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第36話 専門家の知見-1

 もはやエリカとベルナデッタは、三つ星ホテル『ノクテュルヌ』の常連である。

 ロイスルの乗ってきた馬車にそのまま乗り込み、ルカ=コスマ魔法薬局から三つ星ホテル『ノクテュルヌ』のエントランスに付け、ベルナデッタがドアマンに微笑みかければすぐに中へと案内されるくらいには客として顔を知られている。

 迷宮のようなホテル内廊下に未だ慣れないエリカは、しっかり迷子にならないよう——キリルが、である——袖を引っ張っていた。前を歩くベルボーイやロイスル、ベルナデッタにはバレていない。キリルが外見や能力はよくても中身は自覚のないポンコツ騎士であると知られてしまうと、誰が困るかといえば護衛を頼むことの多いエリカである。おそらく、それ以外に弊害はない。

 そうして、ベルボーイに王宮のような大理石の廊下の突き当たりにある金枠の大扉に案内され、また新たなホテルの一室ができていることにエリカはもう呆れるしかない。『複合型魔法装置マルチツール』の進化はここまで来た——海辺のコロニアル様式の宮殿である。明るい青一色の透明度の高い海、どこまでも続く青空と千切れ雲、椰子の木が美しい砂浜に沿って群生する。その海を望む開けたバルコニーと風通しのいい籐編みの家具一式が並ぶ一室は、ノクタニア王国にいながら南国のバカンスを体験させてくれる。

 とはいえ、今はバカンスどころではない。用意されたトロピカルジュースとコーヒー、サンドイッチなどの軽食が並ぶ籐とガラス面のテーブルを四人で囲み、ベルボーイが「ごゆっくりお過ごしください」と一礼して退散してからが本番だ。

 今、ここにいるのはエリカと護衛の騎士キリル、ノルベルタ財閥の立役者ベルナデッタ、そして魔法使いのトネルダ伯爵家ロイスルである。

 ベルナデッタは笑顔を張りつけながらも警戒心は解いておらず、ロイスルから投げかけられる会話にはどこか突き放した物言いで応対している。もっとも、ロイスルはほとんど喋らないエリカにも注意を払っており、エリカの態度や意思を見極めようとしているようだ。キリルはというとトロピカルジュースが美味しいらしくもう飲み干していた。

 この場面、エリカはどうにも座りが悪い。ベルナデッタへ助け舟を出したいのだが、口を挟むチャンスが巡ってこない上、なかなかロイスルも世間話を切り上げない。

(何だか気まずい)

 だが、やっとそのチャンスは巡ってきた。そう——キリルに、だ。

「アメリーとの婚約破棄は、話を進めてもかまわないのだろう?」

「ええ、ひとまず。でも、本当にいいのかしら。あなたに何のメリットもないのではなくて?」

「前にも言ったが、落日の侯爵家よりも急成長の財閥に鞍替えしたいだけさ」

「ほう、それはつまり、ベルナデッタに秋波しゅうはを送っているのか? 婚約者がいるのに?」

「騎士殿、こちらの事情は」

「俺はキリル・ウンディーネだ。以後よろしく頼む、魔法使い殿」

「……それで」

「では頼みがあるのだが」

「……頼み?」

「うむ! 単刀直入に問おう、誰でもできる簡単な『のろい』の攻略法はあるだろうか?」

「そんなものがあればこちらの商売は上がったりだよ」

「だが、俺は気合いで何とかしたぞ」

「ああはいはい、気合いがあればできるんじゃないだろうかね」

「つまり、魔法使いはたるんだ王侯貴族たちに運動を推奨するために『のろい』を……!?」

「きわめてナンセンスな健康推進方法だと思うよ」

 ロイスルが機嫌の悪さを隠さず、そう言い放つ。キリルは「うむ、確かに」と納得している。ベルナデッタはそのやりとりに少しばかり笑顔が引きつっており、本当は大笑いしたいのだと見て取れる。

(やばい、あのプライド高いロイスルが、キリルにすごく苦手意識持っている。面白すぎてずっと見ていたいわ)

