目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

何処へ 上


 ダモクレスを撃破したという事実に驚愕を禁じ得ない。下層街最強最悪の完全機械体は誰もが頭を垂れ、命を乞うべき存在の筈だ。上層街で生産される高性能強化外骨格に身を包む塔の始末屋であろうとも無策では手を出さず、無闇矢鱈に勝負を仕掛けない禁域染みた狂人を殺したのか? 本当に?


 換気扇の下で煙草を吹かすダナンを見つめ、懐に隠していた暗器へ手を伸ばしたイスズはマナの視線に気づき、漏れ出す殺気を内に押し込む。シークレット・ニンジャとして護衛の任に就いている以上、少女の身に危険が迫る行為は控えるべきだ。プロであるのなら尚のこと気に掛けろ、と黒スーツに身を包んだ女は一定の呼吸を保つ。


 「ダナンさん」


 「あぁ」


 「憂いは晴れましたか?」


 「……」


 「ダモクレスを撃破したのなら、最早貴男の命、況してや下層街最強の男の家族を狙う者は居ない筈。これで中層街に行くことができますね、おめでとうございます」


 「皮肉のつもりか? あぁ確かにお前の言う通り、無頼漢の連中はもう俺に関わらないだろうよ。けど、肉欲の坩堝は違う。奴らはそんな事なんざお構い無し……アエシェマの命令を忠実に守る狂人共の考えは分からない。正直……肉欲の坩堝を、アエシェマも殺すべきだと思っている」


 「戦争を望んでいるのですか? 貴男は」


 「いいや、ケジメを着けるだけだ」


 「詭弁ですよ、それは」


 「詭弁で結構、中層街……いいや、サイレンティウムにも居るんだろう? 連中の息が掛かった人間が、薬で脳を壊された……お前を弄んでいたような奴がよ。マナ、お前はグローリアの庇護下にあるが、ステラは違う。アイツの味方は俺達しか居ないんだ。なら……殺すべきだろ? 問題の根源を」


 紫煙が陰り、その奥で揺れるドス黒い瞳がマナを射抜く。名状しがたい殺意を滾らせ、短くなった煙草を灰皿に押し付けたダナンは新しい煙草を咥え、ジッポのフリントを回す。


 「つまり貴男はサイレンティウムを信用していないと……そう仰りたいのですね?」


 「お手々繋いで仲良しこよしなんて馬鹿な事を抜かすなよ。俺はテメエの家族と、グローリア本人を信じるが、中層街もサイレンティウムも信用しちゃいない。信頼もしていないし、どれだけ中層街が安全でも人が生きる限り犯罪は必然的に起こり得る。もしステラが巻き込まれてみろ……俺はその犯人を地獄の底まで追い詰めて、確実に殺す」


 思い沈黙が二人の間に流れ、陰気な空気を沈殿させる。獰猛な殺意を瞳に宿し、ピースメーカーの弾倉を開いたダナンは弾丸を込め、撃鉄を引く。


 「リスクを考えない人間なんざ居ない。勝機があろうとも、不確定要素が混じれば綺麗に整った盤面であろうと簡単にひっくり返る。俺を中層街に引き上げるってことは、羊たちの中に獣を放り込むようなもんだ。それを理解しているのか? お前等は」


 「えぇ、嫌という程に」


 「……」


 「これはサイレンティウムが単独で決めたことではありません。グローリア総帥のご意思が強く反映されています。ダナンさん、変化という現象には常に痛みが伴い、喪失が付き纏うものなのです。今貴男が抱える空虚さと同じように、長らく変化を拒んでいた中層街には変革の種が必要だと総帥は仰りました。イスズさん、アレを」


 「はい」


 小型空間投影装置を取り出し、テーブルの上に置いたイスズはマナの指示に従い電源を入れる。すると、ダナンの見知った顔が薄いホロの中に映り込み、柔らかい笑みを浮かべていた。


 「やぁダナン、久しぶりだね。歓楽区以来かな?」


 「……グローリアか、久しぶりだな。お前も随分と……雰囲気が変わったか?」


 手を振りながら仕立ての良いスーツを着こなす中性的な美青年、サイレンティウム総帥グローリアは目元に隈を浮かべながら電子書類に判を押す。


 「すまないね、本当は私が直接君に会いに行こうとしたんだが、ディックに止められてしまったんだ。嫌だね、仕事が山程あるってのはさ。それで、私の代わりに娘を寄越したんだけど……粗相はしていないかな?」


