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再起動 上

 弱者は死なねば変わらない。


 強者は殺してこそ牙を研ぐ。


 塔の下層に位置する街から秩序が失われ、人心そのものが歪み始めた時、人間を二つに分ける法則が生まれた。奪われ、犯され、殺される者とその全てを手に入れる者。弱肉強食の理———それが下層街に蔓延る絶対的なルールであり、人語を解さぬ稚児でさえ理解する不変の法。


 嘆く為の涙は到の昔に枯れ果て、眼球が浸るのは無色透明な血の泉。肉体に流れる血は鬱屈とした精神と共に腐り、肉を巡って溶け落ちる。正しさも間違いも、正義や悪も、この街では何の価値も持たないガラクタで、死肉の海に沈む朽ちた概念に過ぎない。


 優しさは罪である……災禍を招くが故に。


 甘さは罰であらねばならない……死に集る蠅屑を招く餌故に。


 人の形をした獣が跋扈し、他者を言葉を発する何かとしか見ない罪悪の都。地獄の入口に位置しながら、人が人を喰らう様はさながら食物連鎖を築く一つの星。これを煉獄と言わず何と言う。辺獄と呼ばずに何と呼ぶ。否、答えは決まっている。


 堕落した小さな地球……生物が喰らい合う罪悪の揺り篭。下層街とは妖星に違いない。地獄に満ちた都市であるが故に殺し合い、奪い合い、強者が弱者を淘汰するのだ。


 だが、そんな街であっても……強者が更なる強者に奪われる世界であったとしても、脳に焼きついた記憶が色褪せることはない。美しい破壊を力に変え、綺麗な意思を示す姿は希望の光に違いない。


 歓喜に心が震え、体内を駆け巡る人工血液の轟音に鼓膜がおかしくなりそうだ。鋼の装甲が軋み、前に進む足が焼死体を踏み砕く。血を流すダナンへ鋼鉄の手を伸ばし、電磁クローを展開したダモクレスは醜悪極まる満面の笑みを浮かべ、


 「テメエが生きるかくたばるか、俺が生きるかくたばるか———ケリ付けようじゃねぇかッ!! ダナンッ!!」


 両肩に背負ったレーザー・ライフルの銃口を構え、掃射する。


 「ダモクレスッ!!」


 「ダァナアァンッ!!」


 圧倒的質量の攻撃を光芒で薙ぎ払い、地面を蹴ったダナンの顔を電磁クローの爪が抉り取る。宙に舞った鮮血が熱線で蒸発し、生身の左腕を焼き焦がす。


 最早止まれぬ———二人の間にある殺意がそう嘯き、死を求める。何方か片方が死なねばこの戦いは終わらない。死ねば助かるのに……そんなちんけな言葉で心を取り繕っても、死にたくないと喚いても、狂気と混沌が支配する戦場では感情のブレーキが壊れてしまう。理性を薪として戦意に焚べ、本能のままに戦ってこそ殺し合いが成り立つのだから。


 光芒の刃が電磁バリアを斬り裂き、黒鉄の装甲に刃傷を刻む。焼け朽ちた緊急防壁を切り離し、総重量を下げたダモクレスは鋭い犬歯を剥き出しにして爪をダナンの背に向ける。


 どれだけ奴が再生しようとも、死なない身体であろうとも、完膚無きまでに叩きのめす。四肢を捥ぎ、臓物を撒き散らし、野犬の餌にしてくれよう。それでもまだ立ち上がるのならば……己が死ぬまで仕合うのみ。


 ダナンの背骨を貫こうとしていた爪が銀の翼で防がれる。片目だけを動かし、青年の援護に回っていたイブを見据えたダモクレスのレーザー・ライフルがエネルギーの充填を始める。


 「ちょろちょろ動き回ってんじゃねぇぞ!! 羽虫がよォォッ!!」


 殺し合いに踏み入る屑は消えてしまえ。この戦いは二人の明日を決める聖戦なのだ。男の戦いに女は不要。レーザー・ライフルの引き金を引き、銀翼で身を守ったイブを吹き飛ばしたダモクレスは激昂するダナンの腹を殴る。


 胃液を吐き出し、よろめいたダナンへ苛烈な攻撃を加え、瓦礫の山に叩き付ける。返り血を浴びながら電磁槍を抜いたダモクレスは衝撃を感じ取り、動けるまで回復したアディシェスを睨む。


