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執念


 強化外骨格の装甲を叩く雨音と常時鳴り響く警告音。視界に映る爆炎を潜り抜け、敵兵の頭を黒鉄の手指で握り潰した男は鮮血を思わせる空を見上げた。


 光の軌跡を描きながら打ち上げられた超高性能ICBM……基地から発射された大陸間弾道ミサイルは数時間後には太平洋を横断し、ユーラシア大陸に存在するアジア連合の中枢都市を核の炎で包み込むだろう。幾億人の民間人を道連れにして。


 この戦争に勝者は存在しない。疲弊した国家経済と汚染された地球、死体がうず高く積み上げられた死の大地……。生身の人間同士の戦いから機械化兵との戦いへ、遺伝子組み換えによって生み出された生物兵器との戦いは倫理が崩壊した戦争の歴史であり、男が経験した中でも過酷極まる戦いだった。


 「……」


 戦争が終わったとしても、次に始まるのは貧困に喘ぐ国民を暴力を以て黙らせる仕事だ。世界最大の覇権国家と呼ばれたアメリカであったとしても、度を過ぎた戦争は経済を破壊し、長く続いた栄光を燃やし尽くしてしまった。


 もしも……在り得ない話だが、戦争が長引けば人はその熱狂に身を焦がし、明日に訪れる絶望を眼にしなかったのではないだろうか? 無くなった故郷を知らず、失った恋人の死を嘆く必要も無かった筈だ。あらゆる概念が過去の遺物として処理され、発達した技術を試す場ではなくなった戦争に何の価値がある。何も残らない戦いは……虚しいだけだ。


 「……何の為に、人は熱に狂う」


 政府が振り撒くプロパガンダに正義を歪める民衆も、


 「何の為に、俺達は戦ったッ」


 誰かの犠牲の上に成り立つ命も、


 「アイツは……この戦いに命を掛けた連中は、ただ死ぬ為に戦ったんじゃないッ!」


 全て熱に浮かれた人々が差し出す大衆の贄なのだ。戦争が人に与える虚構に過ぎない。若者を戦争という悪魔に捧げ、自分だけは生き残ろうとする醜い心。無謀な戦争へ国民を驀進させ、責務から逃げた政治家こそ真なる敵に違いない。


 兵士は生きたいと願っていた。戦いの中で命を散らす瞬間に、吹き飛んだ首……その視線の先には遥かなる故郷を見ていた筈だ。灰燼に帰した死の都であろうとも……生まれ育った街は愛すべき故郷であるのだから。

 「……ッ!!」


 拳を握り、唇を噛んだ男は蒸し暑さが残る頭部装甲の中で血涙を流す。


 「燃やし尽くしてやる……全て、俺の気が済むまで、貴様等が望んだ戦争を……俺の戦いを続けてやるッ!!」


 誰が相手だろうと関係無い。立ち塞がる者は全て敵だ。戦線維持の為に配置された防衛兵器も、脳にマイクロチップを仕込まれた自軍の生物兵器も、全部叩き潰すッ!!


 終わりを迎えるにはまだ早い。積み重なった死体を踏み躙り、炎の渦に背を向けた男は視線の先に映った司令部を見据える。


 「おいアンタ」


 「……」


 「アンタだよアンタ、其処の機動装甲兵の人。あんまり早とちりしない方がいいぜ?」


 男の肩を掴んだのは、彼と同じような強化外骨格を纏う一人の兵士だった。


 「止めるな、もう……うんざりだ」


 「俺だって同じ気持ちさ、嫌だよな終わりが見えない戦ってのはさ」


 空気を震わせる轟音が鳴り響き、大地が揺れる。咄嗟に身を屈ませ、電磁バリアを張った男が見た物は三メートルの鋼鉄柱だった。


 「何だ、アレは」


 「さぁ? 俺に聞くなよ」


 鋼鉄柱を包む装甲板が弾け飛び、中から這い出してきたのは全身を黒い表皮で覆った一つ目の獣。


 「逃げた方がいいかもな」


 「……」


 「アレが連邦側なのか、連合側の新兵器なのか……俺達には分からない。アンタ、名前は?」


 「……アディシェス、友人からはアディと呼ばれている」


 「そっか、俺はダナン。ミドルネームとか聞くなよ? ダナンの方が短いし、効率的だろ?」


 「……」


 ダナンと名乗った機動装甲兵に頷き返し、背部ブースターを吹かしたアディシェスは獣と距離を取る。


 次々と打ち込まれるロケット弾に怯まず、敵を貪り食らう貪欲な獣は傷を負う度に金切り声のような悲鳴を上げ、金属を融解させる強酸をぶちまけていた。這いずり進み、生きたまま人間を喰らう獣……その姿は母を求める赤子の様。得体の知れない化外に人を重ねたアディシェスは頭を振るい、唇を噛む。


