命は力である。たった一つのかけがえのない灯を消さない為に人は生きる。
大切な命を守りましょう……それは何と耳障りの良い戯言か。本当に大切だと思っているのならば赤子が死なぬ世界を作るべきだろう。
人は支え合って生きている……欺瞞に満ちた言葉を吐くな。騙し騙されるのが人という生命体であり、偉大なる叡智を殺戮の為に使う愚劣な存在が人間だ。
真に人が命を大切に思っているのなら、戦争など起こる筈が無い。この世界には絶望だけが在り、希望の臭いは到の昔に失われている。偽りの平和を謳歌する中層街はホロ・モニターに映る青空しか知り得ぬ屑の集まり……歪んだ道徳を心に刻まれた盲目の羊達。
白銀の強化外骨格が唸りを上げ、生命維持装置が人工血液を人工筋肉に回す。黒く濁った血が装甲外へ排出され、濾過装置の中を潜り抜けて再びアディシェスの体内を巡ると彼はゆっくりと瞼を上げ、白衣を纏った少女を視界に収めた。
「アディ、教祖様の許可が下りたわ」
ベールで顔を隠した少女は強化外骨格の装甲を撫で、静かに言う。
「貴男が望む死を、貴男が求める戦争を、貴男の意思に任せるそうよ。アディ……貴男はどうするつもり?」
遂にと、やっとかと心が躍る。揺らめく命の炎が轟々と燃え上がり、朽ちかけた肉体が全盛期の若さを取り戻した感覚をアディシェスは心臓の鼓動で感じ取る。
戦争とは命の闘争であり、人間という生物が持つ本能が引き起こす事象。大地を焼き尽くす炎は理性を食む獣にして、血を求める悪意の走狗。内在する老いた獣を呼び覚まし、重々しい鋼の軋みを響かせたアディシェスは細い指先で戦闘コマンドを入力する。
「人は戦いの為に生きるべきなのだ、キムラヌート」
「……」
「戦士は剣に想いを乗せ、学者は筆に知識を込める。立場が違えども、両者は己の戦場に命を賭ける人間に違いあるまい。キムラヌート……貴様には理解出来まい、血肉が沸き立つ感覚が……魂を撫でる闘争の本質を」
「精神論よそれは。抽象的で感覚的……私が理解出来る範疇ではないわ」
「故に、貴様は学者なのだよ。戦士の私とは決定的に違うのだから」
「そうね、強化外骨格の調整は必要?」
「不要だ。これは私の肉身の一部、貴様からして見れば骨董品……。過去の残骸に等しい残り滓。戦士の為の死に装束なのだよ」
強化外骨格『震電』を纏ってから二百数十年……改修に改修を重ね、時代の最先端技術を取り入れた震電には過去の面影は無く、彼を生かす為だけに存在している生命兵器。頭部パーツで鈍色の光を発する複眼を煌めかせ、ありったけの武器武装を積んだアディシェスは下層街行きエレベーターへ進む。
「……死ぬつもり?」
「死ぬために戦うのではない」
「生き残るの? 死を求めているのに」
「生き残る為に戦うのは生者の特権だ」
「なら貴男は何の為に戦うの?」
「私が求める戦争の為に」
「戦争の後、望む死を得られなかったら?」
「また次の戦争を待つだけ……私を殺せる命を待つ」
何とも哀れな戦闘中毒者。満足出来る死を望みながら、納得できる戦争を求める愚者。仰々しい言葉を話すアディシェスの心は常に戦火を想い、烈火の如く命を蝕む悪意へ手を伸ばしているのだ。
馬鹿に付ける薬も無ければ、死が馬鹿への特効薬になる可能性もある。ベールの奥で溜息を吐き、腕に取り付けていたHHPCのコネクト・ケーブルを震電と繋いだキムラヌートは、事前に教祖から与えられたプログラムをコア・システムにインストールする。
「細工をするな物質主義者」
「無感動を冠する貴男に言われたくないわね。教祖様からの祝福よ」
「教祖様が?」
「えぇ、聖戦の駒を失うのは誰だって嫌でしょう? エイリーは別として、教祖様はまだ貴男を必要としているの。何故だか分かる?」