 「先にテメエを殺してやろうか? えぇ? 亡霊」


 「殺せるものなら———」


 「殺してみろってかァッ⁉ ボケが死に腐れ!!」


 アディシェスへとてつもない勢いで近づいたダモクレスの鉄拳が、強化外骨格の装甲を砕く。彼にとって遠距離武器は牽制及び戦場破壊兵器である。本領発揮と言える近接戦闘において、機械で構成されたダモクレスを凌ぐ者は皆無。


 一度殴られれば内臓がひっくり返るほどの衝撃を受け、その余波で脳が揺れる。体内に存在する水分が振動によって泡立ち、血管内に空気が充満するような強烈な違和感。血を吐き、違和感を払拭する為に穴という穴から血が噴き出る矛盾反応。


 狂いそうになる心を精神だけで捩じ伏せたアディシェスは、ダモクレスの電磁バリアに肉の槍を突き立てる。闇を裂く紫電が純白の装甲を削り、舞い散る火花が角膜を焼いた。


 「ダナンッ!! 起きろ!! 立てッ!!」


 「……」


 「時間はそう稼げないぞ!! 貴様が立たねば、やらねば誰が殺るッ!! ダナンッ!!」


 「そうだダナンッ!! テメエはまだ立てる筈だ!! こんなガラクタで俺の戦いを、俺達の戦いを終わらせようとするんじゃねぇッ!! 立て、立ってくれよダナンッ!!」


 「……ッ!!」


 白目を剥いていた眼球がぐるりと回り、息を止めていた血が塊となって溢れ出す。


 よろめきながら立ち上がったダナンは傷だらけのまま歩を進め、敵の声援に支えられながら機械腕を振るう。


 馬鹿げている……そう思わずにはいられない。もとより勝算の無い戦いで、育ての親の機械腕を着けたからと言って何かが変わるワケでもない。所詮これは過去の遺物……遺産に過ぎないのだ。


 御伽噺や寓話に登場する伝説の武器でも何でもないタダの機械義肢……。今にも壊れそうな腕に縋り、己の運命を押し付けるなど間違っている。いや、壊れそうなのは腕ではない……何処かで諦めている自分自身だ。


 馬鹿で、愚かで、間抜けな己に嫌気が差す。何かが変わったと思っても、心の中にある意思は変わらない。身勝手な我が儘を振りかざし、自分勝手に突き進もうとする足は己を映す鏡であると同時に、死へ驀進しようとする歩み。


 だが———それでいい。そうしなければならないのなら、やれるのなら、やるべきだ。ダモクレスの言う通り、己はまだ戦える。アディシェスの言う通り、この手で奴を殺す。イブと共に……帰るのだ。みんなのところへ、仲間が待つあの場所へ、生きて帰る。


 「———ぉ」搾りかすのような声を張り上げ、へレスを抜く「———おぉッ」血に滑った手から、機械の腕に柄を持ち替え「オォおぉッ!!」血反吐を吐きながらダモクレスへ斬り掛かったダナンは、瞬時に瞳を潰される。


 ゲル状の粘液が頬を伝い、傷口に染みる。眼球が破裂しながら血と混じり合い、視界が黒に染まった。


 視覚が失われたと言っても敵は攻撃の手を緩めない。ならば此方も攻めるしか生存の道は無い。嗅覚と聴覚を頼りにダモクレスの頬に太刀を浴びせたダナンは、電磁バリアに焼かれながら光芒を展開し、バリアを構成するエネルギーを吸収する。


 「どうだ、まだ立てただろう? 俺に刃を当てることも出来た……そうだ、もっと戦え、もっと死線を超えろッ!! その為にお前は此処に居る!! 俺を殺す為に!!」


 「とっととくたばりやがれッ!! ダモクレス!! お前が死なねぇのなら、戦おうとするのなら、殺してやるよッ!!」


 「俺を殺せダナン!!」


 「死ね!! ダモクレスッ!!」


 死を狂気が塗り潰す。理性をかなぐり捨て、本能を殺意に変換してやっと同じ土台に立てる敵……それがダモクレス。


 見なかったことにはできない。感じ取られずにはいられない。逃げることはできない。


 アディシェスへ視線を送り、舞い戻って来たイブを一瞥したダナンは機械体を挟撃する形で再び牙を剥く。


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