機械体の胴体を真っ二つに切り裂き、銀翼を人工血液で濡らすイブ。彼女の細い腰に抱きつきながら、拳銃のグリップを握るステラ。二人を瞳に映したダナンは欠伸をするリルスをジッと見つめ、煙草の先から火の粉を散らす。
「ステラは幼いし、イブはまぁ……貴男が居れば問題ない。ある意味ダナンが居るから纏まっているのかもね、私達は」
「……」
「家族……血は繋がっていないけど、此処には一種の繋がりがあると思うの。世界とか、社会とか……そんな大きな枠組みじゃなくて、局所的なモノ。一人は皆の為に、皆は一人の為に。綺麗な言葉だと思わない? ねぇ、ダナン」
「……そうだな」
「そうよ」
灰が長くなった煙草を地面に落とし、靴底で踏み潰したダナンはアサルトライフルの照準器を覗き込む。
多分……否、きっと個人が変わろうとも、下層街という隔絶された世界は変わらない。罪が溢れた盃は混沌を呼び、集積した混沌は更なる悪を生み出す土壌を生む。
世界を変えたければ自分を変えろ、自分を変えたくなければ世界を変えろ。その言葉はどちらも正しくて、間違っている。引き金を引き絞り、一発で麻薬中毒者の頭を破裂させたダナンはイブとステラを呼ぶ。
「……無事か?」
「あ、ありがとう……ダナン」
「何よ、少し遅いんじゃない? 行動が」
「考え事をしていた」
「考え事?」
「あぁ……これからの事を、少し」
今のアパートでは手狭に感じ、治安も最悪の一歩手前。己やイブならば自由に出入りが可能だが、リルスとステラは別だ。あっという間に身体を解体されるか、運良く生き残れたとしても歓楽区へ売り飛ばされてしまうのがオチ。
「……」
一人で生きていれば、アパートの室内は広すぎた。
「……」
四人で生きることになれば、一人の世界は余りにも狭苦しい。
「……住む場所を、変えようと思う」
「住む場所? 別にいいんじゃ……あぁ、そういう事ね。納得したわ」
「えっと、アタシなら大丈夫だけど……」
「ステラ、ダナンが言っているのは貴女とリルスの為よ。それで、候補はあるの? 不動産……下層街じゃ期待できそうもないけど。決定権は貴男に譲るわ、ダナン」
ステラを抱き上げ、銀翼を広げたイブは電灯の上にゆっくりと腰を下ろす。
「候補は無い。だが、今の場所よりは良い環境を探す。まぁ……その為にもう一度商業区に行く必要があるな。イブ、ステラとリルスを頼む。俺は」
「大丈夫じゃない?」
HHPCのキーを叩いていたリルスが「死者の羅列首領から連絡があったわ。ゲート近くのマンションの一室を報酬として寄越してくれるそうよ」モニターをダナンに見せる。
「……信用できるのか?」
「死者の羅列が契約を破棄すると思う? 正当な依頼報酬よ、これは」
「だがーーー」言い淀むダナンへ軍用装甲車が猛スピードで突っ込み、目と鼻の先で急停車すると「ダナンさん! お久しぶりです!」可愛らしい声が暗い路に木霊し、
「元気でしたか? 私のこと、覚えていますか?」
「……テフィラか?」
「はい! えっと、イブとリルスのお陰で身体が」
「あまり燥ぐなテフィラ……術後なんだ、大人しくしていろ」
両目に包帯を巻いたテフィラと、呆れた様子で溜息を吐くメテリアが窓から顔を覗かせた。
「メテリア、随分と早いのね」
「依頼報酬を先延ばしにすれば信用と信頼に関わるからな。……遺跡発掘者」
「……」
「……率直に言わせてもらう。俺は貴様が嫌いだ」
「……そうか」
「だが、俺の妹はそうじゃないらしい。ハッキリ言って妹を嫁に貰いたいのなら、遺跡発掘者なんぞ辞めて地に足が着いた仕事」
「待て、お前は何を言っている。そもそも何で俺がテフィラを嫁に」
「貴様、テフィラの好意を無碍にするのか? いい度胸だ、俺達と戦争がしたいようだな……殺してやるよ遺跡発掘者」
「兄さん!」
「……冗談だ。ウィザードとイブ」
メテリアの双眼がリルスとイブを睨み、
「世話になった。死者の羅列はお前達二人だけは味方と認識しよう」
「そ、ありがたいわね」
「……メテリア、一つだけ言っておくわ」
「何だ、イブ」
「早いとこテフィラを貴男が言う安全な環境に移送するべきよ。その子の気持ちが変わる前に……地獄を見ないようにね」
「分かっている。おい遺跡発掘者」
「まだ何かあるのか?」
「……屑は屑なりのプライドがあり、塵は塵らしい責任感を抱く」
「嫌味を言う暇があるなら消えろ」
「それは俺も同じだ」
「……」
「今貴様が得ようとしているモノは重いぞ? 貴様程度の塵屑が背負えるモノじゃない。失う恐怖と与えられる幸福はな……決して釣り合うものじゃない」
「……メテリア、お前は」
助言を与えようとしているのか? その言葉を話す前に装甲車の窓が上がり始め、
「俺は貴様を決して認めないし、殺してやりたいと思っている。だが、お前が変わろうとしているなら話は別だ。藻掻き、足掻いてみせろよ……ダナン」
ダナンを撥ね飛ばすとエレベーター・ゲートへ疾走する。
「ダナンッ!?」
「ステラ、落ち着きなさい。あれくらいでダナンは死なないわ。掠り傷程度のものでしょうね」
イブの腕から身を乗り出し、ダナンの安否に慌てふためくステラ。倒れる青年を鼻で笑うリルス。
「……」
大の字になりながら鋼鉄板の空を見上げたダナンは「最近……怪我をすることが本当に増えたな」と独り言を呟き、両目を手で覆うのだった。