肉の槍を焼き払い、アディシェスの猛攻を紙一重で捌き切ったダナンは熱い息を吐く。喉の奥から込み上げる灼熱の息……それは感情の昂りからくるに非ず。物理的に熱かったのだ、五臓六腑を焼き尽くす熱が彼の纏う装甲を緋色に染め上げ、空気を捻じ曲げるほどの熱を生む。
一度でも気を抜けば、遺伝子レベルにまで融合したナノマシンが細胞の一片も残らさずに消し炭へと変えるだろう。否、一度などという悠長な時間は無い。一瞬だ、瞬き一つの間にダナンの心臓で蠢くルミナの蟲は完全暴走状態へ移行し、宿主をくびり殺す。宿主を糧として生きながらえる寄生虫のように、存在しない次の器を探すか元の持ち主へ戻るのだ。
理性と本能、冷静さと狂気の境目。装甲を削る稲妻の一撃を受け、バランスを崩したダナンは瓦礫の山へ叩き落されると同時に、不定形な肉の矛を視界に映す。
気を失っている場合ではない、ノビている暇は無い、直ぐさま体勢を立て直し迎撃に移れ。ブースターから蒼い炎を噴き出し、錐揉み状態になりながらビルの外壁に激突したダナンへ、アディシェスは冷酷な眼差しを向ける。
何の感情も映さぬ冷え切った瞳……。ギラギラと燃え盛る真紅の色を宿しながら、その奥に在る感情は果てしない無。殺しを当然として受け入れ、逃げ惑う生者を殺戮せしめんとする半人半獣の黒騎士は、肉片と化した死体を踏み潰す。未だ潰えぬ命を求め、死を与えんが為に。
溶岩を思わせる血を吐き捨て、エネルギー・ブレードを構えたダナンはビルを蹴り砕くとバイザーの下で牙を剥く。流れる血に戦意を滾らせ、燃える血を殺意に変えて。
己がどうなってもいいとは口が裂けても言えなかった。もし此処で無意味な自己犠牲を捧げてしまえば、イブに呆れられてしまうから。
生きて帰る必要があった。ステラにはまだ己が必要で、彼女のこれからを守る責任があったから。
たった一つの……自分の手で掴み取った家族を守らなければならなかった。帰る場所があり、共に過ごす仲間……偽りの家族であっても、そこに絆を感じてしまったが故に引き返せない。リルスが待つ家に、みんなが待っている場所に必ず生きて帰る。
エネルギー・ブレードと肉の槍が激突し、砂塵が舞う。一歩、また一歩と前へ進み、割れたバイザーから血が吹き飛んでも瞼を閉じない。声にならない声で叫び、肉の槍を粉砕したダナンは一気にアディシェスの懐に潜り込み、機械腕に組み込んでいた刀剣へレスへエネルギーを回す。
その程度か―――。何処からか声が聞こえたような気がした。アディシェスの瞳が落胆の色に染まり、憤怒を帯びる。
貴様程度の存在、我が望む戦争に不必要だ―――。破壊された肉の槍が黒い線虫に覆われ、より鋭利で荒々しい形状に変異する。
穿ち、貪り、貫き、砕け。脳に直接響く声は酷く疲れた老人のものであり、憎悪に塗れた怨嗟の声。アディシェスの身体から幾重もの刃が形成され、その凶刃を一本引き抜いた黒騎士は右腕から禍々しい霧を漂わせた。
本能が逃げろと叫ぶ。闘争心が危機を知らせ、退けと指令を下す。アディシェスから距離を取り、周囲の空気を揺らめかせたダナンは生唾を呑む。
刃に危機感を抱いたワケではない。アディシェスが持つ武器はどれも装甲を容易く削り、穿つ驚異的な兵装だ。槍から迸る紫電の稲妻、圧倒的な体躯、命へ対する非人間的な感情……生者よりも死者の側、個人で戦争を引き起こすには十分な力は恐怖そのものだろう。
だが、そんなものよりもダナンが最も危機を感じ取ったモノは黒い霧……アディシェスの右腕から漂う粒子状の物質だ。
『ダナン』
「……」
『劣化ルミナ・アディシェスの粒子には注意して下さい』
「詳しく話せ」
