窪んだ眼の奥に見えるのは白く濁った藍色の瞳。頭部装甲と直結されている呼吸器官から疲労混じりの息が漏れ、肉の装甲を解除したアディシェスはバイオバーツで構成された槍を手放す。
劣化ルミナを纏える時間は多くない。一秒ごとに細胞と混ざりあったナノマシンが無理矢理引き伸ばされたテロメアを傷付け、崩壊寸前の肉体を蝕み侵すのだ。もとよりアディシェスの身体は劣化ルミナ―――4i.Adyeshachに適合できるものではなく、彼がクリフォト汚染に耐え、力を振るえるのは並外れた精神力を持っていたからだろう。
ぐらりと巨躯を揺らし、壁にもたれ掛かったアディシェスはやっとの思いで立ち上がったダナンを睨む。かつての友の名を語りながら、姿形を変えて現れた死霊の類。戦闘継続装置を起動しながらハンドキャノンを構え、ネプライザーの霧を吸い込んだアディシェスは一歩足を踏み出し、ダナンの首を鷲掴みにする。
「貴様は一体何者だ? 貴様がダナンである筈がない……奴が生きていれば私と同じ死に体か、生きる屍そのものだろう。だが、奴はそんな選択をしない。アイツが……誰よりも怒り狂っていた男が無意味に命を長らえるとは考え難い……。もう一度問う、貴様は何だ? 小僧」
「俺は」
コンクリートの壁に思い切り頭を叩きつけ、純白の外骨格が返り血に濡れる。ダナンが何かを話そうとする度に目を覆いたくなるような暴力が彼の口を無理に閉ざし、舌の根が乾かぬようにと言葉の代わりに血を吐き出させる。
質問の答えを知りたいが、聞きたくもない。何故この青年が友人の名を持つのか、何故ダモクレスが一人の人間に執着するのか……その情報を欲する度にアディシェスの身体は制御不能な暴力を行使し、答えから遠ざかる。矛盾した二律背反、噛み合わない思考と行動、震え狂う淀んだ瞳……。鮮血に染まり、ダナンがルミナの力で再生する毎に彼の頭を叩き割ったアディシェスは、煮え滾る罪悪に悶え苦しむ。
無意味な暴力は虐を孕み、無価値な狂気は理性を灰燼に帰す。無感動の劣化ルミナを体内に宿しながら、激情の渦に身を沈めるアディシェスへダナンはへレスの刃を突き立てる。
「……」
「まれ」
肉を抉り、骨を削った刃に鮮血が流れ落ち、地面に赤の点を描く。純白の装甲と対を成すドス黒い瞳が外骨格の関節部位を見据え、渾身の力でアディシェスの腕を綺麗に斬り落としたダナンは切断面に蹴りを入れる。
「黙れってんだよッ!! 俺はダナンだ!!」
ブーツの爪先にベッタリとこびりついた血肉の欠片。黒い線虫が落ちた腕に這い伸び、付け根と繋ぎ合わせると装甲諸共修復する。
劣化ルミナは滅ぼさなければならない。ダナンの思考にノイズが奔り、本来の目的であるダモクレスとの決着を遮ろうとモザイクで染める。だが、それ以上に……青年の意志が意識の上書きを激情を以て塗り潰す。
コイツを殺すのは後だ。先ず己がやるべきことはダモクレスを殺すこと。唖然とするアディシェスの腹に超振動ブレードを突き立て、一気に押し倒したダナンは顔を滅茶苦茶に斬り裂き、その奥にある素顔に息を呑む。
干し首のように干乾びた老人の顔と、穴という穴に伸びた管。口を覆い隠す二つのマスクには緑色の液体延命薬が流し込まれ、過酷な戦いに身を投じる為の戦闘続行麻酔薬が常時投与されていた。
亡霊……ダモクレスはアディシェスをそう呼んでいたことを思い出す。老人の惨状を目の当たりにし、刃を止めたダナンは人の形をした異形に嫌悪感を覚え、呼吸を乱す。
「醜いか?」
「……」
「この顔を見たのは我が教祖様と貴様の二人だけだ。生きることも、死ぬことも叶わぬ老人の顔を見て、二百年間絶えず死を求めた結果が私だ。何とか言ったらどうだ? 小僧」
腹を蹴り飛ばされ、瓦礫の中に突っ込んだダナンにアディシェスが歩み寄る。
「小僧、貴様の名は誰から貰った」
