間接照明の明りが壁を淡いオレンジ色に染め、アロマの煙がくるりと回る。機械基盤を弄り、解体した銀翼の整備を行っていたイブは疲労混じりの息を吐く。
身体装着型兵装の正式名称は無い。ネームレスが銀翼と呼ぶ兵器は如何なる時もイブと共に在り、彼女の戦いを間近で見届けてきた。電子が奔る銀の羽根は空気中の電素を溜め込み、輻射式増幅回路を以て一を十へ繰り上げる。複雑極まる精密機器の迷路を眺め、調整用工具を元の棚に戻した少女は両目を親指でグッと押し込んだ。
「イブ、調子はどう?」
「良い感じ……とも言い難いわね。道具は悪くないんだけど、やっぱりコレを再調整するには遺跡に潜るしかないみたい」
「そ、なら今度ダナン達と一緒に潜ってみる?」
「考えておくわ」
湯気が立つコーヒーを啜り、角砂糖を二つ入れたイブは伊達眼鏡を掛けるリルスへ視線を向ける。
銀翼を構成する部品は大きく分かれて三つある。一つは神経接続集積回路、二つ目は特殊金属装甲板、そして肝心要の三つ目の部品……ルミナ・ネットワーク・システム。
上記二つは駐屯地の部品店で手に入れることが出来る。もしサイズが合わなくても金属加工と回路の組み換えで代用できる代物だ。しかし、ルミナに関する部品だけは遺跡に潜らねば手に入らないだろう。それも表層ではなく深層……闇と異形が闊歩する地獄へ降りなければならない。
今のところ銀翼を用いての戦闘に支障は無い。超精密医療機器にも不具合は無いし、動作不良も見られない。だが……劣化ルミナとの戦闘が今後も続くようならば、調整と整備の手段を増やしておくべきだ。万が一にも銀翼が使用不能状態に陥った場合、頼りになるのは半分にまで減ったルミナとダナンだけなのだから。
「難しい顔をしてるわね、イブ」
「そう?」
「えぇ、色々と考え込んでる顔よ?」
「私は別にそのつもりは無いんだけど」
「あっそ、ならいいわ。私も気にしないから」
コーヒーにフレッシュミルクを入れ、ゆっくりとスプーンで掻き混ぜたリルスはノートパソコンを開く。青白いディスプレイが彼女の顔を生白く染めた。
「ねぇイブ」
「なに?」
「貴女、上に行きたがっていたわよね?」
「……そうね」
キーを叩く音が耳にへばりつく。間接照明からメインの明りに切り替え、作業デスクのライトを消したイブは角砂糖を一つ摘まみ上げる。
塔の上……最上層へ行かなければならない。全てが手遅れになる前に、彼の偽神を討たねばならない。両親と仲間達が求めた楽園を、終わってしまった世界を正す為に己は在る。
だが、それ以上に……。ダナンの顔が、彼がくれた言葉が脳裏を過り、角砂糖を摘んだイブは指を宙に漂わせる。
個人的な感情で使命を投げ出せる筈が無い。こうして迷っている間にも世界は着実に死へ驀進している。エゴを捨て、自分の為に生きていい筈が無い。
深い溜息を吐き、コーヒーを一口飲み込んだイブは「どうしたのよ急に」嫌らしい笑みを浮かべる。
「中層街へ向かう準備が整ったことを伝えたかったのよ」
「……どうしてまたそんなこと。ダナンには話したの?」
「いいえ? 彼が帰ってくるまで内緒にしておくつもりだったんだけど、貴女には一応知らせておこうと思っただけ。どう? 嬉しくないの?」
「嬉しいわ、えぇ本当に。けど」
誰と誰が行くの? それを話そうとした瞬間に玄関の扉が開き、重々しい装甲の音が部屋に木霊した。
「丁度帰って来たようね、イブ夕食の準備をするから貴女も手伝って。あとダナンの機械腕の整備もお願い出来る?」
「……えぇ、任せて」
銀翼を外したままリビングへ向かい、漆黒のボディアーマーに身を包むダナンとガスマスクを外すステラを見たイブは、彼等の後ろに立つ二人へ目を向ける。
