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後悔を抱き

 震え狂う神の教団は無貌の教祖を中心にした自分達の満足する死を求める集団だ。


 戦争を求め、戦争の中で死ぬことを求めるのならば、己の手で戦争を勃発させる。叡智を求めるならば、非道とも呼べる人体実験の末に死が待っていようとも、それが満足する死であれば喜んで身を捧げる。狂気じみた執念を宿し、己だけの死を渇望する教団はカルト的組織であると同時に、どん詰まった者達の最後の寄る辺でもあるのだ。


 細胞活性剤の投与によって爪先から崩れる指を見つめ、拳を握ったアディシェスは時間が無いと言葉無く悟る。彼女に伝えねばならない、希望はまだ残されていると。絶望に染まった世界であろうとも、蜘蛛の糸は途切れていない。ダナン……もしその青年がルミナとの完全融合を果たし、覚醒状態を引き出す術を知ることができたのなら……手段はある。


 「イブ……カナン様は、いや、カナンは上層街……その上に、居る」


 「上層街の上……?」


 「そうだ……塔は、下層、中層、上層だけではない。更に上がある。偽りの神が座し、塔という閉ざされた世界を支配する階層……。最上層……其処に彼女は居る」


 違う、こんな情報を伝えても意味が無い。もっと別の……あの装置について語るべきだ。塔に保存された最も古い情報データ、教団幹部の一人が偶然掘り出した記録を彼女にかたらねば、死ぬに死ねない。


 「カナンは」


 「それよりも、だ。座標……地上に、死した大地に生える、方舟の隆起物……。其処に希望がある。イブ……ダナンと共に其処に行け。その隆起物に……装置を起動させる鍵がある」


 「隆起物って、装置って何よ!? アディシェス、貴男は何を知ってるの!?」


 「イブ、少し落ち着け」


 「落ち着いてなんかッ!!」


 「それでもだ。感情的になるな、お前らしくない」


 疲れ切ったダナンの顔を一瞥し、喉の奥に溜まった言葉を溜息と共に吐き出したイブは、濁った瞳で虚空を見つめるアディシェスの傍に屈む。


 「……ありがと、ダナン」


 「別にいい……俺も色々、世話になってるから」


 薄く浅い呼吸を繰り返すアディシェスの身体が徐々に塵と化し、瓦礫に沈んだ居住区に染み込み消える。


 「……アディシェス」


 「……」


 「劣化ルミナを貴男に与えたのは……誰?」


 「教祖様だ」


 「教祖……あの仮面の男ね? どうして彼が劣化ルミナを?」


 「それは……分からない」


 「……」


 「何故あの方が劣化ルミナを持っているのか、クリフォトを操作できるのか、私には分からない。一つだけ分かるのは、教祖様は誰よりも死を望み、己が願いを叶えようとしていること……。教団は彼の為にあり、信者の死もまた彼の為にある。イブ」


 掌だけになった手がイブの肩に触れ、重みを増す。煤に似た体組織の欠片が白い肌に零れ落ちた。


 「八の劣化ルミナが残っている」


 「……」


 「バチカル、シェリダー、アクゼリュス、カイツール、ツァーカブ……ケムダー。アィーアツブス……そしてキムラヌート。奴等は姿を隠し、身分を変え、君達の前に現れる。イブ、ダナン……全ての劣化ルミナを鎮圧しろ。力を集め、統合し、クリファを封じるしか救いの道はない」


 「劣化ルミナを集めても、知恵の果実に保存されたコードがなければ」


 「だからこそ……ダナンが居るのだろう? 君が選び、ルミナを与えた存在が。これは推測で、ただの憶測だが……彼はNPC……違うか?」


 ドキリとイブの心臓が飛び跳ね、何故その情報を知っているのかと叫びそうになってしまう。アディシェスの脳を開き、記憶を読み取る方法を試そうとしたが、ダナンの手前その衝動を堪える。


 「その反応を見るに……やはりか。カナンは……彼の存在を知っている。アィーアツブスに情報を送らせている。いいか? 君は既に遅れを取っているのだ。それもどうしようもなく……。だから」


