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死ぬのは奴だ 下

 「……」


 血に濡れた手で眼を擦り、鉄臭い息を吐く。


 「……」


 「どうしたのダナン、黙っちゃって」


 「どうして」


 どうして此処に来た―――。その言葉を吐く前にダナンの頬が蹴られ、血の香りが口いっぱいに広がった。


 「どうしても何も、貴男が危ないと思ったから来た。それだけの理由じゃ不満? もっとドラマチックな感じで言えばいい? 残念、私は其処までロマンティックになれないの」


 「別に……お前にそんなものを求めちゃいない。だが、アイツ等は……ステラとリルスにはお前が必要だ。無事に中層街に行くまで」


 「貴男が居なくても大丈夫なように私を残してきた。ダモクレスと戦えば街一つ無くなることを知りながら……違う?」


 違わない。イブから目を逸らし、唾液混じりの血を吐き捨てたダナンは接合部が露出した神経接続部位を撫でる。


 これ以上失いたくないから一人で決着をつけに来た。自分がどうなろうと、敗けてしまっても構わない。ダモクレスの前に倒れ、命が潰えてしまっても仲間達が生きてくれたらそれでいい。ステラならばリルスとイブが守ってくれる。自分が居なくても……問題ない。


 舞い散る火花と迸る紫電の鞭がダナンの頬を焼き、灰色の髪を焦がす。六枚の銀翼を巧みに操り、高圧電流を纏う電磁クローの一本を斬り落としたイブは青年を抱え、黒の空に飛び上がる。


 「ダナン」


 「……」


 「独りよがりの自己犠牲ほど迷惑なものはないわ」


 「……」


 「確かに貴男はルミナに適合した唯一の人間で、常人を超える力を持ってるわ。けど、精神は慙無愧から程遠い一人の人間よ? 勿論……私もね」


 接続部位から流れ落ちる人工血液が大地に染み渡り、生臭さと機械燃料が入り混じる嫌な臭いを発していた。赤黒く、粘性を帯びた屍血のような、生者が持ち得ない腐った血……。イブの七色の瞳を一瞥し、唇を噛んだダナンは「だけど……俺が終わらせなきゃいけないんだ。俺だけが……ダモクレスを殺せるから」声を絞り出す。


 「イブ、お前が言ってることは正しいと思う。自己犠牲……綺麗な言葉だよな、下層街じゃあり得ない」


 「そうね」


 「別に憧れてるワケじゃない、自分の命を投げ捨ててまで戦う人間に。そんな奴は気が狂った馬鹿か、自分に酔っている阿呆だ」


 「けど、今の貴男はその馬鹿か阿呆よ? 分かってる?」


 分かってる。無謀な戦いに挑み、痛みと絶望に挫けそうになっている人間が己だ。ダモクレスを倒せる確証も無く、殺せる方法を思い浮かべることが出来ぬ愚者。


 「俺は」


 「どうしたいの?」


 「……」


 「ダモクレスを殺したいの? それとも倒したいだけなの? それとも……自分と折り合いをつける為に、過去と決別する為に戦うの?」


 イブとアディシェス、そしてダナンの三人がかりで戦ってもダモクレスは倒れないだろう。多勢に無勢という戦況に嬉々として飛び込み、苛烈極まる攻撃を加えてくる筈だ。アディシェスが死んでもどうとでも思わないが、イブが命を落としてしまうことに恐怖する。


 激昂しながら電磁槍を投げ放ち、銀翼の一枚を破壊したダモクレスが小型ミサイル・ランチャーを乱射する。夜に咲く花火を思わせる爆炎の中、イブは銀翼を三枚重ねて盾を作り、レーザー・ライフルの一撃を真正面から受け止める。


 結局……仲間の為、未来の為と言い張るのは彼女が言った自己犠牲、心理的自慰行為に過ぎないのだ。誰かの為という意志を己の役割として見繕い、戦う為の言い訳にする狡賢さ。身勝手な我が儘にそれらしい理由を取って付けた傷だらけの心。


