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望む者 上

 マナの瞳が揺らめき、獲物を喰らおうと牙を剥く猛蛇の様相を見せる。


 チロチロと舌先を伸ばしては空気を舐める蠱惑的な、相手の心の奥底を覗き込もうとするビロウドのような美しい瞳……。少女の姿をした毒蛇、毒を食む強者、弱さや欠点を超越しようとする強靭な意志。ステラの瞳を真っ直ぐ見つめたマナは、差し出した手を下げようとしない。


 彼女の瞳に映る己はどんな顔をしているのだろうか? 怯えているのか? それとも弱さを見せない為よう眉間に皺を寄せているのだろうか? いや、そんなことは聞かなくても分かる。


 怖いのだ。理解したいと言いながら此方の様子を窺うマナが恐ろしい。元下層街の人間ならば、言葉の裏に潜む欲望を読まなければならない。あの笑顔の奥に何を隠し、仮面の下に浮かぶ表情は何を意味するのか……。ただ話をしているだけなのに、心理戦を仕掛けられているような気分になる。


 「……マナは」


 「えぇ」


 「アタシよりも、頭が良いんだね」


 「いいえ」


 「自分の言いたいことをハッキリ言うし、迷いが無い。アタシから見れば……そう思うよ」


 「少しだけ弁が立つだけです。出来ることよりも少ないし、出来ないことの方が多い。私よりも貴女の方が優れている。違いますか?」


 謙遜も謙遜、ワザと自分を下に置き此方の出方を見るつもりか?


 「そんなことない。私だってダナンのおんぶにだっこだし……運が良かっただけ」


 「運も実力の内という言葉を御存じで? 貴女は下層民全体と比べれば随分と恵まれています。家族が居て、仕事があって、実力を身に付ける環境も整っている。普通なら私達のような子供は大人の玩具にされるか、育つ前に殺される。誰かの庇護下にあろうとも、常に何かを奪われる立場にある。違いますか?」


 マナの言っていることに間違いは無い。確かに己は恵まれているのだろう。路地裏の冷たいアスファルトに横たわることは無いし、その日の食べ物に困ることも無い。栄養状態だって浮浪者の子供よりもずっと良い。痩せ細っていた身体にも肉が付き、骨だって夕方から夜にかけて傷みだすこともある。


 危険と引き換えにして多額のクレジットを稼ぐ方法を覚え、同い年の少年少女が一日で稼ぐクレジットの五倍以上の稼ぎを叩き出すステラは僅かに……否、確実に力を付け始めていた。


 「友達とは何だと思いますか?」


 「……さぁ? 利害関係の一致じゃないの?」


 「それもあるかと思いますが、私は他者への理解……いいえ、人間同士の歩み寄りだと思うんです」


 「……」


 「恐怖とは未知から生まれ、未知とは既知から生ずる枝分かれした概念。友達という言葉の意味は感情の相反性作用。端的に云えば磁石のようなものです」


 髪をかき上げ、微笑を湛える少女は手を下げ小さく頷く。


 「理知的と呼ばれる者は聡明であれ。知的と思われる者は深い思慮を持ち、誠実となる必要があります。感情的な言葉は論理を見出し、理論を持たざる獣と同義。そう考えれば、下層街の住人は皆獣であり、下層街という巨大な檻に閉じ込められた駄獣」


 一見論理的な言葉であろうとも、中身をよく聞けばそれはただの暴論に過ぎない。


 「違う」


 「何故ですか?」


 「確かにマナの言う事は正しいし、間違っていないけど……それはただの理屈だよ」


 「……」


 「アンタは人を理論だけで動く生物だと言いたいの? 馬鹿言わないで、アタシ達が始めに持つモノは感情じゃない。何かを考える時も、動く時も、心があるから選ぶことが出来る! アンタみたいに全部頭の中で組み立てて、アレやコレと完璧に動けるように人間は出来ていない! 何だか……嫌な気分よ。ダナン風に言うなら、最低最悪な気分ね」


