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永遠への鎮魂歌 中

 罪の赦しと願えども、罰を求める心は変わらない。肉体が苦痛を訴えるように、罪を知った心は痛みを以て罰を求める。


 間違え続けた人生であったのは否定しようが無い事実だ。人生という道を一本の樹木として例えるのならば、目の前にぶら下がる選択肢は未剪定の枝葉のようなものだろう。選び取った選択以外の結末は神の見えざる手によって切り落とされ、もしもの結果として脳に蓄積される。そうして樹木は歳月とともに背を伸ばし、枝葉を繁らせ人の生を形作るのだ。


 アディシェスが選び続けた選択は正しくもあり、間違っていたのかもしれない。兵士を志した瞬間も、愛する人を手に入れた余韻も、子を抱いた感動も……全てが間違いであるとは言い難く、正しかったとも言い辛い。唇の端を噛み、血を流した男は揺れるウィスキーの水面を見つめ、グラスを強く握り締める。


 「……許せなかったんだ」


 「……」


 「ただただ自分を許せなくて、惨めで、情けなかった。見れたものじゃないし、見せられるものでもない……。俺は……俺の人生は……無意味だった。無価値だった。存在する理由なんて……あるはずもなかったッ!!」


 涙声に怨嗟が混じり、自分自身に向けられた憎悪がアディシェスの喉を焼く。苦い唾液が滲み出し、胃から迫り上がる酸っぱい液体と混じり合う。


 艱難辛苦の先に楽園があるのなら、地獄を歩んでいても己を慰めることができただろう。


 余興屈折の時を経て救済があるのなら、奈落の底へ落ちて腐り死んでも仕方ないと諦めがついた。


 だが、現実は苦杯を飲み干すが如く苦痛に満ち、救済や楽園の希望すら見いだせぬ闇ばかり。助けを乞うことも出来ず、納得できぬ結末から目を逸らし、喪失を当たり前だと受け入れざるを得ないのだ。


 だからこそ、希望を求めない。期待せずに現実だけを受け入れる。理想を持たずに生き続ける。そうして出来上がったのが、鋼の装甲で身を包んだ過去の亡霊……納得できる死を求め、腐った心に支配された命の残り滓。


 ウィスキーを煽り、空になったグラスをテーブルに置いたアディシェスに次の酒が注がれる。なみなみと注がれた茶褐色の液体を眺め、俯いた男は「……俺は、お前が羨ましくて仕方なかったんだ。ダナン」と、カウボーイハットを深く被った男を一瞥する。


 「アディ、俺はお前が思ってるほど人間出来ちゃいねぇさ」


 「馬鹿を言うな、お前は俺が出来なかったことをやろうとしていた。最後の最後まで、抗い続けていたじゃないか」


 「違うね」


 「……」


 懐からピースメーカーを抜き、弾倉を回したダナンは一発の弾丸を装填し、再び弾倉を回す。


 「俺ぁただ許せなかった。誰かの為に怒っていたんじゃないし、顔も知らねぇ人間の仇を取ろうとも思っちゃいない。なぁアディ、お前には俺はどんな風に映ってるんだ? ヒーローか? それともヴィランか?」


 「……ヒーローだろう?」


 「不正解」


 「ならヴィランか?」


 「馬鹿言うんじゃねぇ、俺みたいな悪役が何処にいるよ。正解は……我が儘でちっぽけな人間。お前と同じ存在さ」


 蟀谷に銃口を当てたダナンは引き金に指を掛け、ニヒルな笑みを浮かべる。


 「……やめろ」


 「止めないね」


 「お前がもう一度死ぬ必要なんてない」


 「アディ、お前が自分の人生を無意味だって言うんなら、俺の命なんざ塵みてぇなもの。なら、ケジメをつける必要があるだろう?」


 「止めろッ!!」


 撃鉄が振り下ろされ、空の弾倉を弾く。耳に残る金属音が部屋の中に木霊すると同時に、ダナンは軽く口笛を吹きながら、


 「運が良かった、そう思わなくちゃやってらんねぇ。違うか? アディ」


 もう一度弾倉を思いっきり回した。


 「……正気か?」


 「正気も正気、大真面目さ。白黒付けるにゃぁこれが一番手っ取り早いし、テキーラショットよりも、俺達みたいな元軍人の性にあってるだろ? アディ、俺は思うんだよ。人生ってのは後悔の繰り返しで、正解なんて後にならなきゃ分からねぇ」


