殺し合いとは対等な敵とのみ成立する純粋な命の奪い合い。弱者を狩る行為は殺しに非ず、殺戮は単なる命の屠殺に過ぎない。端的に云えば戦いと虐殺は違うのだ。
強者と殺し合う瞬間の血が沸き立つ感覚を忘れられない。一手選択を間違えれば己が首が飛び、リアクター式機械心臓に刃が突き立てられる恐怖が獣性を呼び覚ます。双方の殺意が交錯し、生死を分かつ中で意思を酌み交わす。それは正に殺し合いという名の愛し合い。死が二人を分かつまで……戦闘は果てしない輪舞曲を奏で、終劇を遠ざける。
敵を殺さねば、対等に位置する相手を打ち負かさねば真の終わりはやって来ない。敵の血肉を装甲を通して感じ取り、徐々に薄くなる心音に耳を傾け死を意識する。己が意思で命を奪い、戯れで命を壊すのとはワケが違う。人間が同族へ意識を向けるように、虫螻や石ころを視界に収めぬように……ダモクレスにとっての殺し合いとは、相手を理解するための一方的なコミュニケーションツールであり、本人でさえも気付かない一種の愛し方でもあった。
殺して奪えばそれは全て自分の物になる。命、金、意思、肉体と……例え敵が死んだとしても、相手の何かを奪う事に意味がある。有象無象の弱者よりも、曲げられない信念や貫き通す意志を持つ強者こそ己に相応しい。何故なら、己は神ではないのだから。
神は万物を創造し、命を大地に撒き散らした無責任極まる大罪人だ。放任主義の究極とも云える神をどうして崇められようか。もし神が完全無欠の永遠であるとするならば、命は欠陥を持たない神の御子になれた筈だ。欠けた何かに嘆くことも、足りない何かに飢えることもなかっただろう。故にダモクレスは思う……所詮神など人類が作り出した妄想の存在に過ぎず、人間こそが神を持つのだと。
犬畜生や獣に神が何たるかを聞かせるのは無駄だ、奴等は人語を理解できないのだから。
神を信じぬ者に主の何たるかを説くのは無価値と断じよう、無神論者は既に神を抱いているが故に。
神とは人間であり、人間とは自己に神を宿す永遠の探求者である。答えの無い方途を彷徨い、欲望という名の篝火を求める者。己が渇望に気付かぬ者は永久の路に迷い、欲望だけを求める者はその業火に焼き尽くされる。進めば地獄、戻れば奈落……人はこの世に産まれ落ちた瞬間より畜生道を歩む運命にあり、修羅道を見定めねばなるまい。
鋼の巨躯を唸らせ、機械の軋みをあげたダモクレスは冷酷な笑みを浮かべながら己の前に立つデュードを一瞥する。無頼漢の最古参であり、己と最も長い付き合いとなった男は手足から奪った右腕をぐるりと回し、椅子に腰掛けた。
「旦那」
「……」
「アンタとは長い付き合いだけどよ、そうして落ち着いてるのは初めて見るな」
煙草の紫煙が部屋に充満し、白い壁を作っている。腕を突き出せば簡単に破くことが出来る脆弱な壁。火種が燻る煙草を口に咥え、煙を吐き出したダモクレスはデュードへ一冊の本を投げて寄越す。
聖書……世界で最も発行された宗教書。赤黒い染みが白い表紙に点々と付き、よれた頁が目立つ本を捲ったデュードは折り曲げられた頁で指を止めた。
「神ってのは欺瞞と疑念の集合体だ」
「……」
「愛を教え、試練を与え、逃げ道を用意する。俺ぁ聖書に書かれている言葉が嫌いだし、全ては嘘っぱちだとも思っている。だが、見習うべき点も多々あるんだよ。分かるか? デュード」
「……さぁな、俺にはサッパリ分からんぜ。そもそも俺はアンタみたいに本を読んだ事がねぇ。特に宗教なんていう塵の思想は唾棄すべきもんだとも思ってる。違うか? 旦那」
時々……否、よくダモクレスは哲学的な話をする時がある。それは壮大な語り口であったり、厳粛な言葉であったり……。今まさに小難しい話をしようとするダモクレスへ内心溜息を吐いたデュードは機械腕の装甲板を軽く叩いた。
