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種子 上

 都市に張り巡らされた高速道路は、二十四時間途切れる事無く車が走る流星の路であると同時に、都市に暮らす人間を生かす重要な補給路の役目を果たす。電気エネルギータンクを積んだローリー車と食料生産工場の荷を積んだ大型トラック、機械部品や医療用機材を積み込んだ優先車両の車列……。



 都市の高速道は輸送車両だけが走ることが許されており、もし一般車両が存在しているのならば、それはサイレンティウムの高級幹部が乗る車だろう。現に、一台のフルスモーク車が前後を護衛車に守られながら高速を駆け抜け、夜闇に一際輝くビジネス街を目指していた。偽りの夜空から逃れるように。


 「ディック統括部長」


 「……」


 後部座席に座り、HHPCのホロ・モニターを眺めていた厳つい男が若手の秘書官を睨む。鷹のような鋭い目つきに秘書官の息が止まり、運転手もまたハンドルを握る手を震わせた。


 ディックと呼ばれた男は巨大複合企業サイレンティウムの全部門を管理する高級幹部の一人だった。どの部署の長であろうとも、統括部長の承認を得られなければ巨額のクレジットが動く案件を実行できず、それに伴った横領及び着服も許されない。


 ディックの袖の下を通そうとしても、彼自身が不正を許さぬ性分故にそんな話が少しでも聞こえたら自身の首が飛ぶ。統括部長の椅子に座り、卓越した能力を以て全部署の許可願の是非に応じるディックは超人と云っても差し支えないだろう。


 そんな彼の秘書官の重責は尋常ならざるモノだ。ディックが沈黙を貫いている時は、深い思考に浸っている時で、睨みつけた場合は次の言葉を促しているのだ。HHPCを操作した秘書官は「グローリア総帥より伝言です。ビジネス区、ホテル・ニューロマインド最上階で待つ。ディック統括部長、如何が―――」不味いと口を閉じる。


 「……今夜の予定を言ってみろ」


 「生産部門総合責任者との会食、新規開発区画の夜間視察、夜店駐在所の臨時視察です」


 「全てキャンセルだ、グローリア総帥の下へ急げ」


 「しかし、それでは他の幹部に示しが」


 「面子と権威だけで仕事を熟しているのか貴様は。後の問題は私が片付ける。秘書官、貴様は貴様の仕事をしろ」


 「分かりました」


 運転手がハンドルを切り、ビジネス区へ向かう為のルートを再設定する。車の動きに合わせて護衛車もまた車線を変えた。


 「ディック統括部長、グローリア総帥よりお電話です」


 「繋げ」


 ディックの腕に巻かれたHHPCのホロが切り替わり、ビルの明かりを背にしたグローリアが微笑みを浮かべながら手を振っていた。


 『やぁディック、すまないね。君にも仕事があるのに』


 「お気に病まず。今夜はどういったご要件で?」


 『あぁ、上昇者の件で話し合いたくてね。ダナン、彼のことは知っているかな? 前にも一度会ったことがある筈だけど』


 「えぇ覚えています。奴がどうかしましたか? 中層街へ上る為の手続きは抜かり無く進んでいるかと」


 『何も君のことを疑っちゃいないさ、要件というのはね……まぁもう一人の招待客から話をして貰えれば早いかな』


 招待客? ディックの眉が訝しむかのように動き、ホロに現れた老婆を視界に映すと自然に深い溜息が漏れ出た。


『よぉディック坊や、今日もまた随分と辛気臭い顔をしてんねぇ! 総帥殿、こんな奴を統括部長の座に据えるなんざアンタもまた好きもんだ!』


 酒瓶を片手にグローリアの肩を叩いた老婆は、ホロカメラの倍率を下げるとテーブル全体が見えるように調整し、勢い良く椅子へ腰掛ける。


 「カメリア、何故貴女が其処に? 新規創設された突撃強襲捜査課は未だ人手不足だと聞いているが」


 『ハッ、人を撃ち慣れていない甘ちゃんに武力介入なんかできるかい? いいや無理だね。アタシも治安維持軍の退役者から人員を募っちゃいるが、下層街勤務以外……中層街で事務仕事をしている連中はみーんな玉無しのインポばかりさ。そんで頭を悩ませていたら、総帥が人員を回してくれるってワケ、下層街出身者をね』