 クツクツと含んだように笑い、アディシェスのグラスを飲み干したダナンは熱い息を吐く。


 「お前の人生はお前だけのもんだ。自分を嫌いになっても、好きでいたとしても、お前はきっと変わらなかった。俺が羨ましかったって言ったな? 逆に俺ぁみんなが羨ましかったよ。自分を曲げてやっと後悔に至った奴、人の未来に最後の人生を賭けた奴、欲望のままに生きて納得したまま死んだ奴……。


 みんな俺には無いものを持っていて、自分だけの生を握り締めて命を終えた。それが羨ましくて仕方ないし、俺には出来ない生き方だったから」


 一人はみんなの為に、みんなは一人の為に……良い言葉じゃねぇか。煙草を口に咥えたダナンは紫煙を吐き、顔を上げたアディシェスの瞳をジッと見つめる。


 きっと……彼は己がどんな言葉を吐こうとも、そのままの意味で解釈しないだろう。言葉の端々に見える意図を噛み砕き、都合の良いように投げ返してくる筈だ。自己否定を繰り返しても肯定し、自己嫌悪に塗れても飄々とした態度で綺麗に拭い取る。それがダナンという人間で、己を討った青年の父親なのだ。


 「……お前の子供は」


 「あぁ」


 「家族を得たと、守るべき者の為に戦うと、そう言っていた」


 「知ってる」


 「守ることは簡単じゃない。言葉以上の重みがあり、命も重さも足される。その意味を……あの小僧は理解していない」


 「だからこそ成長の余地がある」


 「……お前は、心配していないのか?」


 「馬鹿だなアディ、それがダナンの選択なら、アイツが選んだ道なら親の俺が否定する理由もないだろう? 多分……確証はねぇが、アイツは俺を何時か忘れちまう」


 「怖くないのか? お前は」


 「いいんだ、俺よりも大事なモノを見つけて、明日を選び取る強さを得られるなら構わない。ダナンが俺を覚えていて、俺の生き様を模倣しながら生きるんじゃ意味が無い。ダナンの人生はアイツだけのもの……他の誰かに奪われちゃ駄目なんだよ。なぁ、アディ」


 「……そうか」


 瓶に残ったウィスキーを飲み干し、椅子から立ち上がったアディシェスはダナンに背を向ける。そして一歩ずつ扉に歩み寄り、メッキが剥げたドアノブを握った。


 「もう赦したのか? 自分を」


 「……変わらないのなら、俺は俺であることを受け入れるしかないだろう」


 「……」


 「後悔も、懺悔も、絶望も……俺には過ぎた感情だ。今までの生が俺を形作ってくれたのなら、それを飲み込んで逝くしかあるまい。だから……俺はアディシェスとして死ぬ。これが正しいと……胸を張る為に、な」


 「そっか。なら天国行きのチケットは何枚で?」


 「零」


 「地獄行きは?」


 「両腕に沢山と……片道切符で頼む」


 「アディ」


 「あぁ」


 「お休み、ゆっくりと……お前で在るための苦しみを味わってくれ」


 「ありがとう、ダナン」


 扉を開き、轟々と燃え盛る大火の中へ飛び込んだ男は身を焼く熱を受け入れ、細切れになりながら沈んでゆく。己が殺した人間の宿怨に焦がされながら、永遠と。


 痛みの中に贖いがあるのなら、罪を持つ者は受け入れねばならない。


 絶望の中に希望が灯るのならば、苦難と闇を畏れてはならない。


 過去の記憶に引き裂かれ、それでも尚最期まで意識を手放さなかった男の肌に冷えた手が触れる。それは白い肌の美しい手。記憶の奥底に押し込んでいた妻の掌だった。


 「お前にゃ地獄行きは似合わねぇよ」


 煙草の煙が円を描き、ダナンは己の嘘に笑みを浮かべ、


 「地獄経由天国行き一枚……返品は受け付けねぇぜ? アディシェス」


 新しい酒瓶を手に取った。


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