「いいかいアディ、劣化ルミナの暴走は君にとっての禁じ手……正に切り札と言っていい」
重い沈黙が鼓膜を塞ぎ、純白の装甲を撫でた無貌の教祖が静かに語る。
「使う時が来たのなら、使わねばならぬ時が来たのなら、君が望む死の為に札を切り給え。アディ……君の求める死はどういう死なんだい? 教えてくれ、アディ」
蕩けて凝り固まり、混濁した思考。生きているとは老いが過ぎ、死んでいるにしても未だ心の臓は脈動を続けていた。
如何なる死を求めるか、それは己が満足する戦争の果てによる死である。
何故戦争の中で死を求めるか、それは己だけが生き延びてしまったから。
この思いはサバイバーズギルトとは言い難く、もしその傷を肯定してしまったならば、罪悪感を抱えた者達への無礼となるだろう。これは死に場所を見失った己の迷いであり、傷負い人に成ることを認められなかった罰である。
「罪悪の揺り篭に揺れるのかい? アディ」
純白の強化外骨格……命を繋ぎ止める生命維持装置にして、己を縛る鋼鉄の棺。幾人もの返り血に染まり、鮮血の香りが染みついた鋼は己が罪の証だと云えようか。
「贖罪を求めるが故に罰に喘ぐのか、罪に濡れるが故に悪に染まるのか……いや、君にとってそんな感情は無意味に等しいものだったね」
彼の言っていることは正しくもあり、間違いでもある。悪感情を否定したことは一度も無いし、罪と罰を意識しなかったことも一度も無い。己は教祖が託した劣化ルミナ・アディシェスに適合することが出来なかった。ただの一度も……胸の内から沸き上がるドス黒い感情を飲み込むことが出来なかったのだ。
「君は戦争を無価値と断ずることは無い。君は感情から来る罪悪を無意味と見ることも無い。だから未だ死に場所を求め、戦争を渇望し、鋼の中で震え狂うのだよ。あぁアディ、いや……アディシェス。無感情を冠する闘争の亡者……君が満足できる死とは何だい? 教えてくれ、アディシェス」
「私は……俺は」
納得できなかったのだ。ただ単に戦争の責任の在処を、死が蔓延する世界を知らぬ者達が笑って過ごす世界を許せなかった。
戦争を起こした挙句、責任を取らずにほくそ笑む権力者を殺さねばなるまい。
戦場を知らず、遺品を手渡した時にだけ泣き叫ぶ民間人を許せる筈が無い。
憧れを抱きながら吹き飛び、ただ屍が積み重なる現実を許容できるものか。
老いも若きも飲み込んで、夢も理想も粉砕する戦争が許せなかった。戦争という概念がある故に人は無知を装い混沌へ身を堕とす。一度経験したとしても、時が知識を風化させ、戦争という悪魔を呼び起こすのだ。
グレートリセットは望まない。全てを無に帰し、始めからやり直したとて人は勝手に争い殺し合う。原始の時代から連綿と続く歴史をなぞるが如く……人は過ちを繰り返す。
故に怒らねばならないのだろう、生者の為ではなく、死した者の為に。
故に憎しみを抱かねば進めない、戦争の糧となった者へ捧ぐ鎮魂歌を喉が枯れるまで歌おう。
埋没した屍がモノを語らぬならば、己が代弁者となるべきだ。
荒野に割かれた大地が泣き叫ぶのならば、己こそが亡者の地上代理人である。
「もう一度聞こうアディシェス……君が望む死とはなんだい? 君の望む戦争を教えてくれ……私が納得できるのなら、君に力を与えよう。狂える亡霊を呼び覚まし、亡者を狩る狩人の如き力……劣化ルミナ・アディシェス。クリフォト№4にして、無感情の名を冠する者。
さぁ……答えなよ、アディシェス」
受け入れるべきは憤怒に滾りし憎悪、燃やすべきものは泣き咽ぶ悲哀。
この身が未だ大地に在り、戦争を求めているのならば全てを破壊し尽くすまで。何時如何なる時代にも人類が戦争を繰り返すならば、己こそが戦争を体現する悪と成ろう。