 「……獣を猟犬に躾けることが出来るとでも?」


 『獣? 馬鹿だねぇ、人はみぃんな獣だろうに。もし完全な人間が居たなら拝んでみたいものだねアタシは。ディック坊や、アンタが下層街の連中を獣って見るなら、アタシからしたら機械の方がよっぽど人間出来てると思うね! なんたって、指示通りに動いてソレ以外ぜーんぶ無視するんだからさ! ハハッ!』


 サイレンティウム警備部門を任されているカメリアは、酒瓶を呷るとバーのスタッフへマッカランの十二年を要求する。


 「一つ言っておこう、ダナンに首輪を繋げられると思わない方がいい」


 『へぇ、統括部長様の意見を聞こうじゃないか。納得できる話をしてくれよ? なぁ、若輩者』


 「普通……いや、中層街の人間にとって引き金とは重いものだ。撃鉄を引き、弾丸を撃ち出す動作一つ一つに途轍もないストレスが掛かる。それは貴女もご存知だろうが、下層街の人間はそうじゃない。奴らにとって、命とは弾丸一発よりも軽い」


 己の欲望を満たすためなら奪うことも厭わず、弱肉強食の理を是とする獣の巣。それが下層街だ。カメリアの性格上、跳ね返りが強い人物程彼女は面白いと豪語し、是が非でも自身の手に置こうとするだろう。じゃじゃ馬が集められ、彼女の統制下に置かれる人間は犯罪が醸し出す死の香りに敏感故に。


 「面白いか面白くないかの違いじゃない。殺るか殺られるか、奪うか奪われるか、下層民の根底に流れている思想は常に生死に関わる事柄だけ。そんな人間を扱えるのかと聞いている。どうだ? カメリア警備部長……いや、企業警察総監殿」


 『ディック坊や、アンタもつまらない人間になっちまったねぇ』


 「……」


 『昔のアンタは、お友達が居た頃のアンタはもっとギラついていたよ。抜き身のナイフみたいにさ、触れたら切れる獰猛な獣だったじゃないか。けど何だい今のアンタは、中折れしたチンポかい? 呆れた、枯れたジジイじゃあるまいし』


 「お友達ではないな、奴は」


 『それでもだ、あの時のアンタは楽しそうだったよ。毎日が命の削り合い、殺し合いのように感じていたんじゃないのかい? 統括部長の椅子を勝ち取った時、相手を殺したと思ったはずさ。今も忘れないね、アンタがアイツ……ダナンに向けていた目を』


 ダナンの名を口にした時、カメリアの瞳に活力が漲り、ハッと息を飲む瞬間が見えた。そこでやっとディックの言葉の真意を汲む。


 『おいおいおい、悪い冗談だろ? 上昇者ってのは』


 「そうだ、貴女が言っていたアイツの息子だ。そしてその家族。やっと私の言葉の意味を理解してくれたか、カメリア部長」


 『……』


 醒めた酔を取り戻すかのように酒を飲み、クツクツと笑ったカメリアはグローリアへ視線を移す。


 『やってくれたねぇ総帥殿。アンタは何を考えてるんだい? 混乱か? それとも混沌かい? 理由によっちゃS.R.P.Mの審議に掛けさせて貰うよ』


 『物騒なことを言うねカメリア、私は言ったはずさ下層街出身者を配属させるってね。君はそれに対して首を縦に振り、書類にサインした。私はサイレンティウムのやり方に沿って動いていたと思うんだけどね』


 『そのやり方、先代にそっくりだ。アンタ、父親に益々似てきたよ? 怖いぐらいにね』


 『そうかな? 父上はもっと強硬姿勢だった筈だが』


 『あーやだやだ! アンタの養子も同じに育ったらアタシも頭が痛いよ! ディック坊や! 何時までちんたら動いてるんだい!? 早く来てくれ、上昇者……ダナンの話をもっと聞かせな! 早く!』


 「……」


 深い溜息をもう一度吐き、運転手へ視線を向けたディックは流れ行く光の軌跡を眺めるのだった。


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