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慰めの報酬 下

 赤黒く、ドロリと凝り固まった血が喉の奥から吐き出される。半固体状に固まった血は罅割れたコンクリートに垂れ落ち、風化することなくその場に留まり続けた。


 この肉体が再生することも、生き永らえる意味も無し。片膝を地面に付け、血が溜まった頭部装甲を開いたアディシェスは沈黙する鋼の巨躯を双眼に映す。


 貴様が先に逝くかよ、貴様程の漢が……無頼を誇っていた者が、誰かを救うために最後の最後でその信条を捨て去るか。罅割れた装甲の隙間から人工血液を滴らせ、火花を散らすダモクレスは静かに笑ったまま死んだ。己の最期に満足したかのように……。


 「……」


 生命維持装置がシステムエラーを吐き、けたたましいアラームを響かせていた。今直ぐに劣化ルミナを休息状態から活動状態へ移行させなければ死が訪れると、下層街の汚染された空気に身体が耐えられないと強化外骨格が言葉無く叫ぶ。


 「……」


 だが、それでいい。このまま死んでも構わない。ダモクレスも満足したように、己もまたこの最期に満足しているのだ。戦争の火が装甲を焼く感覚と死が忍び寄る緊張感、命を削り合いながら無差別な殺戮に興ずる至高の狂気……。


 戦争の前では、何もかもを焼き尽くす戦火の前では、全ての命は平等であらねばならない。戦場に立てば市民でさえも兵士と成り、いとも容易く死ぬ。それが戦争だ。己が求めた……死の顕在化。


 「アディシェス」


 緋色の装甲を解除した全身血だらけの青年がアディシェスに歩み寄り、マグナムの銃口を眉間に当てる。


 「……小僧」


 「……」


 「引き金を引け、それで私の戦争は終わる。簡単だ……貴様にとって、そうだろう?」


 血を流しては雫が塵と化し、吸収されては再び血管内を巡り廻る。ルミナを持ち、それに適応した人間が成す芸当として見れば何の疑問も無いが、こうして再生と損傷を繰り返すダナンの姿は痛々しいにも程がある。

 「お前が求めていたものは……こんな戦いだったのか?」


 「……」


 「何も残っちゃいねぇだろうが。人も、建物も、何もかも。これが戦争だってんのか? あぁ? ふざけるな……ふざけんじゃねぇッ!!」


 銃底でアディシェスの頬を殴り、純白の強化外骨格に馬乗りになったダナンは老人の頬を殴る。呼吸器の隙間から血が溢れようと、目が潰れようと、皮膚が引き裂かれようと構わず殴り続けたダナンは濁った瞳を睨む、


 「そうだ……これが、戦争だ」


 皺枯れた声が諦念の色を帯び、唇の動きに合わせて言葉が紡がれる。


 「戦争に……部外者など居ないのだ。誰も彼もが知らぬ内に悪魔と契約を交わし、荒れ狂う炎に身を捧げ、破滅へ至る。罪悪を糧とする。小僧……貴様も分かるだろう? この世に……生きる者に、戦争と関わらぬ者は誰も居ない。戦争と呼ばずとも……社会こそが凝縮した戦争なのだよ。小僧」


 戦争を望み、戦争を求め、戦争に焦がれた哀れな老人は濁音混じりの笑い声を上げ、ダナンの腹を蹴り飛ばす。


 「あぁ……これで、最期だ。小僧、私を殺せ。その銃で、弾丸一発を眉間に撃ち込めば……それで終わる」


 口の端から流れた血を拭い、瓦礫の中から立ち上がったダナンは銃を構え、引き金に指を掛ける。


 「銃口を逸らすなよ? そのまま一思いに引け。いいな?」


 「……一つだけ」


 「あぁ」


 「一つだけ聞きたい事がある」


 「なんだ?」


 「どうして……お前はそんなに戦争を恨んでいる」


 「……」


 心臓が飛び跳ね、指先がピクリと震える。その些細な反応にアディシェスの顔が歪む。

 反応してはいけない言葉に耳を傾けてしまった。心の内を覗き込まれたような、触れてはならない部分を曝け出してしまったような不快感。ギシギシと悲鳴をあげる強化外骨格を引き摺り、ダナンの持つマグナムの銃身を握ったアディシェスは「黙れ、小僧」と冷たく言い放つ。


