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永遠への鎮魂歌 下

 何故にと問われれば、故にと答える。


 故にと答えれば、何故という問いが湧いてくる。


 幾千、幾万と繰り返されてきた問答に対する正しい答えなど初めから無いのだろう。もし答えを得たとしても、それは万人の色を写す多角形の万華鏡。無形の答えを得るための手段は無きに等しく、流動する問いは無限の解を求めるのだ。


 他者を知りたくば己を知り、己を知りたくば他者に解を委ねる。人は個を写す鏡であると同時に、全を織り成す綾模様。幾億にも及ぶ重層的な解釈により人は己を知り得るに至り、他者の一端に触れる権利を得る。


 永久を人は成し得ない。永遠を得られず、刹那に散りゆく火花のような存在なのだろう。だからこそ無頼を誇っていたとしても、煮え滾る欲望を抱いていたとしても、無意識に人を求めていられない。人であるが故に。


 煙草の先から上る紫煙が揺れ、ウィスキーの中で踊る氷が音を立てて崩れた。ジッポライターの蓋を閉じては開け、心地良いリズムを刻むダナンは眉間に皺を寄せるダモクレスを一瞥し、火種を潰す。


 「黙っちゃってどうしたんだ? お前らしくない」


 「……人は永遠を成し得ず、世界を創造した神でさえも有限なる時の中に散った。時間ってのは濁流のように押し寄せる津波なんかじゃねぇ、緩やかに……鋼鉄の隙間に入り込んで腐らせる酸のような物質だ」


 完全機械体の鋼が軋み、細かな傷が刻まれた指が折り曲げられる。


 「時間が永遠を成さぬなら、永久とは何処にある。ダナン、お前が得た永遠とは何だ?」


 「俺は一度も永遠を願っちゃいないさ。神様にも成れるワケじゃねぇし、もしそんな存在に成れって言われても笑いながら引き金を引くだろうよ」


 「お前ならそう答えると思っていたぜ? だがよ……俺は永遠を手に入れた。俺だけの永遠をな」


 「へぇ、聞かせてくれよダモクレス」


 鋭利な犬歯を覗かせ、くぐもった笑い声を発したダモクレスはダナンの顔をジッと見つめ、空のグラスに酒を注ぐ。


 「死が二人を分かつ時、生存者は何を見ると思う?」


 「相手の死に顔だろうな」


 「そうだ。どれだけ憎かろうと、殺したいほど恨んでいようとも、否が応でも人間は死んだ人間の面を見る。俺はお前の子供の前で死んだぜ? それも最高の一手を打って。ダナン、お前が築いた情の中に俺が入り込める隙は一つも無い。当然だ、俺は殺されるように動いていたからな」


 ダモクレスの機械眼が歪に輝き、煙草の煙を燻らせるダナンを射抜く。


 情の中に入り込めぬのなら、殺意の中でこそ己の存在を証明できる。狂った思想だと思われようと、ダモクレスの理論ではそれが最適解であると同時に、相手に自分という個人を刷り込む最高の手段であった。


 「殺されても文句はねぇし、お前の子供なら俺に殺されねぇと分かっていた。永遠ってのは人と人の繋がり……個と個を結ぶ点線のようなもの。だから」


 「満足して死ぬことが出来た。テメエが納得する結末を得た故に……そう言いたいのか?」


 「御名答」


 ゲタゲタと笑ったダモクレスはグラスを煽り、鼻腔を撫でるウィスキーの香りに感嘆の息を吐いた。お前ならば理解してくれると、分かってくれるという思いが乗った息は紫煙を散らし、霧散させる。


 「……永遠、ねぇ」


 「何だ? お前は永遠でありたくねぇのか? 定められた命なら後悔が残る。死が待っているからこそ人間は焦り、恐れを抱く。永遠を求めねぇ人間なんざ居るはずが無い。違うか? ダナン」


