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慰めの報酬 中

 一滴の血が地面に流れ、亀裂の隙間に垂れ落ちた。


 信じるか、信じぬべきか……。真紅の機械眼を輝かせるダモクレスを見つめたダナンは拳を握り、奥歯を噛み締める。


 生きるか死ぬか、守るか失うか、二つに一つ。そんな事は分かっている。痛いほどに理解しているのだ。もし此処でダモクレスの助言を蹴飛ばし、機械心臓に蓄積されたエネルギーを得られなければ、ルミナの活動に回すエネルギーを別の場所から供給できなければ、敗北は確定する。


 無惨な死が怖くないと言えば嘘になる。生きたいと心が叫び、脳が生き残る術を絶え間なく探る。思考を回す度に空気に混じる毒素が狂気を促し、冷静さを削り落とす。


 「さぁどうする? 此処で無様におっ死ぬか、俺の生命を削ってでも勝ちを得るか……選べよダナン、お前だけが俺を殺してくれる。俺が俺である為の死をくれる。ダナン、迷ってる暇なんざありゃしねぇんだよ。居るんだろう? お前には大切な奴等が」


 「……」


 「沈黙は肯定と見るぜ? なら……使え。悔やむ必要も無いし、逆に清々するだろう? 俺が死ねばもうお前を脅かす奴も、命を付け狙う奴も居なくなるんだから」


 「お前は」


 「……」


 「それでいいのか?」


 いい筈が無い。ダモクレスという男は己を殺すために何度も牙を剥き、圧倒的な力を誇示し続けてきたのだから。


 「満足なのかよ、こんな結末で!! 死にたかったのなら、こんな終わり方で良かったのなら、お前は何で俺に此処まで固執し続けた!? ふざけるな……ふざけるなよダモクレスッ!! 俺はお前を」


 「殺したい程憎かった。そうだろう?」


 ダモクレスの疲れた声がダナンの鼓膜を撫で、機械の瞳から徐々に輝きが失せ始める。


 「……多分よ」


 「……」


 「俺ぁ……お前を、お前等をもっと知りたかったんだ」


 「知りたかっただと?」


 「あぁ……そうさ、殺し合えば理解り合えると思った。奪い合ってこそ人間の本質が見えると思った。そうだろう? 下層街じゃ弱者は奪われ、強者だけが笑っていられるんだからよ。俺も……それが間違いだと思っちゃいねぇ」


 軋む鋼に罅が奔り、幾本もの亀裂が刻まれる。人工血液を噴き出しながら電磁クローを伸ばしたダモクレスはダナンに迫る肉の槍を焼き、自律式レーザー・ライフルを撃ち放つ。


 「手帳……無頼漢の復讐手帳なんざ、俺がお前と殺し合う為の口実で、ただの思いつきさ。本当のところはどうでもいい……手帳に書かれた連中を組織の構成員がぶっ殺そうと、俺の為に動こうと……気になんざしちゃいねぇ」


 下層街一の狂人であり、最強の存在で在り続けた男は明滅する機械眼をダナンに合わせ、その背後に見えた時代遅れのカウボーイを青年に重ねる。


 「……ダナン」


 「……」


 「お前は……誰の為に戦ってやがる。自分の為か? それとも誰かの為? 答えろ」


 「……両方だ」


 「……」


 「生きるために戦って、誰かを……家族を守る為に戦うのは結局自己満足、自己愛の延長線。けど……それを誰かの為に戦ってるんだと言われたら、頷きたい。嘘でもいいから……自分を信じてやりたい。ダモクレス、俺は……親父のようにはなれないんだよ。どうやっても、俺が俺である限り、絶対に」


 「……あぁ、そうかよ。それなら……俺は、負けてもいねぇし、勝ってもねぇんだな」


 ギシギシと音を立ててダモクレスの装甲が剥がれ落ち、過充電によるオーバーヒートが機械回路諸共焼き焦がす。最早一刻の猶予も無いと悟った機械体は高らかに笑い、人工血液の油膜に映った己を見る。


 ダナンの父親……時代遅れのカウボーイの意志が彼に残っていたのなら、それは彼が永遠を手にした何よりの証左だろう。だが、ダナンは父親のようには成れないと己を言い表し、別の道を歩もうとしている。


