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第40話 事前の話では

 話は数日前に遡る。

 エリカとキリルは、またしてもアメリー宅を訪問していた。今度はちゃんとアポを取り、エリカ側の認識とエルノルドの企みをきちんとすり合わせるという予定まで立ててのことだ。

 そのためなのか、アメリー宅の居間には新たな飲み物、コーヒーが用意されていた。エルノルドがコーヒーを淹れる道具一式を調達してきて、エリカたちが到着したころにはちょうど淹れたてのコーヒーが供される、何とも小粋な計らいである。もっとも、エルノルドがどんな思いでそんな大盤振る舞いをしたのかは、エリカにはよく分からない。ひとまず、エリカが買ってきたクッキーとコーヒーは合うだろう。

 居間のテーブルを囲んだ四人は、早々に話し合いを始める。

「だから、エーレンベルク公爵邸に入るだけでも王城に入るより難易度高いのに、どうやって侵入して人を攫ってくるわけ?」

「やり方などいくらでもある。かつて勤めていた使用人たちから聴取して、おおよそ内情は把握しているんだ」

「そんなの時間が経てば経つほど信用できなくなるじゃない。公爵は慎重を期す人柄なんでしょ? だったらほとんどその内情とやらは変わっていると思うわ」

「それでもないよりははるかにマシだ」

「それはごもっとも」

 エリカとエルノルドは、自分たちの持つ情報交換がてら、互いの計画や思考をぶつけ合って修正していく。

 片や、キリルは大皿に盛ったクッキーをひたすら食べ、隣でアメリーがドン引きしていた。

「このクッキーは美味いな。バターたっぷりでサクサク食感もいい」

「食べすぎじゃないかしら……?」

「そうか? なら、このあたりは残しておこう」

「少なすぎよ。もっと残して」

「だが、俺はもっと食いたい」

「自重しなさい。太るわよ」

 子どものようなキリルの主張に、アメリーは即座に叱ってクッキーを貪る手を引っ込めさせた。さらにはコーヒーに入れる角砂糖の量にまで言及し、コーヒー一杯につき二つまでという制限を課す。

 そんな微笑ましい様子を横目で観察しながら、エリカとエルノルドはだんだんと会話が早口になっていく。

「第一、お前はもうドミニクス王子を通じてやつへ接触しようとしているだろう」

「うん。返事はまだだけど」

「今頃、やつはお前の身辺を調べ尽くして、俺に辿り着いているだろうさ。婚約を破棄したとしても、やつは俺を警戒するに違いない」

「でしょうね。どうする?」

「それを逆手に取る。俺はわざと捕まって、公爵邸へ入る」

「え? 別のアジトみたいなところに収容されたりしないの?」

「お前が何を言いたいのかはともかく、やつの本音は、俺を手元に置きたいんだ。合法的にできないなら」

「ちょっと待って。待って待って、エルノルド、公爵に嫌われてるんじゃないの?」

「それを説明させるのか、お前は」

「いや、説明しなさいよ。わけ分かんないもの」

「はあ……いいか、俺の母は、なぜやつに監禁されていると思う?」

 エリカは面食らう。まさかの疑問、まさかのろくに考えてもいなかった動機について、憶測でしか把握していないことにやっと気付いた。

 エーレンベルク公爵は、自分のあずかり知らぬところで長女エレアノールが現ニカノール伯爵と恋に落ち、あまつさえ一子いっしまで儲けたことから、二人の関係を断絶させてエレアノールを外界から遮断、自宅監禁するに至った。しかし、なぜそこまで極端な行動に出たのか、エーレンベルク公爵が一体どのような感情や考えを持っていたのかは、誰も知らない。語ろうとしても、どうやっても推測の域を出ないのだ。この一件自体が『公爵家の秘密』とされ、エーレンベルク公爵家から睨まれるのを恐れて誰も深掘りしないし進展がない以上、新たな情報はない。

 となると、その推測をするしかない。溺愛していたという長女が自分の把握していない交友関係で、結婚を前提とするような恋人を作っていたことを知れば、普通の父親は驚いたり、怒るのではないだろうか。それも大貴族のご令嬢ともなれば婚約相手も引を切らないだろうし、子どもまでいればもう他の誰かとの穏便な結婚は望めないかもしれない。そこはエーレンベルク公爵家の権力で何とかできるだろうが、すでに長女エレアノールは父親の意向に背いているのだから、そのあとも父親の言うことを聞くとは限らない。

