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第34話 転期

 ベルナデッタのアメリー宅突撃お茶会事件によって、早朝からルカ=コスマ魔法薬局カウンター前でクダを巻く金髪美女が発生していた。

「どうしようお姉様ぁ!? アメリー、すっごく傷ついていたし困っていたわ! まさかあの流れでエルノルドが来る!? ありえないわ、もう!」

 ベルナデッタは泣きそうな顔でカウンターを指先で叩いてみたり、こすってみたり、額をテーブル面にくっつけてみたりと忙しい。アメリー宅突撃お茶会事件の顛末てんまつを聞いた、カウンターの向こうにいるエリカは、すでに開店準備を終えて先ほど投げ込まれたばかりの新聞を手に、なんとかなだめようとはしていた。

「よしよし、ベルは良かれと思って話したのよね。大丈夫よ、アメリーだって馬鹿じゃないわ。ベルナデッタの言いたいことはちゃんと分かっているはずよ」

「そうよね!? ああー、もっと気遣ってあげればよかった! おかしいわ、普段ならもっと緊張しないだろうし、話の流れだって慎重にできていたのに!」

(それはまあ、同年代で同性の友達が全然いないからね、ベル。私のせいなんだけど)

 盛大に反省しているベルナデッタのことだ、次はちゃんとやるだろう。その点、エリカは信頼している。商談と友達とのおしゃべりは勝手が違うのだから、しょうがない。

 それに、アメリーから提案された、エーレンベルク公爵夫人クセニアへの連絡ルートは、正規のルートではないため扱いの難しいところだが、非常事態となれば選択肢に上るだろう。今のところドミニクス王子のルートを頼りに進めるし、アメリーの周囲ですぐに動きがあるということはない。しばらくは、ショックを受けているだろうアメリーをゆっくり落ち着かせたほうがよさそうだ、とエリカは気遣った。

 第一、今はそれどころではない。

 ルカ=コスマ魔法薬局の出入り口扉が、カランカランと鐘の音を立てて小気味よく開く。

 入ってきたのは、一仕事終えたばかりのキリルだ。

「よし、外は片付いたぞ。あとはこのあたりの地区担当の同僚に任せてきた」

「お疲れ様、キリル。これでしばらく平和になればいいんだけれど」

 エリカは本心からそう願った。何分、一体全体どこからなんの情報が漏れているのか、それとも変な噂を流されているのか、エリカを狙ったゴロツキやチンピラの襲撃が続いているのである。キリルがいれば対処に問題はないが、昨日から立て続けに三件、それも朝の出勤時を狙ったものさえあったため、キリルはルカ=コスマ魔法薬局のある地区の警備担当でもある同僚の騎士へ犯人を突き出した上で申し送りをしてきたのだ。警察はあてにならない、エリカは魔法学院を出た直後から今までの襲撃をすべて治安当局である警察に報告しているが、いまだに何の対処もなされていないのだから。

(あんまり管轄や命令系統の違う騎士団と王都の警察が対立しかねない火種を残したくないけど、こればっかりはねぇ……ドミニクス王子も心配してくれるわけだわ)

 毎回毎回、人を脅したり傷つけたりすることに抵抗のない職業、あるいは無職の青年から中高年までの風体の悪い男性につきまとわれれば、キリルが護衛しているとはいえ、さすがにエリカも嫌になってくる。実害がなかったとしても、いちいち「お前が邪魔だ」、「お前のことは見ているぞ」というメッセージを送ってこられているのと同じだからだ。ストーカー、マジキモい、というわけである。

 であれば、問題は根本から原因を潰さなくてはどうにもならない。当初の目的どおり解呪薬リカースワクチンの大規模接種を成功させ、『のろい』を社会的にも無害化させる。そうして初めて、この不穏な事態の打開に近づくことだろう。

 キリルがカウンター端の所定の椅子に座り、腕を組んで番犬モードに入ったところで、ベルナデッタは話を再開する。

「しっかし、ロイスルも平気で婚約破棄を受け入れるものなのね。いくら魔法使いだから婚姻関係を重視しないとはいえ、仮にも相手は侯爵家、それも名家アルワインよ? 普通だったらアメリーは嫁入り先が引く手数多なのに」