 「俺は……別に永遠なんざ欲しく無い」


 「はぁ?」


 「火花……そうだな、俺は一瞬一瞬に咲き誇る火花でもいい。永遠の命とか、永久の存在になるよりも、一秒を生きる人間でありたいと思ってる」


 薄くなったウィスキーが氷に混じり、透明に近づいた。グラスを傾けたダナンはピースメーカーの引き金に指を掛け、くるりと回すとダモクレスへグリップを向ける。


 「昔、俺を欲しがっていたよな」

 「あぁ」


 「もう俺とお前は死んでいて、守るべきモノを失った状態だ。それでもお前は俺を欲しいのか?」


 「……」


 組織を率い、勢力の拡大を狙っていた頃のダモクレスであれば一つ返事で答えられる問い。だが、命諸共全てを失った機械体は頷くことも出来ず、鈍色に照るグリップを眺めるだけ。


 「無頼漢首領だったお前の心を俺は知らないし、知りたくもない。だけど、今こうして此処に居るダモクレス個人に聞いているんだ。どうなんだ? えぇ?」


 グリップを握り、銃口をダナンの眉間に合わせたダモクレスは笑みを浮かべたまま引き金を引く。カキン―――と軽い金属音が木霊し、弾倉を開くと其処には一発の弾丸が入っていた。


 「欲しいとか、欲しくないとか、そんな問答じゃ足りねぇなダナン。何も変わらねぇ、変わるこたぁねぇのさ。俺はな……お前を知りたかったんだよ。どんな思いで下層街を生きていて、どうして不利益しか寄越さねぇ弱者を助けるのか……それを聞きたかった」


 「一から言う必要があるか?」


 「不要だ、ダナン……お前の子供を見ていればよく分かる。まぁ、あの番……銀の餓鬼と会うまでのダナンは下層街の屑と同じ目だったがな」


 初めは小汚い餓鬼だと思っていた。ダナンの名を語り、闇より深い黒の瞳が気に喰わなかった。


 弱者のクセに強者のフリを続け、生きていたいクセに死へ突っ走る姿が不快で堪らなかった。ダナンの息子であるのなら強く在るべきなのに、何故死に急ぐのか理解できなかった。死にたいのなら殺してやる、殺されたくないのなら抗ってみせろ。


 ダナンならこうやったぞ? 


 ダナンなら弱者を守る為に牙を剥いたぞ? 


 ダナンなら絶望をモノともせずに覚悟を決めるぞ? 


 追い詰める度に死地を超え、力を付ける少年は何時しか青年へ成長し、己を超えた。父親の影を踏み越え、今は一人のダナンとして生きている。だから認めた。最後の最後に……命が潰える瞬間に、ダモクレスは初めてダナンの顔を直視することができたのだ。


 「ダモクレス」


 「……あぁ?」


 「俺達は永遠に成れない刹那なんだ。だからこそ生きているとも言えるし、死から逃れたいとも思うんじゃないか? 永遠なんてもんは始めからいらなかったんよ、今までも、これからも。一秒を思えば、一瞬を願えば、その瞬間に人は在る」


 「永遠に成れない刹那……か。ハッ、嫌に感傷的な響きだな。今更になって知りたくなかったぜ?」


 椅子から立ち上がり、部屋のドアノブを握ったダモクレスは「あばよ、ダナン」と話し、崩れ落ちた廊下を眼に映す。


 「……もっと早く、戦争が始まる前に出会えていたら俺達の関係は変わっていたと思うか?」


 「変わらないね、変わっちゃいけねぇんだよ俺達は」


 「そうか?」


 「そうさ、もし俺が博愛主義を願っていたらそれこそ気持ちが悪い。だから……これでいい。もう……後悔はねぇさ。好きに生きたんだ、逝く場所も俺が選ぶぜ? ダナン」


 「……あぁ、そうだな」


 両腕を広げたダモクレスの背へ銃口を向けたダナンは、躊躇なく引き金を引く。乾いた銃声が鳴り響くと同時に、鋼の男は奈落の底へ堕ちてゆく。


 何処までも欲望に素直でありながら、自分自身の感情に向き合えなかったダモクレス。彼が堕ち逝く先は地獄以外の何処でもない。揺らめく硝煙を見据え、ピースメーカーを懐に仕舞ったダナンは一人煙草を燻らせ、ウィスキーを飲み干すのだった。


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