「……」
「下層街の文化……否、文化と呼ぶには拙い作法は知っている。ダナン……俺が知る限り、塔に奴が侵入した形跡は無かった。
大戦から暗黒の時代、権力と暴力が入り混じる混沌の時代、人類が大地を捨てた方舟の時代、そして堕落と栄光が実る塔の時代……全ての時代をこの目で見つめ、過ごしたきた私がダナンを見失う筈がない」
じろりとダナンを睨みつけ「いや……待て」と呟いたアディシェスは頭の天辺から爪先まで青年を観察し「貴様、混ざっているな?」勝手に納得する。
「混ざって……いる、だと?」
「あぁ、そうか……そういうことか」
「一人で納得―――」
「戦争は、あの時の憎しみと怒りはまだ続いている。そういうことだな? クリフォト汚染、劣化ルミナ、NPC……EDEN。小僧、貴様は何時何処で名を貰い、揺り籠を覚えているか?」
先程の狂気とは正反対の態度を見せ、破損部位を修復したアディシェスはダナンを立ち上がらせると含んだように笑う。
「……」
「警戒するのは当然か、それも致し方無し。だが……そうだな。話せ小僧……ダナンの名を託した者の結末を。貴様に……希望を残した者の足跡、遺塵を」
「……昔」
「あぁ」
「昔、無頼漢に殺されそうになった時、カウボーイ風の老人に命を救われた。ダナンって名前はその人から貰ったもので、俺自身の名前は無い。生みの親の顔も知らないんだ、爺さんが俺の育ての親で……恩人だった」
下層街で生きる方法と遺跡発掘の仕事を教え込まれ、戦う術を仕込まれた。老人を尊敬していたし、彼に憧れてもいた。だが、甘い感情が命取りになる下層街で、老人は死んだ。最期の顛末を語り、ダモクレスへの憎悪を深めたダナンはアディシェスを押し退け拳を握る。
「俺は爺さんのようになれないし、なるつもりもない」
「何故だ?」
「俺には俺の家族……仲間がいて、そいつ等は俺が自分の手で握った奴等だから。もし俺が爺さんのような人を目指して、あの人の背中ばかり見てたら……俺が俺じゃなくなる。だから、俺はダナンとして生きる。その思いは……多分」
「間違っていないだろうさ」
ギョッとするダナンを一瞥したアディシェスの笑みは絶えず、
「そうか、あぁそうか……貴様は既に歩み始めているのだな。だからこそダモクレスを殺そうとしているし、過去との決別を選んだとも言える。貴様がその言葉を吐いてしまえば、俺は何だ? 奴の言う通り……過去に縛り付けられた亡霊そのものか。だが」
道化として踊るのも悪くない……。鋼を軋ませたアディシェスは割れた窓を指差し、ダナンに問う。
「進むか戻るか……聞くのは野暮というものだろう。だが、貴様の意見を聞き入れるべきだと思う。小僧、貴様は一人でダモクレスを倒すことはできるか?」
「……倒すんじゃない、殺すんだよ」
「それは言葉の綾だ。私が問うているのは極めて現実的な話……やれるのか、無理なのか。どっちだ? 小僧」
「……無理だ」
「だろうな、私も一人では奴を倒せんだろう。故に、同盟を組む」
「同盟?」
「如何にも。貴様と私、そしてこれからやって来るであろう片翼の聖天使で奴を討つ。端的に言えば共同戦線だ」
一人で倒せないのなら二人で殴る。二人でも殺せないのなら三人で牙を剥く。背部バーニアを再形成したアディシェスを見つめ、逡巡したダナンは彼の隣に立つ。
「足、引っ張るなよ」
「それは此方のセリフだ」
「お前が死んでも、それは自業自得……俺は何も感じない」
「その方が気楽でいいだろう? 私も同じだよ、小僧」
「ダナンだ」
「……」
「それが俺の名前で、俺の仲間はみんなそう呼んでいる」
「そうか、なら私のことは……アディとでも呼べ」
「あぁ」
アディシェスの背にしがみ付き、鋼鉄板の空を舞ったダナンはダモクレスを睨み付け、再び戦場に降り立った。