 とはいえ、今日はロイスルで遊ぶ暇はない。エリカはキリルの靴の踵をコツンと蹴って、そのあたりにしておけと合図を送る。それに気付いたキリルが、小さく咳払いした。

 ベルナデッタの目配せもあり、機嫌を直したロイスルはやっと本題に入る。

「さっさと本題に入ろう。エリカ・リドヴィナ、新しい解呪薬リカースについて教えてもらえないかい?」

「真正面切って来すぎでしょ」

「何か困ることでも? 僕が魔法使いだからかい?」

「うん」

「少なくとも、僕がノルベルタ財閥と手を組む前ならば、その報を聞けばすぐにでも新しい解呪薬リカースの開発者を呪い殺していただろうさ。だが、今は状況が異なる。魔法使いが『のろい』に代わる収入源を得たなら、『のろい』にこだわる理由はほぼなくなると見ていい。なぜなら、魔法使いもやりたくてやっているわけではないからだ」

「へぇ〜」

「信用していないのか?」

 するわけがない、とエリカは大声で言いたかったが我慢する。『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』になってからこっち、ひたすら何者かに襲撃されている身としては、襲撃の指示者が魔法使い以外にいるだろうか、と考え尽くしたものの、思い当たる節が他になかった。

(襲撃自体は、間違いなくどこかの魔法使いが新しい解呪薬リカースの製造を妨害しようとしているからだろうし、ロイスルもその情報を掴んだから私に会いにきたわけで……いくら何を言われても、『のろい』が効力を持ちつづけてほしい人たちの中にロイスルが入っていないなんて、信じられる? 無理でしょ)

 もちろん、エリカがロイスルを信じない理由はそれだけではない。

 乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』にて、ロイスルは『のろい』を使う悪役だ。ロイスルルートに入らないかぎり、本人の認識如何にかかわらずヒロインのベルナデッタにとって邪魔者に徹する。かといって、ロイスルを攻略するルートに入ったとしてもバッドエンドはまぬがれない。ベルナデッタが『のろい』をやめさせようとしてもロイスルは耳を貸さず、むしろベルナデッタへと『のろい』をかけて強制服従させようとするが、もしこのときベルナデッタの能力を育成していないとそのまま服従エンド突入、十分に育成しているとバチバチに火花散る緊張感満載の悪辣夫婦エンドとなる。なお、シナリオを読むかぎり、その後ベルナデッタが幸せになる描写はない。

 そんな悪役がエリカとベルナデッタに近寄ってきて、警戒するなというほうが無理である。

 なのに、どうも様子がおかしい。

 その原因はすぐに分かった。キリルだ。

「魔法使いも人を殺すことに抵抗感があるのか?」

「当たり前だよ。怪物か何かだと勘違いしていないか」

「しかし、よく『のろい』をかけてくるではないか」

「それは魔法使いとしてのメンツに関わるからで」

 本来のシナリオなら、どのルートであってもキリルがロイスルと会うことはない。なぜなら、エリカと同じくキリルもモブであり、名前さえないドミニクス王子の騎士なのだ。それが『ノクタニアの乙女』悪役ヒーローのロイスルと出会ってしまった。

 すると、どうなるか? ——シリアスなシーンも、すっかりコメディになってしまっているのだ。これでも大真面目なキリルに釣られて気取ったロイスルの調子が崩れ、エリカとベルナデッタに生温かい視線を向けられるざまである。

(これもフラグを潰してきたからこその運命シナリオの変化、よね? いや、このまま敵になるより全然いいんだけど、何か釈然としない……まあいっか、ロイスルにはこのまま雰囲気に流されて三枚目ヒーローになってもらおっと)

 人の出会いは、どんな化学反応をもたらすか分からない。ベルナデッタも各ルートで未来の姿がそれぞれ大きく異なるし、エリカと出会った今もゲーム内で見せなかった一面が次々と出てくるくらいだ。

 エリカはわずかに残る釈然としない気持ちを心の奥底にしまい、大きなため息を吐いて仕切り直したロイスルの話に耳を傾ける。

「……とにかく、魔法使いが『のろい』を商売道具とせずに済むようになるなら、それに越したことはない。我々の本分はそもそも各家に伝わる魔法の研究であり、『のろい』は副産物にすぎない。もっとも、その副産物の利益が大きすぎたせいで、代名詞のようになっているがね……ゆえに、商売の河岸かしを変え、明るい日の下で大手を振って歩けるようになることは、魔法使いの多数が願っていることだ。これは、魔法使いたちを代表しての発言だと見做していい」