「後ろの二人はお友達? ダナン」
「勝手に付いてきただけだ。友達なんて洒落たもんじゃない」
「そう、なら敵か何か?」
「俺が敵の侵入を許すと思うか?」
「思わない」
「なら全部言わなくても分かるだろ? イブ」
荷物をリビングの端へ置き、アーマーを外したダナンは装備類をソファーの上に放り投げる。金属音がかち合う音を耳にしたリルスが「ダナン! ちゃんと片付けてよね!」と声を荒げ、青年は苦笑しながら自室の扉を開ける。
下層街では見られない普通の家族風景。料理を温め直すリルスが髪を一つに束ね、ステラは手を洗う為に洗面所へ向かう。黒いボディスーツ一枚になったダナンが冷蔵庫を開け、炭酸飲料の缶を取り出し「金はこの前作った口座に振り込んである。必要なモノがあったら勝手に使え」と少女へ明細書を渡す。
「で、ダナン」
「あぁ」
「あの二人が貴男のお友達じゃないのなら、どういう関係なの?」
「友達の知り合いと親戚だ」
「へぇ、あのグローリアとかいう優男?」
瞬間イスズの殺意がイブを貫き、少女は即座に戦闘態勢を取る。
「殺し合うなら此処とは別の場所でやってくれ。事を荒立てたくはない」
「喧嘩を売ってきたのは向こうよ?」
炭酸飲料を飲み干し、缶を握り潰したダナンのドス黒い瞳がイスズを睨み、
「俺の家族にもう一度敵意を向けてみろ……殺すぞ」
冷たく言い放つ。
「イスズさん」
「はい」
「ダナンさんの言う通りです。私達はサイレンティウム総帥の意思代行……軽率な行動は控えるべきでしょう」
「しかし」
「言いたい事は分かります。しかし、今はやるべきではない。分かりますね? イスズさん」
反論しようとするイスズを諫めたマナは「申し訳ありません。誠意が見られないと話すならば私が」深々と頭を下げる。
「別にいい。俺の家族に手を出そうとするなら容赦はしない。そのシークレット・ニンジャの手綱はお前に任せる」
「ありがとうございます」
「ダナン! 少し手伝って!」
「……お前等は適当な椅子に座れ、話は飯を食ってからだ」
「ダナン!」
缶をゴミ箱へ投げ捨て、リルスの手伝いをするダナンを他所に、二人分の椅子を引いたイブはジッとマナを見つめる。
「何か?」
「しっかりしてるのね」
「そうでしょうか?」
「えぇ」
「ありがとうございます」
「名前は?」
「マナと申します。そしてこっちがイスズさん。私の護衛のようなものです」
メラメラと燃え盛る殺意を瞳に宿し、指を曲げ伸ばす女がイブを見据える。
「……」
「無口なタイプ? あぁ話さなくて結構。あんまり興味は無いから」
「貴様と話す事など何も無い。あまり調子に乗るなよ? 下層民」
「出来の悪い忠犬を持てば苦労するわね、マナ」
今にも飛び掛かりそうなイスズを嗜めたマナはゆっくりと首を横に振るい、
「彼女は私の事を想って行動してくれます。それを迷惑に思ったことはありませんよ」
「お優しいのね」
「それ程でも」
妙に落ち着いている少女だった。まるで子供の形をした大人と話しているような違和感。駆け寄ってくるステラを抱き上げ、椅子に座らせたイブは「グローリアは元気?」と問う。
「お義父様は元気ですよ。今日も仕事で忙しくしています」
「そ、彼が来るならダナンも喜んだでしょうに」
「喜ぶものですかね?」
「当たり前じゃない。多分グローリアはダナンにとって初めての友達なんだもの。私の知る限りではね」
「なら今度お義父様にも声を掛けてみますね」
「そうして頂戴」
感情の籠らない短い会話。リルスの料理を運ぶ為にキッチンへ足を運んだイブを見つめ続けたマナは、小さく頷くと微笑みを浮かべた。