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哀歌 下

 「い、イブ、リルス! ダナンが!」


 「落ち着きなさい、ステラ」


 「でもッ!」


 「それでも……これはダナン自身が決めたことよ。私達にとやかく言う権利は一つも無いし、どうすることもできないの。分かって頂戴」


 納得できないと狼狽え、コーヒーを啜るリルスに詰め寄ったステラは、イブへ視線を向ける。


 「イブ!」


 「駄目よ」


 「どうして!?」


 「ある意味……ダモクレスと決着をつけるのは彼にとってのケジメなのよ」


 椅子に腰掛けたイブは銀翼を身体に纏い、ネオンに煌めく下層街居住区を見つめる。


 「ケジメ……?」


 「えぇ、ダモクレスがダナンの過去に関係があるのなら、嫌でもそれに向き合う必要がある。ダナンとダモクレス……ステラも知ってるでしょう? 殺し合う二人の関係を」


 「……」


 知っている。殺意を滾らせダナンの命を狙うダモクレスと、彼と同じように全力で牙を剥くダナンの姿を……ステラは覚えている。


 「……無視、すればよかったんじゃないの?」


 「……」


 「ど、どうせ中層街に行くんでしょ? なら、ダモクレスとか、三組織とか、そいつらとの関係を断てばいいのに……そうしたら」


 「そうしたら何? 奴等が追って来ない保証があるの?」


 「……」


 「ステラ、ダナンのケジメは自分の為でもあるし、私達の為でもあるの。中層街に移住したとしても、身の安全が保証されるワケでもない。組織の連中が因縁をつけて私達に危害を加える可能性もある。それを防ぐ為にダナンはダモクレスに会いに行ったの。決着とケジメの為に、一人でね」


 何も言い返せなかった。リルスの言っていることは正しいと、間違っていないと、頭の中で理解しているから。拳を固く握ったステラはイブの隣に座り、息を深く吐きながら項垂れる。


 もし己がもっと戦えていたら、ダナンやイブと同等の力を持っていたとしたら、彼がドアノブを握った時に装備を整えていた筈だ。今こうしてどうしようもないと嘆き、うだうだと迷っているのは、ダナンの足を引っ張ると分かっているから。ダモクレスにとって、己は道端に転がる石ころでしかない。


 「……ステラ」


 「……うん」


 「自分が無力だって、そう思ってるの?」


 「当たり前じゃん……もしアタシがイブみたいに戦えたら、ダナンを一人で行かせなかったよ。けど……自分でも分かってる。私が付いていったとしても、意味が無いって。アタシは……それが嫌なんだ」


 「……私は違うと思うわ」


 「どうして?」


 ステラの頭を優しく撫で、イブが微笑む。


 「貴女はダナンが帰って来る場所なのよ」


 「帰って来る場所?」


 「えぇ、だってそうでしょう? 必ず戻るとか、絶対に帰って来るだなんて聞いたことが無いし、この中で一番付き合いが長いリルスだって言われたことが無いのかもしれない。ステラ、貴女は決して無力じゃない。だって……彼の選択に影響を与えてるのは他でもないステラなんだもの」


 「私が……?」


 「えぇ」


 ありえない。己のような弱者が、ダナンに影響を与えているだなんて信じられない。反論しようとしたステラの唇を人差し指で押さえたイブは、そっと首を横に振るう。


 「リルス」


 「なに? イブ」


 「馬鹿なことを言うかもしれないけど、聞いてくれる?」


 「どうぞ?」


 「……ダナンの後を追うわ。嫌な予感がするの」


 ゆっくりと椅子から立ち上がり、ベランダの窓を開け放ったイブが七色の瞳をリルスへ向ける。色鮮やかなネオンが反射する美しい瞳。


 「理由を聞いてもいい?」


 「……」


 「話せないことなの?」


 「そうね」


 深い溜息を吐いたリルスは、同じテーブルでコーヒーを飲むマナとイスズを一瞥し、


 「貴女が行かなきゃダナンが危ない。そう言いたいワケ?」


 「……どうかしら」


 「どうもこうも無いわ。イエスかノーの簡単な二択じゃない。どうなの? イブ」


 「なら……答えはイエスね」


 「そ、なら行きなさい」


 「止めないの?」


 「止めても聞く腹じゃないでしょ? 安心しなさい、帰る場所は用意しておくから。そうね……もしダナンが動ける状態じゃなくなったら階層間エレベーターに運んで貰ってもいい? 待ってるから」