 エリカはベルナデッタへ視線を送る。これは信じてもいいだろうか、という無言の問いかけに、ベルナデッタは上手く会話に紛れ込ませて答える。

「まあ、そうね、トネルダ伯爵家は魔法使いの中でも規模の大きな家だから、中小の魔法使いの家々は従うでしょうけれど」

「そういうことだ。それに、エリカ・リドヴィナ、魔法学院に通っていた君は知っているだろうが、魔法使いたちにも横の繋がりはある。政治的なものだが、『伯爵同盟』という名で魔法使いの利益代表となっているものだ。我が家はそこの一員として、

 要するに、ロイスルの属するトネルダ伯爵家は、他の魔法使いたちに命令を出せる立場にあると言いたいのだろう。さながら、貴族ではエーレンベルク公爵家が一門を強力に統率するように同じようなことを行える、それは嘘偽りではないだろう。『伯爵同盟』という組織にしたって、ノクタニア王国の魔法使いの家が持つ貴族階級は伯爵が上限であり、実は『ノクタニアの乙女』の用語でもチラッと出てくるので実在はしている。

 その上で、ロイスルの要求は迂遠で奇妙なものだった。

「ノクタニア王国のほぼすべての魔法使いを、取引先であるノルベルタ財閥の管理下に置くことが叶うならば、この国から『のろい』の恐怖は失われるだろう。そうならば、君たちは新しい解呪薬リカースを放棄するつもりは?」

 エリカは首を傾げる。ロイスルは、『のろい』とともに解呪薬リカースワクチンを放棄しろ、と迫ってきた。

 そもそも、『のろい』がなくなれば解呪薬リカース自体がその存在意義を失うのだが——悪役ロイスルがそんな単純なことを言うはずがない。

「それって、『のろい』の専門家のと新しい解呪薬リカースを同時に捨てましょう、っていうこと? 金輪際『のろい』を使用しないから、ってで。どうせトネルダ伯爵家だけは例外、なんて付則がつくんでしょうけど」

「理解が早くて助かるよ」

 これに険しい顔をしたのは、淑やかにコーヒーを飲もうとしていたベルナデッタだ。

「何よ、それ。ロイスル、そんなものを信用できるとお思い? 『のろい』を行使できる技術者が存在する以上、解呪薬リカースで備えて対処可能にすることは、人命救助の観点から当然残すべきことでしょう?」

「違うさ、ベルナデッタ嬢。僕が言いたいのは」

 皮肉げな笑みを浮かべて、ロイスルは自信満々に、からの視点で語る。

「人はどうやっても『のろい』を求め、頼る。魔法使い我々はその悪意を受け止める窓口となっているにすぎない、ということだ。もし、『のろい』が完全に効果を失えば……人々は代替となる他のものを模索し、使いはじめるだろう。『のろい』以外の、未知の技術でも何でも、憎い相手を殺せるならば、とね」

 なるほど、ロイスルは賢い。ロイスルの主張に得心の行ったエリカは素直に賞賛したかったが、怪訝な顔をしたベルナデッタとキリルの手前、言葉にはしない。

 おそらく、ベルナデッタにも理解できない話ではない。彼女はゲーム中のルート次第では憎悪の象徴にも悲劇の女王にもなれる素質を持つのだから、そういった人間の悪意の矛先がどれほど御しがたいか、なんとなく察しているだろう。それを今、明確に表現できないだけだ。

 突飛な話に何とかついていこうとするベルナデッタのためにも——キリルは放っておいて——エリカはどうにかロイスルの意図するところを和らげて伝えようと考えた。

「……エリカ・リドヴィナ。君なら断言できるはずだ、必ず悪意でもって使われる技術は生まれると」

 そんなことは、魔法調剤師としてエリカが理解していないわけがないのだ。

 薬は毒にもなる、逆も然り。どんな技術も、その使用者の意思によって使い分けられる。だからもし『のろい』が完全に消え去っても、代わるものが生まれるのは必然だ。なぜなら、需要があるのだから。