「それは私も気になったわ。まだ詳細を詰めていないから明らかになっていないだけで、こちらに要求したい本命の何かがあるのかも」

 うーん、とエリカとベルナデッタは顔を見合わせて悩む。アメリーの実家アルワイン侯爵家は、エーレンベルク公爵家と親戚関係にはないが、ノクタニア王国建国時からたびたび宰相や幼い王の摂政などを務める人材を輩出してきた名家だ。最近は政治活動は控えめで、往年の栄光にかげりが生じていると陰口を叩かれることもしばしばだが、名家の威光を傷つけるほどのことではない。

 アルワイン侯爵家からしてみれば、本妻の子ではないアメリーを名目上は伯爵家である魔法使いのトネルダ家へ嫁がせる、というのは別段おかしなことではないし、何か特別な取引があったわけでもないだろう。ならば、ロイスルも婚約破棄を申し出ることにためらう必要はない、ということだろうか、木端こっぱの貴族であるエリカにはそのあたりの事情がいまいち分からない。ゆえに、ロイスルの交渉の本命はベルナデッタに要求したい『何か』である可能性が高いはずだ。面倒くさい男である、ロイスル。

「エーレンベルク公爵家との交渉だって一筋縄ではいかないだろうし、そうこうしているうちに時間が経って解呪薬リカースや接種の情報が漏れる可能性が高まってしまう……その前に動くには、あんまりにも力が足りない……うーん」

「ごめんなさい、ノルベルタ財閥でもそこまでエーレンベルク公爵家との深い繋がりはなくって……エーレンベルク公爵家と対立しすぎないよう、ニッチな市場で掻い潜るように商業網を広げたりしたからね。せいぜいが、教えてもらったエーレンベルク公爵家の『秘密』の裏取りくらいしかできなかったわ」

「ベルが謝ることじゃないわ、元から無茶だって分かっているから。その無茶を押し通すためには、さらに無茶な手を使うしかないかなー……となると」

 またしても、二人揃って顔を見合わせて悩むしかない。今年に入って何度目だろうか、悩み多き年、エンディングへのフラグが多い年である。

 エリカがそんなことを考えていたとき、ふと、キリルが何かに気づいたように声を上げた。

「む?」

 エリカはキリルへ意識を向ける。何かあった、と口にする前に、腕組みしているキリルの左肘に、細長い黒い雲のようなものがまとわりついているのを見てしまった。

「わっ、キリル!? それ、『のろい』じゃない!?」

 エリカはキリルに近づくが、逆にベルナデッタは驚きの表情でキリルから二歩ほど離れた。それが正しい行動だ。エリカと違って魔力のないベルナデッタは『のろい』に触れないことが何よりも肝要、専門家ではないとはいえ対処はエリカがやるべきなのだ。

 しかし、キリルは何ら慌てることなく、ふむ、と自身の左肘をもう一瞥しただけだ。

「どうやらそのようだ」

「どうして平気な顔してるのよ!?」

「何、この程度……ふんッ!」

 気合いのこもった掛け声とともに、キリルは左腕全体の筋肉に、服の上からでも分かるほど力を込めた。

 たったそれだけで、まるで、合わなくなった服の生地が突如破れてしまうかのごとく、黒い雲はパアンと弾けて、霧散してしまった。

 エリカには分かる。『のろい』の魔力は今、消え去った。解呪薬リカースワクチンだの護符アミュレットだので大わらわな自分たちは一体、という無常感が襲ってきて呆然としているエリカへ、キリルは得意げに説明する。