 「……ありがとう、イブ」


 ベランダの縁に足を掛け、銀翼を広げたイブは強烈な爆炎を眼に映し、鋼鉄の空から流れ落ちる星屑へ視線を移す。星屑は閃光を纏いながら一直線にあるべき場所へ向かっており、其処はダナンの育ての親が眠る墓地だった。


 「イブ!!」


 「ステラ、大丈夫よ。絶対に戻って来るから。ダナンを連れて……必ずね」


 「嫌だよ! 二人とも居なくなるだなんて……やめてよ!」


 「ステラ!」


 「ッ!?」


 リルスの声にビクリと身体を震わせ、恐る恐る少女の方を向いたステラは息を飲む。


 下唇を噛むリルスがテーブルを叩き、煙草を口に咥えていた。彼女が煙草を吸う姿など一度も見たことが無いし、ダナンのように紫煙を纏う姿が想像できなかったのに。


 「覚悟を決めた人間の手を引くのは愚者の行いよ。ダナンは私達の為に戦うし、イブはダナンの為に戦おうとしてるの。私と貴女にできることは信じて待つこと。もう分かってるんでしょう? 貴女も」


 「……」


 はらりと涙が溢れ出し、バレないように手の甲で拭う。一度手に入れた夢を零れ落とさまいと、必死に。


 「リルスは」


 「……」


 「それで、いいの? 信じて待つことができるの? 二人とも帰ってくるって……そう思ってるの?」


 「どうかしら」


 「どうかしらって!」


 「でも、信じるしかないでしょう? 私はダナンのことを信じてるし、アイツが帰って来ないだなんて信じない。一つ言うなら、ダナンは絶対に生きて戻ってくるわ。今までもそうだったように、必ずね」


 冷静と呼ばれる無貌の仮面を貼り付け、コーヒーカップを傾けるリルスの手は僅かに震えていた。


 一見冷酷に思える言葉の裏には無数の不安が蠢き、焦りの感情が渦巻いている。それを察したステラは己の頬を両手で叩き、イブの裾を掴む。


 「……絶対に、帰ってきてくれる?」


 「えぇ」


 「ダナンも一緒だよ?」


 「勿論よ」


 「もし」


 「……」


 「もし帰ってくるのが遅くなっても、待ってるから。ダナンとイブが戻るまで、リルスと一緒に。だから……行ってらっしゃい、イブ」


 「……あろがと、ステラ」


 銀の翼を羽ばたかせ、居住区へ飛び立ったイブを見送ったステラは温くなったコーヒーを啜る。舌に残る苦みを感じて。



 ………

 …………

 ……………

 ……………

 …………

 ………



 「よぉ、時代遅れのカウボーイ。骨だけになっちまうたぁお前らしくねぇ」


 仄暗い闇に包まれた墓地にダモクレスの声が木霊する。


 「お前の息子は活きの良い戦士に成長したぜ? まぁ、お前は遺跡発掘者として育てていたみたいだが、修羅道に身を置いていた餓鬼がそう簡単に戦いから遠ざかれる筈がねぇ。分かってるよな? カウボーイ……いや、ダナン」


 手に持っていた酒瓶を握り砕き、ウィスキーを墓石にかけたダモクレスは鋼の軋みを響かせながら地面に座る。


 「永遠は無い。神ですら永久の命を創造するに至らず、人に定命という不完全さを与えただけに過ぎず。曰く、人間とは神の地上代理人であり、神とは人間に宿る永久不滅の主であらん。下らねぇと思わねぇか? 俺ぁ違うと思うぜ」


 グラグラと煮え滾る殺意の奔流と醸造された死の香り……。機械眼に鈍色の光を宿したダモクレスは迫りくる宿敵の気配に心を踊らせる。


 「永遠は在る。それに気付かねぇだけさ、人間って奴は。テメエの息子がダナンの名を受け継ぎ、その名を名乗り続ける限りテメェは仮初の永遠を手に入れるに至った。だから……俺は俺のやり方で永遠を手に入れる。殺し合いを通じ、命の奪い合いの中で永遠を見出そう。面白いと思わねぇか? なぁ……ダナン」


 その前に……邪魔者を始末しよう。ダモクレスの電磁バリアが紫電を奔らせ、ミサイルを木っ端微塵に粉砕し、


 「よぉ亡霊……俺に何か用か? えぇ?」


 純白の強化外骨格を纏うアディシェスを睨みつけた。






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