 それをそのまま説明するのはあまりにも悲観主義がすぎるので、エリカは言葉を選んで、『のろい』を残す理由とロイスルの取引を否定する論理を構築していく。

「可能性は無視できない。それに、将来的に『のろい』が何かの病気を治す道具になる可能性だってある」

「お姉様、そんなこと」

「『のろい』の技術を残すことは、後世の素養ある人間にもその足跡を辿れるようにするということよ、ベル。完全に効力を失った技術となったら、『のろい』は誰も見向きもしない。研究は止まり、本来才能のあった人間はその分野を学ばず、衰退して消滅する。もちろん、完全にじゃないわ。でも、必要とされるときに必要な技術がなかったら、ひょっとすると」

 それがロイスルのもっとも主張したいところであり、エリカたちと相容れないところだ。それを明確に、否定しなくてはならない。

「でも、新しい解呪薬リカースを——そんなものがあるとして——捨てることは、『のろい』の技術を捨てるのと大して変わらないわ。それはできない、ただし共存の方法は考えられる」

 キッパリと否定されても、ロイスルはいささかも不都合に感じていないように、涼しい顔だ。

 こと交渉においては、最初は吹っかけるものだ。ロイスルの狙いは、この先にある。

 エリカは話を続ける。

「ロイスル、あなたはトネルダ伯爵家のことを第一に考えているの?」

 ロイスルは馬鹿ではない。その証拠に、エリカの言わんとするところを、一瞬で捉えた答えを返す。

「まあ、僕は次男だからね。家を継ぐことはない、だが、魔法使いとしてこのノクタニア王国において人生が生きづらいことは百も承知だ。君たちは知らないだろうが、我が家には義弟義妹がいる。王国各地で魔力を持つというだけで偏見や差別のもとに捨てられ、他国へ売り飛ばされかけた子どもたちだ」

 ああ、やっぱり、とエリカはで納得した。ロイスルが悪役である理由、それが今までになく明らかになったのだ。

「他の魔法使いの家はそこまで養いはしないだろうが、我が家は余裕があるから受け入れた。そして、正直に言おう、僕は彼らのためにも『のろい』で金を稼ぐ必要がある。研究は長兄に任せるとしても、十人を超える魔法使いの子どもたちを、どうやって養う? ——もっとも簡単に稼げるのは、『のろい』によって貴族を殺すことだ。無論、そのためには我が家だけが潰されないよう他の魔法使いの家も支援して注意を逸らし、貴族たちを震え上がらせておく必要がある。こちらは数が少ないのだから、最大限権力と能力を発揮して立ち回らねばならない。そうして、トネルダ伯爵家は続いてきた。これからも、そのやり方を続けるだろう」

 物語において、悪役が悪役たる理由は必要だ。『ノクタニアの乙女』ではシナリオ中にそれがすべて語られたわけではないものの、設定はなされているだろうとエリカは踏んでいた。

 魔法使いに対する差別は、ロイスルが悪役とされる設定の一つであり、今はロイスルの悪役としての行動を決定づける根源にあるものだ。『のろい』への恐怖の影に隠れながらも、この世界のシナリオの前提にあるもの。

 一つ間違えれば、エリカだってその差別を受けるはずだった。

「分かるか、使。君は運よく王都の貴族の家に生まれ、恵まれた教育を受け、真っ当な人生を歩むことができる。だが、他の者たちはそうはできない。なぜなら、魔力を持つ証拠である『宝石の髪』が、我々を他の人間たちと同じ存在ではないとうそぶいてくれるからだ。ろくな根拠もなく差別し、『のろい』など学んでいない子どもさえ恐れて殺す。君以外の世界では、それが当たり前なのだよ」

 ロイスルの言葉には、いつの間にか熱がこもっていた。

 しかし、それが演技かどうかなど、エリカにはどうでもいい。エリカにできるのは、ロイスルや魔法使いたちへの同情でも憐憫でもなく、だからだ。

「だったら、尚更『のろい』は暗殺の技術ではなく、治療の技術として活かしていく必要があるじゃない。魔法調剤師だけじゃなく、もっと他にも道を用意すべきよ。そのために、ノルベルタ財閥を利用していけばいい。そうでしょう? ロイスル。それに、ベル」