 「けど」


 「……」


 「ダナンがどんな理由で戦おうが、何の為に血を流そうが、それで貴男自身が納得するならそれでいいんじゃない?」


 「……けど、それじゃ、何も変わらないんだ」


 「そうね、だからどうしたいの?」


 「……イブ、一つだけ頼みがある」


 「聞いてあげる」


 「俺と」


 戦ってくれるか? 俺の為に、俺が明日に進むために……。瞬間、銀翼がレーザー・ライフルの光線を弾き上げ、ダモクレスの電磁バリアと激突する。


 「当たり前じゃない」


 「いいのか?」


 「水臭いこと言うわね、家族で仲間なんでしょ? 私達は。なら運命共同体として戦うのが筋ってものだと思うわ。違う?」


 「なら」


 「先ずは無くなった腕の調達よね」


 ダナンを地面に投げ飛ばし、猛攻を防ぎながら土を掘り返したイブは朽ちかけた墓石を指差し、


 「その墓の下に腕があるわよね? それを使うわ」


 「墓の下って、此処は爺さんの墓だぞ!?」


 「使えるなら使うべき、死人に口無しって良い言葉だと思わない? ねぇ、ダナン」


 悪趣味な使い方だが、彼女の言っていることは正しい。土の奥から育ての親の遺骨を引き摺り出したダナンは、右腕に取り付けられていた鈍色の機械腕を引き剥がす。


 黒鋼・零式より太く、分厚い装甲を持つ機械義肢。何時も煙草を挟んでいたせいか指先にはヤニが付着し、少しだけ黄ばんでいた。


 戦闘中だというのに懐かしさが胸に込み上げてくる。脳裏にカウボーイ風の老人の姿が浮かび上がり、紫煙の奥に佇むニヒルな笑みを思い出す。哀愁と郷愁が同じ色を帯び、別々の場所に立っていようとも……ダナンの心にある故郷は老人と過ごした事務所に違いない。


 過去と決別する為の戦いなのに、育ての親の義肢を使う。ブラックジョークにも程がある。だが、ダモクレスに打ち勝ち、明日に進む為には戦う力が必要だ。生唾を呑み込み、機械腕を神経接続部位に繋げたダナンの周りに銀翼が舞う。


 「十秒よ」


 「あぁ」


 「十秒後、また戦局が動く。劣化ルミナの保持者はどうするつもり?」


 「ダモクレスを殺すまで生かす。殺した後は奴も殺す」


 「そ、なら私から言うことは二つ。敵を見失わないことと、生きて皆の場所に二人で帰ること。守れるわよね? ダナン」


 「……イブ」


 「何よ」


 「悪いな、迷惑をかける。それと……ありがとう」


 「……複雑な気持ちね、色々と……本当に」


 機械腕の接続が終わり、システムの再構築をネフティスが急ぐ。使用者識別を完了させた戦闘支援AIは黒鋼・零式からのバックアップ・データを現在の機械腕に移行し、


 『認識完了、戦闘支援AIの人格プログラム再構築完了、黒鋼・零式のバックアップ完了、ルミナ・ネットワークの接続……成功。戦闘用機械義肢―――レスク・ウィア起動。内臓兵器、光芒―――展開』


 装甲の隙間に奔っていた赤のラインが緑のラインに変わる。


 「レスク……ウィア?」


 イブが大きく目を見開き、ダナンの腕を凝視する。


 『エネルギー変換開始、エネルギー・ブレード形成、活性化……完了。光芒、何時でもどうぞ』


 機械腕から伸びたエネルギー・ブレードが、一太刀でレーザー・ライフルの光線を引き裂き穿つ。


 一閃の光刃……その言葉が最も正しい例えだろう。敵のエネルギーを吸収し、超効率変換しながら破壊力を増す兵器―――光芒。鬼気迫る勢いでダモクレスの電磁バリアを斬り裂いた刃は、緊急展開された防壁をも焼き溶かす。


 「―――」


 脳にこびり付いた記憶がダモクレスの全身を駆け巡り、


 「―――」


 呼吸さえも忘れてしまう、美しき破壊に心惹かれた瞬間を思い出す。


 「あぁ……」あの刃が己を壊したのだ「あぁッ!」姿形は違えども「そこに居たのか、ダナンッ!! いや、時代遅れのカウボーイッ!!」歓喜に打ち震える心は、閃光を記憶に刻み込む。


 やはりお前は俺と戦う運命にある。


 死が二人を分かつまで……そんな小綺麗に飾り立てた言葉は俺達に相応しくない。


 きっと、こう思っている。こう考えているに違いない。


 死ぬのは奴だ―――。そうだろう? なぁ、ダナン。


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