 あまりにも推測の材料が少ないため、エリカはひとまず誤魔化す。

「溺愛っていうんだから、親馬鹿すぎて、とかじゃない? うちの娘が魅力的すぎるからこんなことになった、だから家に監禁する、みたいな?」

「……そうだ」

「えっ」

「長女に対して溺愛と過保護で有名だったエーレンベルク公爵は、長女とニカノール伯爵の逢瀬に激怒し、監禁するに至った。ここまではいい——そのとき、やつは怒りのあまり、俺の父ごとニカノール伯爵家を潰そうとした。しかし、俺の母が妊娠していることを知ると、子どもをニカノール伯爵に渡して育てさせた。溺愛する長女の産んだ子どもを、どうしても殺すことはできなかったんだと。腹立たしいが、おかげで俺は命拾いしたわけだ」

 エルノルドは皮肉たっぷりに自分の運命を嘲笑っているが、そんなことをされてもエリカには反応しづらい。チラリと視界に入ってくるキリルとアメリーはなぜか大皿のクッキーの奪い合いをしているため、助け舟を出してくれそうになかった。

「エーレンベルク公爵家は確かに絶大な権勢を誇るが、内部の統制はひとえに公爵の恐怖政治によるものだ。公爵やその側近の目の届かないところでは、内外の敵の付け入る隙がどうしても出てくる。最大派閥であることが仇になるわけだ」

「ふーん。それもエルノルドを手元に置くことはしなかった理由の一つ?」

「そういうことだ。むしろエーレンベルク公爵家の中で育てることは危険だと考え、体裁を繕って俺をニカノール伯爵家に任せた。そのほうがまだ他人として可能性を残しておける、と考えたのかもしれないがな。何にせよ、あの男は俺の存在に対して愛憎入り混じった感情を持っていて、他人と違って非情になることができないその証拠だ」

 エーレンベルク公爵に対する、非情という評価はあながち間違いではない。男爵家令嬢のエリカでさえ、エーレンベルク公爵の数々の噂を耳にしている。長女エレアノール以外の家族へは厳しく、嫡子であるはずの長男など晩餐会での些細なマナー違反で辺境に飛ばされたというし、使用人への体罰や過酷な仕打ちの話は枚挙にいとまがない。公爵の周辺には有能な人物が揃っている一方で讒言ざんげんを嫌い、同僚を追い落とすような真似をした部下には結果的に追放だけでなく爵位剥奪という社会的抹殺にまで追い込んでいる。無論、信賞必罰の精神からだろうが、それにしても罰が重すぎると有名だったのだ。

 そんな人物が、政治的には大きなリスク以外何物でもないエルノルドを『公爵家の秘密』の噂が流れてでも生かしておいたのだから、確かに何らかの捨ておけない感情を抱いていると見ていい。

(……まあ、そうなんだけど、エルノルドからすればそれってムカつくことよね? って本人に聞いたらマジギレされそうだから聞かないどこ。私でもそれくらい空気読めるし)

 それに、エリカからすれば、エーレンベルク公爵とその家族は乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』本編および追加シナリオ中、一度たりともキャラクターとして出てこなかったのだ。あくまで悪役、エルノルドの敵役かたきやくとして設定されている巨悪だが、詳しい描写はほぼない。なんならエルノルドの母エレアノールにだって顔グラさえない。

 これが意味するところを、エリカはなんとなく察していた。

(ゲームの制作側からすれば、このあたりのことはんじゃないかしら。そもそも、エルノルドのトゥルーエンド自体が追加シナリオで後付けだろうし、乙女ゲームのプレイヤーにドロドロの政治劇が見たい層は少ないんだからその分他へリソースを回すはず。だからエーレンベルク公爵まわりはふわっとしたゆるい情報しかなくて、エルノルドを悲劇へ陥れるための舞台装置。だから……)

 そのさきの推測は、あくまでエリカが考えうる二つのルートだ。

(エーレンベルク公爵家という舞台装置自体を壊さないとエルノルドは幸せになれないのか、あるいは、一度イベントとして通過してしまえばもう用済みで以後問題にならないのか。どっちだろ、そこまで長々やるイベントでもないはずだけど……前者ならもうエルノルドはこの国にいる間は幸せになれないようなものだし、後者なら楽だけどそうなる保証は一切ない。この先のエルノルドの結末がどうであれ、今後はエーレンベルク公爵家との関わりを断つべきで、そうするためには本人よりも私やベルナデッタヒロインが誘導する必要があるわよね、これ)