 「隆起物に向かって、先手を打てと。そう言いたいのね?」


 「あぁ……。それと、ダナン」


 「何だ……」


 「負けるなよ」


 「……」


 「貴様が貴様らしく生きたいのなら、彼女の力に成りたいと思うのなら、勝ち続けるしかあるまい。どんな敵が来ようとも、耐え難い現実が立ちはだかろうとも、顔を背けるな。まぁ……貴様には無用の助言だと思うがな」


 ダモクレスを理解したいと、己の言葉にさえ耳を傾けようとした青年に多くの助言を与えるべきではない。既に彼は自分自身の考えで歩き出しているのだから、己のような老人の助言は枯れ枝に水を掛けるようなもの。ただの老婆心に過ぎない。


 「アディシェス、装置は」


 「偽神が細工をしていなければ正常に稼働するだろう。アノニマス……名も無き科学者のプロテクトを突破できる者など……奴の他におるまい。だから……まだ時間がある。絶望するにはまだ……早い。そうだろう? イブ」


 「……ありがとうアディシェス。劣化ルミナの保持者にしては、随分と理性的なのね貴男は」


 「それしか能が無かったのだよ……そうだ、私は……ただ流されるままに、最期の瞬間まで……あぁ」


 涙が溢れ、頬を伝う。皺だらけの肌に後悔の念が色濃く映る。


 今更になって遣り残したことが沢山あることに気づく。ただ戦争を求め、戦争を憎み、戦いによる死を求めた心が生を渇望する。


 最低最悪の世界であっても、抗う者が残されていたのなら手を貸すべきだった。


 未来を願う者から、明日を奪う権利など何処にも無い。ましてや過去の亡霊である己が自己満足の為に死ぬなど以ての他。それ以上の罪があるのだろうか? いや、無い。あるはずが無い。


 「アディ」


 「……」


 「爺さんは……親父のようには俺は成れないし、あの人のように生きられないことは俺自身も分かっている。多分……これからも俺は俺の為に戦うんだと思う」


 「……そうか」


 「家族が出来たんだ。親父が死んでから一人で生きてきた俺に、昔の友達も殺したのに……守らなきゃならない奴等が出来た。俺が戦うのも、生きるのも、もう自分だけの命じゃなくなったんだ」


 再びリボルバーの引き金に指を掛け、アディシェスの眉間に銃口を当てたダナンは深い溜息を吐く。


 「後悔……しているのか?」


 「あぁ」


 「迷っているのか?」


 「そうだ」


 「なら……いいだろう。それでも貴様は自分の命の使い道を、戦いの意味を知っている。ならば、それでいい。ダナンよ」


 「……」


 「私を……俺を殺せ。そして、劣化ルミナ・アディシェスを貴様のルミナに刻め。そうだな……貴様に殺されるのなら、俺も納得して死ねる。最後に一つだけ……イブを、いや、貴様の守りたい者を最後まで守り抜け。分かったなら……引き金を引け」


 短い銃声が下層街に木霊し、眉間を撃ち抜かれたアディシェスが塵となって消え果てる。最後に残った黒い線虫の塊を強化外骨格の中から拾い上げたダナンは、それを握り締めると、


 「……おやすみ、アディ」


 己の中で蠢くルミナに劣化ルミナ・アディシェスを取り込んだ。


 「……ダナン」


 「イブ」


 「……」


 「アディはずっと……迷っていたのかもしれない」


 「……えぇ」


 「死にたくても死ねず、生きる場所も無い。戦争に焦がれて、戦争の死を求めて、最後には後悔して死んだ。ダモクレスとは大違いだ」


 ダモクレスは己の中にある疑問に決着を付けてこの世を去り、アディシェスは最期に後悔を抱いたまま命を落とした。何方の死が正しいのか、何方の生き様が人としてあるべき姿なのか……その問いに答えられる者は誰も居ない。両者と戦ったダナンでさえ、明確な答えを示せないのだから。


 「帰ろう、みんなが……リルスとステラが待っている家に。俺達の居場所にさ」


 「そうね、帰りましょう。あの二人も貴男が帰って来るのを首を長くして待ってるわ」


 「そうなら……嬉しいな」


 純白の強化外骨格を一瞥したダナンは治安維持軍駐屯地へ歩き出し、生温い下層の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。 



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