「化け物は人間が殺すべきだ。人間は化け物に殺されるべきだし、同族に殺される運命にある。俺は常々化け物……人間の脅威であろうとした。人間は神を持つ……自分だけの神を、一人ひとりが必ずな」
「アンタは化け物ていうか狂人の類だろうに。マトモな人間……それこそ薬をやってねぇ人間は神を信じながら、否定するだろ?」
「否定して、肯定しようとも逃げられない。狩人が獲物を追い求め、矢を射るが如く。俺は人間を求めていたが、結局のところ俺が認めた神を持つ奴は二人だけ。そう……ダナンだ。奴こそが俺が求める強者であり、神を抱く人間。そして」
俺は奴とは別の神を宿す信教者よ。獰猛な殺意がダモクレスの装甲から溢れ出し、機械眼がギョロギョロと蠢いた。
彼を狂っていると糾弾するのは簡単だ。妙な言葉の羅列を多用し、マトモな精神状態ではないと捨て置くこともできる。だが、それは無理な話だろう。
何故ならダモクレスの強さが許さないから。同じ機械体であろうとも赤子の手を捻るが如く叩き潰し、生身の人間では手に負えない圧倒的武力がダモクレスという狂人に揺るぎないカリスマ性を与えているからだ。強者が笑い、弱者が泣く下層街では彼こそが支配者に相応しい。
「デュード」
「あぁ」
「紛争が何を意味するか知ってるか?」
「いいや」
「戦争の前準備だろう」
「揉め事だと思うがね」
「違う。紛争で燃え上がった種火は何処に燃え移ると思う? 人か? モノか? 思想か? 答えは全部だ。全てを飲み込んで燃え上がった炎はやがて戦争という名の大火となる。だが……その本質は結局のところ火種のように燻る矮小な欲だ」
「……アンタ、誰と戦争をするつもりだ?」
「亡霊だ」
「幽霊とでも戦うのか? 馬鹿げてるぜ、アンタ」
「デュード、お前は何を気にしている? 無頼漢の体裁か? それとも自己保身か? 馬鹿馬鹿しい……一番最初に言った筈だぞ? 俺は自分の為に無頼漢を作り、自分の為に全てを壊すと。その時が来たんだよ、もう後戻りは出来ねぇ」
グツグツと煮え滾るマグマのような殺意がデュードを貫き、機械体であるのに冷汗が流れたような気がした。
「敵は誰だ」
「さぁ? 誰だろうな」
「教えてくれよ旦那、俺は何をすればいい」
「お前の好きなようにしろ。俺は奴のところに向かう」
「奴って?」
「ダナン……いや、時代遅れのカウボーイの亡霊か? それとも……戦争を求める幽鬼か? どうでもいい。奴等が俺と対等に……俺を超えるなら結果を飲み込むことができる。だが、少しでも遅れを取ったりでもしたら認めない。そうなったりでもしたら、奴はダナンなどではない。ただの偽物……紛い物だ」
血に飢えた獣のようでありながら、人間染みた理性を垂れ零すダモクレス。遂に大きな溜息を吐いたデュードはクツクツと笑い、
「アンタ、変わらねぇな」
と、煙草に火を着ける。
「安心したよ、あぁ……多分アンタについて来たのは間違いじゃなかった。今はそう思う」
「じゃぁ、俺の言いてぇことは分かるな?」
「分かりたくねぇけど、分かっちまうんだよなぁ。ある意味これが無頼の到達点……無法者が成す最後の仕事。頼りもせず、任せず、依存しない……個として生きる有り様か? まぁいい、俺は勝手にするし、他の構成員にも同じように言っておく。それでいいな? 旦那」
「理解が早くて助かるぜ、じゃぁな」
デュードの肩を叩き、アジトを去ったダモクレスは乾いた空気を吸う。
己が内で蠢く疑問に決着をつけなばなるまい。何故ダナンという存在に固執し、執着するのか。何故あのカウボーイの息子を同じ存在と見做しているのか。きっとその答えは戦いの中にあり、命が最も輝く瞬間にある筈だ。
「全部、何もかもを、終わらせようぜ? なぁ、ダナン」
永遠の意味もまた、殺し合いの中にあると。そう頷いたダモクレスは煙草の吸殻を吐き捨てた。