 悶々とエリカは考えてみるものの、結論の出る話ではなさそうだった。少なくとも、エルノルドが和解してエーレンベルク公爵家に入るというルートはないだろう。

 エルノルド、なんとも他人に将来を心配させる男である。

 本人が聞けば思いっきり罵倒してきそうなことをうっかり口走らないよう、エリカはこっそり深呼吸して思考を切り替える。それを見たエルノルドが怪訝な顔をしていたが、話が話だ、たかが男爵家令嬢のエリカには荷が重い話だとでも納得したらしい。

 エルノルドはエーレンベルク公爵についての考察を止め、話を進めた。

「だが、俺はエーレンベルク公爵家にとって無視できないほど、あちこちで挑発しつづけてきた。遅かれ早かれ、何かのきっかけがあればやつに捕まっていただろう。なら、こちらの都合でタイミングを図って捕まってやればいい。そうすれば、まだ対処の手が残る」

「具体的に、どんなふうに?」

「俺が母の救出を急いでいる、という偽情報を流す。商会を動かして、慌ただしくしているように見せかけておけば、あちらも無視はできない。そこへお前の招待をどうするか、という話が重なれば、お前への牽制も兼ねて俺を捕まえておくという判断を下すだろう」

「そうかもしれないけど、そう都合よく行くかなぁ……」

「そこで、ベルナデッタ・ノルベルタとの協力が不可欠になってくる。すでに状況の詳細とこれからの計画を伝えておいた」

 あれ、とエリカは違和感を覚えた。

(エルノルドが個人的にベルナデッタとそんな話ができる関係になってたんだ。それは知らなかった、というかベルから話を聞いてなかったわ。……まあ、友達だからって毎日会ってるわけでもなし、なんでもかんでも私に話す義務もないし、話したかったら聞かなくたってベルからお喋りしてくるからいいか。ベルは意外と慎重だから、まだ確定してないことは言ってこないところあるもんね)

 とはいえ、それはそれとして、未だにエルノルドがベルナデッタを狙っているかのようにも思え、エリカはそのしつこさに呆れ気味だ。さすがに鬱陶しくはないだろうか、思わず目の前の張本人をジト目で見てしまう。

 もっとも、エルノルドは相当不快だったらしく、他人を萎縮させるのに長けた鋭い目でエリカを睨む。

「なんだ、その目は」

「……こんなときに、ベルに色目使うとかないよね?」

「失礼な。第一、彼女以外に、大勢の実働人員を派遣できる協力者がいるか?」

「いないこともないけど、巻き込みたくないわ。もちろん、ベルだって」

「彼女が協力してくれることを条件に、俺は彼女の部下になる」

「へっ!? 何それ!?」

「それ以外に俺にできることはない。リスクを考えればその程度では釣り合わないが、他にないんだ」

「ちょっと待って、それって交換条件の価値あるの? ベルからすればうざくない?」

「うるさい、もうすでに決まったんだ。とにかく、どんな形であっても俺が公爵邸に入れたなら、救出は成功したも同然だ。ベルナデッタ嬢にはすでに相談してある、詳細は……お前には言わなくていいだろう」

「いや、ちゃんと言ってほしいんだけど」

「お前は顔に出るだろうが。これ以上は伝えるつもりはないぞ」

「何よ、ケチ」

 短い罵倒が聞こえるやいなや、エルノルドは無言でシュガーポットから角砂糖を取ってはエリカのコーヒーがなみなみ注がれたカップへ放り込む。二度目あたりでエリカは防ごうとしたが、結局三個も追加投入されてしまった。ぬるいコーヒーでは砂糖は溶けきらず、カップの底にざらざら残る。地味だが腹の立つ仕返しだ。

 甘ったるいコーヒーを甘んじて飲みながら、エリカはアメリーと仲良くクッキーの奪い合いをしているキリルに八つ当たりするわけにもいかず、大きな大きなため息を吐いた。




 こうして、エリカはエルノルドの企みとやらと、ベルナデッタによるそれへの協力が存在することは事前に知っていたが、その詳しい内容は聞いていないし、それから今までベルナデッタと会う機会を逸していたため何も尋ねられていない。

 しかし、一応はその企みは成功するだろう、とどこか楽観視していた。エルノルドも馬鹿ではない、分の悪い賭けはしないし、ベルナデッタがそんな計画に加担することもない。二人の能力と性格への信頼があってこそ、ついでに忙しいこともあって、エリカは無理して説明を求めなかったのだ。

 その結果が、このざまである。

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