 嫌悪感を露わにし、ダナンの手を引き「行こうダナン!」と勇み足で店の外へ向かう。


 「マナ様、あの下層民は私が」


 「止めて下さいイスズさん」


 「しかし……」


 「しかしも何も、増々興味が湧きました。ねぇイスズさん、貴女は友達って何だと思いますか?」


 「……そうですね、私達シークレット・ニンジャは」


 「貴女自身の考えを教えて下さい、イスズさん」


 「……同じ趣味や娯楽を楽しみ、酒を呑んでは酔いつぶれるまで語り合う者ですかね」


 ステラの後を追うように歩を進め、足を引き摺りながらアタッシュケースを押すマナはイスズの声に耳を傾ける。


 「隠し事をしないだとか、本音で語り合うなんてことは無くとも……一緒に居て楽しければいいと思います」


 「そうですか、なら私は友達と呼べる人が居ないのですね」


 「マナ様、それは」


 「別に悲しんでいるワケではありません。学校でも周りに人は居ますし、皆手を貸してくれます。男の子なんて少し手が触れただけで顔を真っ赤にして、女の子も同じ反応をします。可愛いと思いますし、楽しくもありますが……多分私が彼等に抱いている感情は人間の形をした動物を観察している程度のモノでしょう」


 己を下層民と蔑む学友が心変わりを繰り返していく様は面白い。いじめを画策していた女子の秘密を暴き、それを餌にして取り巻きを奪う行為は下層街で蔓延する弱肉強食の箱庭版。乱暴しようと力で己を押さえつけてきた上級生は、ステルス迷彩で姿を消していたイスズが意識を奪い映像データを証拠として保管する。


 学校とは、己が立つ環境とは、自分自身の手で弄繰り回す事が出来るテラリウムなのだろう。スクールカーストなんて洒落た言葉で学校内階級を言い表さず、強者と弱者で明確に分けた方が分かり易い。


 教師とは尊敬できる立場を持つ人間だ。聖職とよばれる職業を肩書きとして持ち、教鞭を振るう姿や与えられる知識からは学ぶべきモノがある。しかし、淫行教師は度し難い。テラリウムの秩序を乱し、箱庭だけで通用する権力を振り翳す姿には嫌気が差す。マナはそのような教師を見つけ次第容赦無く牙を剥き、社会的立場から尊厳まで何もかもを壊そうとする。例え相手に家族が居ても、淡々と、冷徹に。


 「……イスズさん、決めました」


 「何でしょう」


 「確かお義父様から貰ったデータの中に、彼女の名前もありましたよね? なら、私の学校に入学させるのも一手でしょう。未知を既知に、既知から経験を……絶対にステラを私の友達にします。どんな手を使ってでも、必ず」


 「……マナ様が決めたのなら私は何も言いません。しかし、御当主様の考えを無碍にすることは許されませんよ?」


 「お義父様の邪魔をするつもりは毛頭ありません。しかし、父は言っていました。下層街へ行き、仕事を熟してくれるなら私の好きなようにしていいと」


 深い溜息を吐きながら、不敵な笑みを浮かべたイスズはそれでこそと満足げに頷く。


 彼女には……マナには王の素質がある。グローリアが彼女を養子に迎え、次代を担うサイレンティウム総帥を育てようとしているのなら、マナの意思を尊重するべきだろう。


 「マナ様」


 「何ですか?」


 「私はどんな時でも貴女の味方ですよ」


 「ありがとうございます。イスズさん」


 えぇ、必ず。そう呟いたイスズは姿を消すとマナの背後に立ち、影のように身を潜める。


 もしダナンが殺意をマナへ向けるのなら、彼女の指示に従い命を奪う。ステラを欲するのならば、手を尽くす。己に出来ることはそれくらいなのだから。


 ライターの火を灯し、紫煙を吐き出した青年を睨み付けた女は絶えぬ忠義を胸に宿すのだった。


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