『アレは毒です。クリフォト汚染を人為的に撒き散らし、戦場へ死を与える汚染殲滅式兵器。アディシェスの特異性は貴男方が言う毒素を自在に操る力です』
「それじゃ」
『そうです、長時間の戦闘は下層街を死の都に変えるでしょう』
冷えた汗が装甲の下に流れ、死体を腐らせる粒子が炎によって吹き上がる。
『時間がありません』
分かっている。
『劣化ルミナ・アディシェスの鎮圧を急いで下さい』
這い寄った粒子が罅割れた装甲の隙間から入り込み、肉体の隅々まで血に乗って巡る。
「―――ッ!?」
気が狂う程の激痛と脳を掻き混ぜられるような不快感。ジタバタと転げ回り、身体の内側から肉が腐る感覚を生きたまま味わったダナンは、ルミナによる再生修復の地獄を見る。
『ダナン、落ち着いて下さい』
「―――」
『貴男は死にません。ルミナを宿している限り、ナノマシンが齎す毒素は浄化されます。冷静に、気を乱さず、敵を見据えて下さい』
そんなことができるものか、見ろ、身体が腐り果てて往くのだ。血管が一本ずつ溶け腐り、血が屍血に変わって往く。分からないだろう? 分からなだろうさ、AIであるお前にわかるまい。ネフティス、ねふてぃす、ネフ―――
「なぁに狂ってやがる、俺以外の奴に。なぁ、ダナン」
レーザー・レイフルの閃光がダナンを撃ち抜き、彼の中のルミナを活性化させる。
「お前は俺を殺す為に戦え、俺もお前を殺す為に戦う。違うか? いいや、違わない。違うなんて言わせない。殺し合いの為に俺達は同じ戦場に立つんだよ、殺し合ってやっと俺達は理解り合える。そうだろう? ダナン」
破壊された右腕から赤黒い人工血液を垂れ流し、真紅の機械眼を輝かせた鋼鉄の完全機械体……ダモクレスがレーザー・ライフルを撃ち放つ。粒子に侵されながら、鋼の唸りを響かせて。
「ダモ……クレス」
「ノビてんじゃねぇ、頭を垂れるんじゃねぇ、狂ってんじゃねぇッ!! おいおいダナン、お前はこの程度でくたばるタマか? 俺以外に殺されそうになってんじゃねぇぞ? 死ぬなら俺を殺すか、殺されるかにしろ」
ダナンの頭を掴み上げ、ゲラゲラと笑い狂ったダモクレスは何度も瓦礫の角に彼の頭を打ち付ける。その度にダナンの装甲は欠け、緋色の破片が宙に舞った。
殺される―――その想いがルミナを焚き付け性能を引き上げる。
死にたくない―――底無しの生存欲求が毒を焼き尽くし、正常な思考を取り戻させる。
生きたい、死にたくない、殺されるくらいならば殺してやる。死なないのならば何度でも殺す。ダナンのドス黒い瞳に緋色の炎が燃え上がり、ダモクレスの腕を取り飛ばすと周囲に漂う汚染物質も同時に滅却した。
「いい加減に―――しやがれッ!!」
アディシェスを相手にしながら、ダモクレスも殺す。コイツとの共闘は無理だと悟ったダナンは、レーザー・ライフルの光線を避けながら再び闘志を宿す。
「ダナン、どうするつもりだ? まだ俺と仲良しゴッコのお誘いを続けるかぁ? まぁ、その間に俺がお前を殺す!! ほらほら、迷ってちゃ死ぬぜ? 動いて生き残る術を探せよ!! 死にたくないんだろ!?」
「一瞬でも手を取り合えると思った俺が馬鹿だった!! やっぱりお前は殺す!! 死ねよ鉄屑がッ!!」
アディシェスの攻撃を躱しながらダモクレスを視界に収め、エネルギー・ブレードの刃を迸らせたダナンはレーザー光線のエネルギーを吸収する。
もしもう一度クリフォト汚染……毒素に狂わされそうになったとしても、ダモクレスの攻撃を糧にして正気を取り戻せばいい。イブが目覚めるまで耐え凌ぎ、クリフォト・カウンターを以てアディシェスを潰す。その後にダモクレスを殺す。片腕を失い、武装の殆どを失った相手など最後に回しても構わないのだから。