 「……正直驚いたな、コイツが此処まで出来た奴になるなんて。お前の教育が良かったんだろう」


 「よせやい、私じゃなくてマナの学習意欲が並外れていただけさ。マナ、中層街の件はもうダナンに話したのかい?」


 「はい、お義父様。後はダナンさんのご意思次第かと」


 「なら話は速い! ダナン、どうだい? 中層街に来る気は」


 「待て」


 長い煙草を押し潰し、リルスへ視線を向けたダナンが機械腕の指関節を軋ませる。


 「グローリア、お前は後悔しないのか?」


 「どういう意味かな?」


 「俺を引き上げることについてだ。お前も知っての通り、俺は人を殺しすぎたし、殺人に忌避感も無い。下層街の考え方が染み付いているんだよ、俺の心にも、身体にも」


 弱肉強食の理が練り上げた殺意は常軌を逸し、引き金を引く指は迷いを知らない悪鬼の手。中層民の機械義肢とは違い、ダナンの右腕にぶら下がる機械腕は戦闘特化型の義肢なのだ。死に慣れ過ぎた人間から醸し出される濃い血の香りは、環境が変わっても簡単に拭い取れるものではない。  


 「ダナン、君は私から血の臭いを感じるかい?」


 「お前から匂うのは香水の香りだけだろ? 歓楽区で会った時と変わってなければ」


 「そうだね、私からは香水の臭いしかしない。けど、それは結局人の皮を被りたいからなんだ。醜い獣性を隠す為の擬態作法……ダナン、私は自分の手から血の臭いを感じるよ」


 白く、しっとりとした両手を見つめたグローリアは含み笑いを浮かべ、深い溜息を吐く。


 「一度だけ、君と一緒に行動している時、私は人を殺したことがあったね」


 「不可抗力だろ、アレは」


 「そうさ、仕方ないから殺したし、あの時殺さなければ私が死んでいた。だからしょうがない。どうしようもなかったんだから、それが正しかったと自分を納得させなければならない。それはそれで、これはこれ……割り切らなければ私が私でなくなっていた」


 「お前は悪くない。悪いのは」


 「環境のせいだと言いたいのかい? 違うね、結局私は自分の手で人を殺していなかっただけさ。サイレンティウム内部での権力争いを血筋で捩じ伏せ、罪を中層街へ持ち込もうとした輩を兵を使って処分する。それを殺人と言わず何と呼ぶ? いいや、殺人以外の何物でもない。私も君同様人を殺し過ぎたんだ。数え切れない程、沢山ね」

 「……罪を犯さない人間は居ない。人間の本質は善性でもない。悪を抱きながら、罪に生き、罰から目を背けるのが人間だ。グローリア、やっぱりお前は……気持ち悪いな。俺とは全く別な生き物のように見える」


 「君と私は同じ人間さ、産まれる場所と時間が違うだけでね。生きてきた場所が違って、考え方もまた違う。それは何ともまぁ、奇跡的に見えないか? ダナン」


 「センチメンタルでドラマティックにしようとでも? ハッキリ言えよグローリア、単刀直入に、真っ直ぐ一直線にな。どうして俺みたいな奴が必要なのかを」


 「マナが言った通り変革の種が必要なのさ、中層街にもね。ダナン、もし君が中層街に来てくれるのなら、家族の安全はサイレンティウムが保証しよう。中層街一の巨大複合企業が君達を守る。これは口約束なんかじゃない……サイレンティウム総帥グローリアとダナン個人での契約だ」


 「対価は?」


 「私の個人的な依頼の処理と、ある組織に属して欲しい。組織の名前はサイレンティウム武装警備部門、突撃強襲捜査課……端的に言えば武力介入も辞さない企業警察官だね。どうだい? 君の能力を鑑みての結果だ」


 「……」


 「良い返事を期待しているよ、ダナン」


 プツリとホロが消え、煙草の紫煙を吐き出したダナンは「勝手な事を言うな、奴は」と苦笑いを浮かべ、長くなった煙草の灰を指先で叩き落とした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?