罪に溺れし悪なる蟲どもを駆逐しろ。罰に狂う亡者へ鎮魂の調を語るべし。
「そうだ」
「俺が求める死は」
「君の求める戦争は」
死した兵への哀悼也。
黒い獣が吼え猛り、その背に繋がる黒騎士が肉の槍を構え直す。
槍の先に超高圧電流を迸らせ、下層街のビルを一撃で粉砕した半身半獣の騎士……劣化ルミナの暴走を自らの意思で引き起こしたアディシェスは、逃げ惑う人々を踏み潰しながら前進する。
罪無き者など居ない世界、罪深き者がのさばる堕ちた都市。泣き叫ぶ赤子を肉片へ変え、怯える男の顔面を槍で貫いた騎士は、己に敵意を向ける戦士へ視線を向ける。
「ダナンッ!! セフィロト・カウンターの準備は⁉」
「起動はもうしているッ!! 知恵の果実との接続が」
何をゴチャゴチャと話しているのか……戦場の迷いは刹那の間に命を刈り取り、死を叩き付けるというのに。
槍を振るい、ビルを薙ぎ倒しながら馬蹄を響かせたアディシェスは身構えるダナンへ槍を掲げ、宙を駆けるイブに稲妻を放つ。幾本もの予測不可能な軌跡を描く稲妻は、盾として展開された銀翼の隙間を掻い潜り、少女の胸を貫くと全身に電流を流し込む。
「———ギ、あッ」
「イブッ!!」
次はお前だ、混ざり物……否、紛い物と云うべきか? ダナンを睨み、右腕に荷電粒子砲を形成したアディシェスは銃身を背後へ向け、引き金を引く。
「効くかよッ!! んな攻撃!!」
装甲を削り抉られながら騎士の肩へレーザー・ライフルを撃ち込んだダモクレスがイブを腕に抱え、ダナンへ投げて寄越す。
「ダナン!!」
「ダモクレ」
「テメエの女くらい守って見せろや!!」
「ッ!!」
アディシェスの槍とギリギリの鬩ぎ合いを続け、ビルの瓦礫を盾にしたダモクレスが叫ぶ。
「亡霊はなぁ、この世界に居ちゃいけないんだよッ!! 死んだ人間は黙って腐れ死ね!! 生きた人間だけが言葉を話せる!! 邪魔なんだよ……亡霊がッ!!」
お前が望んだ戦争は永遠にやってこない。お前が求める死を最悪な形で迎えさせてやる。死した亡者に言葉は無く、生きる屍は口を噤んで死んでおけ。右機械腕を砕かれ、それでも尚戦意を燃やすダモクレスはアディシェスの足を蹴り折り、蒸気と共に溜息を吐く。
『ダナン』
「……」
『劣化ルミナ・アディシェスの状態を報告します。現在彼は暴走状態にありますが、意識と自我の存在も確認できました。如何致しましょうか?』
「……エーイーリーとはまた違うのか?」
『劣化ルミナ・エーイーリーは完全暴走状態にありました。クリフォト汚染を撒き散らし、完全なる破壊の獣と成り果てた保持者を人へ戻す術はありません。しかし……コード・ケセドを利用するならば可能性はあります』
「……数値にして何パーセントだ」
『10%にも満たない数値かと』
「……なら、やるべきだ」
イブの抱き、再生される少女の身体を見つめたダナンは唇を噛み締める。
『可能性は限りなく低く、成功したとしても暴走状態に移行した劣化ルミナは保持者を死に至らしめるでしょう。無駄、或いは無意味。そう思いませんか? ダナン』
「それでも……やれるなら、やるべきだ。多分……爺さんもそうするだろうし、俺もそれが正しいと思うから。ネフティス、イブが目を覚ましたら伝えてくれ。生かして殺すと。頼んだぞ」
『了解しました』
アディシェスを見据えたダナンはイブを瓦礫の影に寝かせ、緋色の装甲から熱を放出する。
多分……否、きっと、彼を殺せるのは自分しかいないのだろう。劣化ルミナの暴走を抑え込み、鎮圧する術を持つ者は誰でもない……自分だけ。
背部ブースターを吹かし、ダモクレスの頭上を駆ったダナンは肉の槍とエネルギー・ブレードを交差させ、
「ダモクレスッ!! 今だけだ、今だけ俺に手を貸せッ!!」
と、ドス黒い瞳を機械体へ向けた。