 「私が戦争を恨んでいるだと? これだけの破壊を齎した私が、無意味な殺戮を引き起こした存在が戦争に感情を持つ筈が無い。貴様の言葉はただの妄言……聞くに堪えない戯言だ」


 「ならどうしてダモクレスとの戦争に拘った。どうして下層街の破壊を目的にしなかった。アディシェス……いや、アディ。お前は何がしたかったんだ?」


 「私は―――」


 二枚の銀翼がアディシェスの腕関節を砕き、脚の健を断つ。両の足の支えを失った老人は無様に崩れ落ち、ふらめいたダナンを支えるイブを見る。


 「ダナン、無理しないで。相当キツイんでしょう? 今はゆっくり」


 「休んでなんか……いられるかよ」


 「……」


 「イブ、コイツはもう敵じゃない。敵に成り得ないんだよ。外骨格も壊れて、劣化ルミナも休息状態に移行してる。だから……脅威じゃない。ダモクレスとは違う」


 「それでも……さっさと殺すべきだわ」


 「それでも……聞きたいんだ。アディが何を考えていて、どうしたかったのかを。多分、それが生き残る人間の責任だと……そう思うから」


 そう言いながらも直ぐにでも倒れそうなダナンは、イブの肩を借りながら銃を下ろす。


 「……アディ」


 「……」


 「ダモクレスは……どうして俺にエネルギーをくれたんだろうな。そうしたら自分が死ぬのに……。アイツは俺を殺したがっていて、俺もアイツを殺さなきゃならないと思っていた。けど……終わってみれば、もっと違う、別の方法があったんじゃないのかって思う」


 目を伏せ、ダモクレスを一瞥したダナンは深い溜息を吐く。


 「後悔しても遅いのは分かってる。違う方法があったって思うのは……ただ自分を慰めているだけなのも理解しているつもりだ。けど……俺は、最後までアイツを、ダモクレスを理解できなかった。分かりたくもなかった。それは……間違いだったのか」


 「間違いではなかろう」


 「……」


 「奴を……いや、己が他者を理解できるなんぞありえない。分かったとしてもそれはただの憶測で、自己欺瞞の産物だ。小僧……お前は何の為に戦った? 自分の為か? それとも誰かの為か? 答えずとも構わない。結局その答えもまた己を騙す為の方便なのだからな」


 「それでも」


 「進まずにはいられない。止まれずに前を向く。だからこそ人は戦争を求めずにはいられない。騙し騙され利用され、それでも尚突き進む……。小僧……いや、ダナン。貴様もまた戦争の当事者であり、被害者でもあるのだ」


 痛みを堪えながらダナンの頬に指を伸ばし、血に濡れた褐色の頬を撫でた老人は小さく笑う。


 「ダナン」


 「……」


 「貴様は父親と似ていないな」


 「……親父を知ってるのか?」


 「あぁ、奴は俺の太陽であり、目指すべき到達点であったのかもしれない。だが、私は諦めてしまった。世界に敗け、社会に従属し、抗えないと悟ってしまった。だが、あの男は違った。最後まで諦めず、一つの手が潰されたらもう一つの手を実行に移す……。ダモクレスが私を亡霊と呼び、貴様をダナンと呼んだのは……その心の違いだろう」


 「……」


 「ダナン、姿形が違えども、貴様のその反骨心と諦めの悪さは父親譲りだよ。頭を押さえつけられたら反発せずにはいられないのだろう? あれも欲しいし、これも欲しい。大切なモノを守る為なら死地にでも飛び込んでゆける。あぁ……本当に羨ましいな」


 虚ろな瞳から涙が流れ、後悔ばかりだった人生の幕が降りようとしていた。


 だが、まだ死ねない。まだ伝えるべきことがある。血を吐きながら奮い立ち、最終手段である細胞活性剤を首筋に投与したアディシェスはイブを見つめ、


 「救世主……違うな、イブ」


 「……なによ」


 「君は……君の妹君は、偽りの神……塔を統べる支配者達に心を砕かれてしまった」


 「貴男、カナンのことを!!」


 「聞け、私の命も残り少ないのだ。手短に言う……希望はまだ、残されている。終わってしまった世界であっても、私と同じ亡霊はまだ存在しているのだ」




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