 ここまでお膳立てすれば、あとは本当のヒロインに任せられる。ベルナデッタはハッと閃いたらしく、興奮気味にエリカの後を継いだ。

「そう……そうよ、お姉様! 私たちはもう、魔法使いと協力して新しい技術を作ることができる! もちろん魔法使いの研究も支援するわ、『のろい』の技術が安全に絶えないよう保護もできる! あなたの家の子どもたちだけじゃない、このノクタニア王国すべての魔法使いたちを、ノルベルタ財閥が探し出して教育して、未来に道を示すことができるのよ!」

 ベルナデッタはやってやったと満足げな笑みをロイスルへ向け、「そうよね?」と同意を求めた。

 すると、ロイスルはベルナデッタへ拍手を送った。

「ふう、やれやれ。そう簡単には行かないか」

 負け惜しみのようなそれは、悪役としての〆のセリフだ。指摘するのも野暮だが、エリカとしては最後の一押しをしておく。

「ロイスル、自分のところの『のろい』だけ残そうとしたのは、悪役を引き受けるためでしょう?」

「ああ。それの何が悪い? 誰かが悪を引き受けなければならないこともあるさ」

「知っているわ。でも、露悪的にしなくてもいい。ベルがいるんだから」

 ロイスルは自嘲気味に顔を背けた。この男、最後まで悪役になろうとしていた。

(『のろい』の独占で利益を得る、という建前のトネルダ伯爵家にだけ『のろい』の技術が残れば、恐怖心だってトネルダ伯爵家へのみ向けられる。それを上手く利用する自信があったんだろうけど、それじゃ。そんなの、私もベルも許すはずがないでしょ)

 やっとのことで、ヤマは越えた、とエリカは確信した。ロイスルにもまた悲劇を迎えるエンディングルートが残っていたものの、ベルナデッタとの協力、『のろい』の転用計画によって彼の行動指針も悲劇から遠ざかっていくはずだ。

 内心安堵しながら、エリカが自分の前にあったトロピカルジュースに手を伸ばそうとしたそのとき、そこには空のグラスしかなかった。

 ほぼ反射的にエリカはキリルを睨む。こいつ、私の分のトロピカルジュースを飲んだのか、というエリカの厳しい叱責の視線から逃れるために、キリルは苦し紛れにとんでもないことを口にした。

「つまり、えーと、解呪薬リカースワクチンはこれまでどおり広めるということでいいのか?」

 即座にエリカはキリルの頭を引っ叩いた。

「キーリール! バラすな!」

「うわっ、すまん!」

 すまんで済めば警察も騎士もいらない。いや、むしろキリルがここまで黙っていてバレなかったことが奇跡なのかも知れなかった。

 解呪薬リカースワクチンという単語に耳聡く反応したロイスルへ、これ以上誤解を生んでたまるかとエリカはこれまでの経緯をざっと説明する。せっかく話がいい感じで終わりかけたのだ、ひっくり返されてはたまらない。

 幸いにして、ロイスルは解呪薬リカースワクチンについて正確に理解し、自身の立場からも受け入れられるようだった。

「なるほど……まあ、王侯貴族にだけ効かなくなるなら、まだマシか」

「『のろい』の蓄積の話も、どうにかしたくて」

「そのために解呪薬リカースワクチンが使えるなら、使えばいい。僕は『のろい』の技術が手元に残りさえすればいいのでね」

 抜け目なく『のろい』を手放さないよう動くロイスルは、ふふん、と上機嫌にこう言った。

「反抗の手段を残さないのであれば、君たちを権力者の犬と見做しただろうが、そうではないなら——我々魔法使いを長期的な視野で助けるつもりがあるなら、やってみるといい。今は協力してやろうさ。さて、これからの話をしよう」

 ロイスルのどこか憎らしい物言いは変わらず、しかし協力する意思は本物のようだ。エリカもベルナデッタも、目を合わせて喜んだ。

 一方、キリルは追加のトロピカルジュース注文に行くよう、エリカに椅子を蹴飛ばされていた。

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