 この世界に永遠は無いのかもしれない。神でさえ成し得なかった永遠を、定命の命を持つ人間が成そうとは何と愚かしいことか。精神の受け継ぎが成されなければ、魂の継承は其処に非ず。個として歩み出そうとする者は、永遠を否定した愚人である。


 しかし、ダナンの言葉を聞いたダモクレスはそれでも彼の中にあの男を見ずにはいられない。時代遅れのカウボーイが居たからこそダナンが在り、己もまた永遠の応えに近づくことが出来たのだ。永遠は存在し得ずとも……連綿と続く人の生に個が宿り、他者に影響を与え心を成す。


 恐らく……それが永遠と呼ぶべき言葉の意味なのだろう。人と人の繋がりこそが、神でさえ至る事ができなかった永遠を成し遂げるのだ。


 「ダナン」


 「……何だ」


 「勝てよ」


 「……」


 「お前は負けるな、勝ち続けろ。お前のその信念を決して捻じ曲げるな。あの男……時代遅れのカウボーイが残した意志を絶やすんじゃねぇ。だから……あぁ、俺の負けだ。生涯一度きりの敗北……悪かねぇ。お前に、お前等に負けたんなら、納得できる」


 「ダモクレス、お前は」


 太く、傷だらけの鋼の腕がダナンの機械腕を掴み、脈打ち輝く機械心臓に押し付けた。その瞬間、無慈悲で圧倒的な量のエネルギーが青年の体内へ流れ込み、毒素の浄化に回っていたルミナに行き渡る。


 「―――ッ!?」


 「耐えろよ? 問題ねぇ、お前の番が来る」


 何を言っている? いや、番とは何だ? グルグルと回る思考の中『身体装着型兵装―――銀翼の接続を確認。管理者イブとの接続を確認。知恵の果実―――オンライン。セフィロト・カウンター起動……エネルギー充填。生体融合金属―――形成完了』ネフティスの声が脳に響いた。


 「ダナン!!」


 「イブ―――か?」


 「ごめんなさい、少し遅くなったわ! けど、これはどういう」


 『管理者イブ、時間がありません。クリフォト汚染拡大、劣化ルミナ・アディシェスは未だ健在。一刻も早く鎮圧を願います』


 ダナンの前に銀翼を展開したイブはネフティスの言葉に息を呑み、エネルギーの供給源として活動しているダモクレスを一瞥する。


 「……パスの形成を急いで! セフィロト・カウンターの制御は私がする!!」


 『了解』


 収束圧縮エネルギー……1200%。


 波動エネルギー……訂正、電磁エネルギー融合数値計測不能。


 コード・オニムスを基礎に、コード・コクマー及びコード・ケセド……セフィロト・カウンターにて統合。


 統合結果……アインの形成を確認。ソフ及びオウルはコードの不足により失敗。


 柱の形成……失敗。三つ組の形成……失敗。パスの形成……成功、ヴァヴの小径を確認。


 体内ルミナの状態……アクセス・イグニッション。管理者イブの制御を確認……コード・オニムス・イグニッション―――半覚醒状態を維持。


 セフィロト・カウンター発動、対象劣化ルミナ・アディシェス。対抗措置を選定……管理者カナンの介入及び操作を強制排除。


 NPC権限により対象の鎮圧を決定。知恵の果実オンライン……№4休息状態へ移行。


 機械義肢・レスク・ウィア―――特殊武装展開、モード・ザドキエル起動。銃身安定、エネルギー供給半暴走、銃口固定。


 『撃てます』


 一筋の電磁放銃がアディシェスの一つ目を撃ち抜き、暴走状態に陥った劣化ルミナを強制的に鎮圧する。半身半獣の黒騎士は悍ましい悲鳴を上げながら肉体を崩壊させ、最後にもう一度肉の槍を投げ放とうとしたが、己の右腕が既に無くなっていることに気づく。


 己の戦争も、死への行軍も、此処で終わる。終わってしまう。満足な死へ至ることが出来ず、後悔に沈んだまま命が潰えるのか?


 劣化ルミナが休息状態へ移行し、元の強化外骨格の姿に戻ったアディシェスは地面に倒れ小さくなる心臓の音に耳を傾ける。そして、朧気になる視界にダナンとイブを映し、ダモクレスへ視線を向け、小さく笑う。


 半分だけ剥がれ落ちたフルフェイスの向こう側、安らかな微笑みを見せるダモクレスは何処か満足したように……それでいて納得したと言葉無しに死んでいたからだ。



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