 「恐ろしいな」


 「……」


 「アレ、元は人間なんだってよ」


 「……は?」


 「今さっき俺のお友達から情報が入った。胎児をベースにした遺伝子改造生物兵器……作成者は……まぁ、十中八九アイツだろうな」


 「待て、待てよ、アイツって……いや、それよりもアレは赤ん坊を」


 「アディ、多分……戦争ってのはその概念が悪魔とか神様の揶揄なんだよ」


 空気清浄機構に繋がった排気口から煙を噴き出し、煙草を口に咥えたダナンは呆れたように肩を竦め、


 「悪魔は人間が呼び出さなきゃこの世界に現れない。神もまた人間の前に姿を現さないし、乗り越えられる試練しか課さない。戦争も同じだ……人が起こし、人が終わらせる。だから悪魔であり、神様。俺はそう思うね」


 泣き叫ぶ獣を見る。


 「……なら」


 「なら?」


 「この戦争の責任は誰にあるッ!! この世界には神や悪魔は居ない!! どうやったら、終わるんだ……ッ!」


 「それもまた人だろうよ」


 「……ッ!!」


 「まぁそう怒るなよアディ、別に俺は戦争そのものを否定してるワケじゃないし、死んだ戦友を愚弄してるワケでもない。ただ、責任は取るべきだと思ってる。それだけさ」


 「責任だと?」


 「あぁ、私利私欲の為に起こした戦争なら本人が取るべきだろ? 民衆が戦争を望んだのなら国が責任を取り、政治屋が望んだのなら末代まで取り立てる。蜥蜴の尻尾切り……屑の一人勝ちなんざ許すワケねぇだろ」


 淡々と……笑いながら話すダナンの言葉の裏には業火のような激情が燃え上がり、死に逝く敵兵を映す眼は玲瓏に震え狂う。


 「何年、何十年、何百年……逃げ切れると思うなよ。逃げた先に楽園があろうとも、地獄が広がっていようとも……必ず見つけ出して責を問う。この怒りは間違いなんかじゃないって事を証明してやる。その為なら俺は何を犠牲にしても構わない……自分の命だって差し出してやる」


 「……」


 ただ、ただ只管に圧倒されていた。兵士という立場から一人の人間として、彼の言葉に耳を傾けざるを得ない。


 「ダナン」


 「悪いな」


 「何が」


 「あんまり真に受けないでくれよ? 冗談だよ、じょーだん。人が何年も生きられると思うか? 無理だよな? 俺が言ったことはジョークだと思ってくれ」


 「違うな」


 「へぇ」


 「お前の言葉は本心……心の叫びのように聞こえたんだ。この戦場で、目を覆いたくなるような現実を前にして、後の事を言える奴は普通じゃない。狂っている」


 「狂人扱いはちょっと酷いんじゃないか? 俺はどっからどう見ても真面だよ」


 常人は自分のことを真面だと言わないだろ? その言葉を飲み込み、苦笑いを浮かべたアディシェスは「……なら、俺にとっての戦争は」と呟き、黒に染まった空を見上げる。


 「……」


 俺にとっての戦争とは……一体何だったのだろう。


 「……戦争は、其処にある」


 生命維持機構を持つ強化外骨格を軋ませ、傷を覆い隠す純白の手指装甲を見つめたアディシェスは遠い過去……二百年以上前の記録に触れ、掠れ摩耗した理想の片鱗を撫でる。


 何度思い出そうとしても、それは無意味な事。彼が求める戦争とは満足する死を選び取る為の手段に過ぎず、目標ではないのだから。無価値だと断じた故に忘却を選び、熱狂的な戦争を渇望する男は祭壇に打ち立てられたイエスを見る。


 「……」


 あの男が言っていた事は正しかったのだろうか?


 「……」


 あの意思は嘘だったのだろうか?


 「……」


 その答えはきっと……忘れてしまった理想の中にあるのだろう。届かなかった夢を揺蕩い、眠りの揺り篭に包まれ衰え死ぬ。


 それが人間というモノだ。


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