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種子 中

 「で、総帥殿。アンタはどういった考えで下層街の獣をアタシに寄越すつもりなんだい? 首輪? それとも躾をご希望で?」


 「人聞きが悪いなカメリア部長、私はただ試したいだけさ」


 「試したい! へぇ! あんなに現状維持を望んでいた先代のご意思を踏み躙ろうと! そりゃぁご立派なこって!」


 酒瓶を呷り、皺だらけの指でテーブルを叩いたカメリアは、白濁した瞳をグローリアへ向ける。冷静に、淡々とグラスを傾ける青年を訝しむように。


 「サイレンティウムの高級幹部が黙っちゃいないよ、何が何でも邪魔してくるだろうさ。甘い蜜を啜るためにね。どんな手段……それこそアンタが可愛がっている養子にも手を出してくるだろう。それを分かってるのかい? お坊ちゃん」


 「マナなら自分の身は自分で守るだろうさ。なんせ下層街出身だからね。それに」


 「それに?」


 「父上もまた試しただけさ、企業政治が個を腐らせるのか、群れを堕落させるのか。結果は君の知っての通り失敗だ。腐敗した官僚政治は企業国家の毒にしか成らず。知っているかいカメリア、今年度の新入社員の六割が縁故採用……所謂コネ入社。ディックがどれだけ優秀でも、全てを見渡すことが出来ないように、人事部門部長は本日付で私の手で処分した。腐った部分を治療するには、切り取るのが一番だからね」


 「蛆虫を使った治療もあるだろうに。アンタのやり方は敵を増やすだけだよ、お坊ちゃん。アタシならもっと違う方法を考えついたのにね」


 「聞かせて貰おうか、カメリア部長」


 「簡単さ、腐った部分を切り落とすんじゃなくて、蛆虫に食わせればいい。それこそ毒を飲み込みながら育つ蝿のような、そんな人材を投入すればいいのさ。言うだろう? 目には目を、歯には歯を、毒には毒の鉄槌をってねぇ。アンタのやり方は腐った空気を一部分だけ取り除く一時的な方法さね」


 グローリアの黄金の瞳がカメリアの歪な笑みを射抜き、炎がゆらりと揺らめいた。


 「グローリア坊や、アンタは頭が良いし、おまけにカリスマもある。見れば見るほど先代とそっくりさ。お父上殿は元気にしているかい? お坊ちゃん」


 「嫌なことを聞くね、死んだのは知っているだろう?」


 「そうだ、アタシはアンタのそういうところが好きなんだよ……。身内が死んだのに涙一つ流さず、それが当たり前だと思っている。永遠なんてこれっぽっちも信じちゃいないし、今さえも見ていない。グローリア坊や、腹の探り合いは無しだ。本音で語ろうじゃないか、アンタとアタシで、じっくりと」


 「それは魅力的な提案だね、カメリア部長」


 「年老いてもアタシは若いんだよ、坊や」


 クツクツと笑い合い、互いに言葉のナイフを抜いたグローリアとカメリアは、煙草を咥えると紫煙を吐く。


 「カメリア部長……いや、カメリア。私は屑の一人勝ちを許せないんだよ」


 「……」


 「勿論みんなの涙を拭いたいとか、全員を救いたいとも思っていない。私はね、ただ一人でも多くの人間を掬い上げてやりたいんだ。その為に権力を手放さい人間には退いて貰う。甘い蜜を啜ろうとするのなら、その舌を切り落とし、毒を流す。権力が腐敗を促すのは間違いだ。時間こそが人を狂わせるんだよ……カメリア」


 「権力の滞留性を否定して、流動的なものにしようとでも? それ故に下層街の獣……ダナンって言ったっけ? ソイツをサイレンティウムに組み込むと」


 「そうだ、綺麗な水槽ばかり見ていても、変わらない風景はつまらない。社会はアクアリウムでも庭園でもない。自然のままに腐り、芽生え、枯れ落ちるべきだ。カメリア、どうして君を企業警察総監の椅子に座らせたと思う?」