「騎士の訓練では、微小な『のろい』をわざとかけて対処法を習うものがあると聞き、俺も少し前に『のろい』対策にと先輩騎士から習ってきたのだ!」

 言うならば、キリルは『のろい』を気合いで吹き飛ばした。ただそれだけである。一体全体どういう原理でそうなったかは、目の前で見たエリカもさっぱりである。

 そんなことよりも、エリカは心臓が止まりそうなほど驚いてしまった焦りと、怒りと、心配とをキリルへぶつけた。

「び、びびび、びっくりするじゃない! 馬鹿ぁ!」

「お姉様、それより!」

 ベルナデッタは、キリルへ突っかかろうとしたエリカの袖を引く。

 なんだ、と振り返れば、いつの間にかルカ=コスマ魔法薬局の扉は開かれ、招かれざる客の来訪が実現してしまっていたのだが——金髪にアメジストのような紫の光が混じる、身なりのいい線の細い美青年となれば、その場にいる誰もが身構える。

「やあ、賑やかなことだ。ごきげんよう、皆々様」

 思わず、三者三様の反応が返される。

「ロイスル?」

「ぎえ」

「おっと」

 友好的な態度は形ばかりだろうとはっきり分かる胡散くさい笑顔を貼り付けた、『のろい』の専門家、『魔法使い』のトネルダ伯爵家次男ロイスルの登場だ。アポなし訪問というだけでなく、今話題の中心人物がやってくるとは、まさに噂をすれば影がさす。エリカは嫌そうな顔を隠しきれなかったし、ベルナデッタは笑顔で怒っている。

 それを察したロイスルは、ひとまず弁解しはじめた。

「ベルナデッタ嬢、すでにお気付きのことと思うが、僕がここに来た時点で腹の探り合いをする意味はない、だろう?」

「まあ、そう言わずに。ここは私の友人のいる特別な場所なの、いくら商売仲間であっても土足でよごされれば、私も怒ってしまうわ」

「ああ、これは失敬。完成しているかどうかを見るには、やはり実際に『のろい』をかけてみるのが一番手っ取り早い。とはいえ、まさか気合いで何とかされるとは思ってもみなかった」

 このとき、エリカの脳裏には、二つの感情が生まれた。

 一つは、このやろう、うちのキリルへ『のろい』をかけるなんて、という怒り心頭の憤慨。

 もう一つは、あれ? 気合いで何とかなっちゃったね、『のろい』……という居た堪れない憐憫の気持ち。

 そして、キリルの得意げな顔がさらに上機嫌となって、挑発されたと勘違いしたロイスルからさっそく素直な感情を引き出していた。

「ふっふーん」

「これだから騎士は……そういう野蛮さが残るから嫌いだよ」

 どうやら、キリルのやったことは、『のろい』の専門家も実効性を認める微細な『のろい』への対処法だったようである。もうノクタニア王国の貴族たちは全員筋トレすればいい、と匙を投げかけたが、エリカは何とか現実に帰ってきた。

 しかし、なぜかロイスルがこの場の会話の主導権を握ってしまう。

「さて、ルカ=コスマ魔法薬局を頼りにやってくる人々のためにも、会談の場所を移動しよう。営業の邪魔をしてはいけない」

「受付嬢を連れ去ってもいけないと思うわ」

「そうなのかい、君」

 わざとらしくエリカを『君』と呼びながら、ロイスルは演技くささを隠そうともせず、嫌味にもこう言った。

「いや、こう呼ぶべきか。『金冠魔法調剤師ゴールドクラウン』の上に設けられたノクタニア王国初の称号『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』に輝く、エリカ・リドヴィナ。その功績は未だつまびらかにされていないものの、一部では『のろい』への決定的な対抗策となる魔法薬を開発した……などとささやかれているが、真相はいかに?」

 つまるところ、ここまで情報を掴んでいますよ、という脅した。その点では、ロイスルの行動は、エリカの中では襲撃してくるチンピラに命令を下した人間とさして変わらない。

 だが、逆に言えば、そこまで知っているなら話が早い。

「分かったわ。ベルナデッタだけじゃなく、私にも話があるのよね。ちょっと待ってて、受付を代わってもらわないといけないから、局長に相談してくる」

 どうせ、いつかは対決しなければならなかったのだ。エリカは追い返すことを諦め、さっさと用事を済ませることに決めた。

 ベルナデッタがエリカへ心配そうな視線を送ってくる。エリカは小さく微笑みを返して、奥の調剤室へと入っていった。

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