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第36話 専門家の知見-2

 ロイスルに解呪薬リカースワクチンの開発が知られたなら、その次の行動計画も教えておいたほうがいい。そう考えたエリカは、大規模接種計画を進めていることをロイスルへ伝えた。

「でも一気に大人数に、となると高位貴族あたりの……ほら、エーレンベルク公爵にでも頼もうと思って色々しているけれど、なかなか上手くいきそうになくて」

「エーレンベルク公爵に、解呪薬リカースワクチンの大規模接種へ協力を呼びかける?」

「何かいい案はない?」

 もしかすると、じゃの道はへびとばかりに『のろい』の専門家ロイスルにだけ思いつく何かがあるかもしれない、という淡い希望から出た問いかけは、話を思わぬ方向へすっ飛ばした。

 ロイスルは長い髪をかき上げ、呆れ顔だ。

「簡単なことだが、まさか今まで誰も思いつかなかったのか? 揃いも揃って、やれやれ」

 自信たっぷりのロイスルは、三人が疑問を思い浮かぶ前に、その『簡単なこと』をあっさり答えてしまった。

「エーレンベルク公爵に『のろい』をかければいい。ついでだ、長女のエレアノールにもかけてしまおう。そうすれば居場所を炙り出せる、『公爵家の悲劇』に囚われてばかりのエルノルドに恩を売れるのではないかと思うが、いかがかな」

 しん、と部屋が静まり返る。遠くで波が砂浜に打ち寄せる音だけがしていた。

 ロイスル以外は難しい顔を並べていたが、ついにエリカがドン引きしながらも——実はエリカも思いつきはしていた、その悪辣な手段を口にされてしまった以上、どうにかしなくてはと口を開く。

「……その方法、取っちゃうかぁ」

「お姉様、さすがに私もどうかと思うけれど!」

「ん? 『のろい』の効果が分かれば、向こうから頭を下げて解呪薬リカースを求めてくるのでは? 従来のものや護符アミュレットさえも突破する強力な『のろい』、それに太刀打ちできるのはエリカ・リドヴィナが作った新しい解呪薬リカースのみ! ……という触れ込みであちらからの接触を待てばいい」

 いやそうなんだけどね、倫理的にね、と言ったところでロイスルは屁とも思わないだろう。正攻法では時間がかかりすぎるなら、これしかないのかもしれない。しかも、唯一反発しそうなキリルが何も言わない。

 せめて、とエリカは注文をつける。

「死なないように手加減はできる?」

「手元を離れた『のろい』を完全にコントロールはできない。だが、命を尽きさせずに苦しめる方法ならいくらでもある。それで行こうか」

「えげつなさすぎ」

 そもそも、貴族に『のろい』をかけるなど犯罪も犯罪、極刑は免れないレベルの重罪だ。もしバレたら、ロイスル一人でやりました、が通用するならまだしも、確実に芋づる式でベルナデッタやエリカも捕まる。キリルも、ましてやエリカの後ろ盾のドミニクス王子まで影響が及ぶだろう。

 となると、当たり前だが、簡単に頷くわけにはいかない。

「待って待って。まだ望みはあるから、そう性急に話を進めようとしないで。ロイスル、もし頼むときはちゃんと言うから、それまで絶対に動かないで」

「そ、そうよそうよ! ロイスル、絶対ダメだから!」

「では、気が変わったら呼んでくれ。いつでも準備はしておこう」

 絶対という言葉にどれほどの強制力があるのか、ましてやロイスルがエリカやベルナデッタの言葉に本当に従い、耳を貸すのか——それらの保証はどこにもない。

 やってしまった。エリカは、とんでもない失敗を犯してしまったのかもしれない、とひたすら悔やむ。

(ロイスルが完全に味方だって保証もないのに、ああもう! 逆にこっちがロイスルに脅される要素ができちゃったじゃない! キリルも私も、やらかしが酷すぎる!)

 結局、ロイスルは用事があるとのことで先に帰ってしまった。残されたエリカとベルナデッタは、波音を聞きながら追い込まれている現状にテーブル上でのたうち回って叫ぶ。

「うわー、うわー! ロイスル、勝手に動きそう!」

「どう考えてもまずいわ、お姉様! ロイスルに話してしまった以上、解呪薬リカースワクチンの大規模接種を完了するまでの制限時間が作られたようなものよ! 急がないと、本当に『のろい』をかけることになっちゃうわ!」

 それはまずい、という認識はここでは一致している。

 『のろい』をどうにかするために解呪薬リカースワクチンを開発したのに、ここで接種のために誰かに『のろい』をかけるなど本末転倒、マッチポンプだ。ただ、その手段は使い方によっては選ぶしかないときもあることも、エリカは理解している。

 その上で、エリカは次の行動へと考えを移した。

「ひとまず、取れる手段が増えたと考えましょ。もちろんデメリットが大きすぎるから実際には取らない、でもあのロイスルよ。キリルに堂々と『のろい』をかけるわ、あのドン引き提案だわで……早く別の手を打たないと、勝手にエーレンベルク公爵家へ呪いをかけかねないわ」

 エリカのロイスル評にベルナデッタも同意して頷くが、心のどこかではベルナデッタのためなら勝手な行動は取らないのではないか、という希望的観測もある。今、ベルナデッタがいなくなって困るのはロイスルや魔法使いたちだ。ゆえに、ベルナデッタがロイスルへ釘を差しつつ、監視兼交流を深めるための食事やお茶会あたりに誘って……という地道な好感度アップ作戦でもすればあるいは、時間稼ぎになるかもしれない。

「はあ、仕方ないわ。ロイスルともっと話してみる。商売の話ついでなら食事に行くとか言って」

「うん、お願い。あと、本っ当にやりたくはなかったけど、アメリーにももう一度相談してみようと思うの。ロイスルとの婚約破棄は気にしなくていい、ってことも伝えるついでに」

「あ、そう、そうね……うん」

「……ベルは行かなくていいから、ね!?」

「ご配慮痛み入るわ、お姉様……よろしくお願い」

 はあ、と南国の空気に似つかわしくないため息が二つ漏れる。

 やらかしたキリルが追加注文したトロピカルジュースをまた飲んでいたため、横目で見ていたエリカはついに「ドミニクス王子殿下に言いつけてやる」とつぶやいてやった途端、キリルが飲んでいたジュースを盛大に吹き出した。

 ため息どころかギャアギャアと叫び声と怒声が増え、どこからか給仕たちがやってきて大騒ぎとなったが、エリカの気持ちは暗澹あんたんとしたままだった。

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