 「ハッ! 面白くないことを聞くね、アンタは。監視者と調教師の役割を任せたいんだろう? これから登って来るであろう獣達を猟犬に変える為にね」


 「半分正解だが、間違いでもあるね。カメリア……君にダナンの指示権の全てを委ねようと思っている。君の好きなように彼を使い、中層街を掻き乱し、憎むべき悪を駆逐してくれ。どうだい? 面白いだろう? カメリア部長」


 「つまらない社会よりはずっとマシだね、けどグローリア……アタシは悪を憎まないし、それが当然だと思うがね。綺麗な人間には興味無いんだよ、アタシは」


 「というと?」


 「中層街を掻き乱す……あぁ実に蠱惑的で、心を踊らせてくれる言葉だ。本当にアンタはアタシを楽しませてくれる。素晴らしいの一言だ、全く」


 椅子から立ち上がったカメリアはホテルの窓に近寄り、煌めくビル街を一望する。最上階のバーから見える景色は光り輝く光に満ちており、その光一つ一つが人の営みを表しているのだ。


 「犯罪が無い世界なんてあり得ない。罪と罰を内包するが故に獣は人間として生きられる。見なよグローリア、この光の中にどれだけの犯罪者が生きていると思う? 潜在型、表出型、或いは思想型、型に嵌まらぬサイコカルト共……。アタシはね、ソイツらを憎んでいないし、怒りも抱いちゃいない。ただ、そう……愛してるんだ」


 「犯罪は必要悪と? 君にとって」


 「必要悪? そんな上等な言葉じゃないさ。人間にとって、犯罪はただの生理現象さ。殺したいから殺す――殺意が行動に出ただけ。盗みは欲望の噴出、性犯罪は性欲の短絡的発火。ニュースに出る事件なんて、表層の泡に過ぎないよ。腐臭はもっと地下に沈んでる。だからアタシにとっちゃ、メディアってのは都合のいい警報機関さ――お利口に鳴いてくれる、ね」


 遠くでパトランプの明滅が目に入る。黒い煙がビルの窓から吹き上がり、真紅の炎が燃え上がっていた。


 「若いねぇ、実に綺麗な炎じゃないか。あそこで何人の人間が死んで、何人助かると思う? グローリア」


 「被害規模によるだろうね。救急部隊の働きに期待したいところだ」


 「そうさ、アンタもアタシも、目の前で起こる犯罪には興味を抱かない。何故なら、他人事であるから。上がってきた書類に目を通し、あぁそうかで済ませる程度の価値。多分、生存者は一人確定しているだろうね」


 「そうだね、容疑者が生き残るからこそ不幸とも呼べる。書類に並ぶ名前の文字は、既に人間じゃないんだから」


 「冷たいね、けどそこが良いところだよ? アンタのさ」


 「お褒めに預かり光栄だ、カメリア」


 「皮肉だよ、馬鹿者」


 知ってる。微笑みながらグラスを呷ったグローリアは演劇を鑑賞するようにビルの炎を眺め、両手の指を組む。


 「グローリア、獣を飼い慣らすのは簡単なことじゃぁない」


 「うん」


 「餌に罪人を与えるのなら、罰をどうやって与えるつもりだい?」


 「痛みを」


 「痛み、ねぇ」


 「最近、あぁ、ダナンの家族……妹が入学予定の学園で殺人事件があったね」


 「あぁ、アンタの養子が通っている学園でね」


 「もう入学の準備も整えているし、その事件にダナンを関わらせればいい。綺麗な終わりなら、彼だって下層街も中層街も同じだと納得するだろう。けど、最悪な終わり方なら……それは罰になる。癒えぬ傷を刻み、立ち上がれない程のストレスを与えるね。だから」


 「あぁ分かったよ、アンタの魂胆はお見通しさ。後悔するんじゃないよ? せっかく見つけたお友達がどうなってもね」


 「後悔なんてしないさ、そこで終われば私の判断が間違っていたことになるんだから。それで納得できる。だからやるんだよ。そう、やれるなら……やるべきだ」


 「怖いねぇ、グローリアのお坊ちゃんは。けど……覚悟が出来てるならやろうか、徹底的に、壊れるまで」


 「ありがとう、カメリア」


 ニコやかに笑いあった二人は、エレベーターから現れたディックを見つめると、


 「揃ったね、では始めよう」


 と、新しい酒瓶をオーダーした。


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