「戦場に慣れた戦士が必要だと言うのか?」
「質問に質問で返すのはマナー違反よ? けど……まぁいいわ。劣化ルミナの遠隔操作プログラム……これがあれば貴男が下層街の何処で戦っていようが、誰と殺し合っていようが教祖様が感知できるの。便利でしょう?」
「首輪を嵌めたつもりか?」
「馬鹿ね……保険よ」
狂犬に嵌める首輪は無い。常に吼え狂っている猛犬に口枷を嵌めたとて、いずれ食い千切って破るもの。だが、狂人を手懐け逆立った毛皮を撫でることが出来るのも、また狂人。
キムラヌートが崇拝し、心を預ける教祖は狂人を超えた聖人だ。狂っているからこそ人の本質を誰よりも知り、物事の在り方を感覚ではなく現実的な視点で捉えることが出来る。無理な理想を掲げるワケでもなく、地に足が着いた目標を語る姿に心を奪われた。それはアディシェスも同じだろうと、少女は思う。
「そういえば」
「……」
「貴男、昔は軍に居たんだって?」
「何故その事を聞く」
「教祖様から言われたのよ、貴男と話すように」
「そうか、なら話そう」
「ありがと。治安維持軍に居たの?」
「違う」
「なら何処の軍に」
「アメリカ軍海兵隊だ」
「……なにそれ?」
「貴様等塔の人間には知り得ない過去の軍。未だ世界が灰色の空に覆われず、隙間から青空が見えていた時代……。其処で俺は」
誰と何を話し、何を見た? 何故こんなにも戦争を望んでいる? 何故……死という概念を追い求めているのだろう?
昔……記憶の塵に埋もれた過去、何かあった筈だ。男と何かを語り、曲げられない決意を抱いた筈……。
「アディシェス? どうしたの?」
「……いや、何でもない。軍に居て、退役しても人を殺して、殺し続けて……。いや違う、ただ単に殺していたんじゃない……目的があったんだ。殺すことに意味があり、恐れられることに価値があった。だが……そうだ、戦争はもっと……違う意味を持っていた」
劣化ルミナが蠢き、脳細胞を刺激する。
真っ黒い影で覆われた男が静かな怒りを滾らせる。一人勝ちは許さないと牙を剥き、末代まで責任を問うと決意を焚べていた。
奴の名は何といっただろう? ……そうだ、あの地獄のような戦場であの男は笑いながら怒っていた。確か……奴の名は、
「ダナン……」
「え? なんて?」
「ダナンだ、そうだ……奴は責任の行方を追って、塔の内部へ侵入した。其処で……どうなった? 奴は生きているのか? 死んだのか? 分からない……」
独語を呟く痴呆症の老人のように、過去の記憶を手繰っていたアディシェスはキムラヌートを睨む。
「キムラヌート、ダナンという男を知っているか?」
「知らないわよ」
「なら覚えておくといい……奴は世界の誰よりも現実に怒り、理想を追い求めた男だ。私の戦友であり……憧れた男。私の戦争が成就し、満足する死を迎えた時その名を知っているのは貴様だけになるだろう」
「予言のつもり? 残念、生憎私はそういうオカルトを信じないのよ」
「予言でもオカルトでもない……これは事実だ。私が嘘を忌み嫌うのは貴様も知っているだろう?」
「まぁね。けど……貴男の相手はダモクレスじゃないの?」
「そうだ、奴との戦争こそが我が本懐。強者を討ち滅ぼし、その血を浴びてこそ我が渇望が満たされる」
「……狂ってるわ、貴男」
「狂っていなければ生きられまい……絶望に満ちた世界では尚更な」
プログラムのインストールを終え、エレベーター内に足を踏み入れたアディシェスは頭部装甲のしたで笑う。
願いの成就こそが生きる意味ならば、渇望の器を満たすのは己が命の再確認。猛スピードで落ちるエレベーターの重力に身を預け、来たる戦争に胸を弾ませたアディシェスは仄暗い闇に包まれた下層街を見下ろした。