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第41話 流れるように

 エリカは執事の一人に案内され、談話室のあった屋敷から石畳の渡り廊下を経て隣の屋敷へと移動していた。どうやら談話室のあった屋敷は客を出迎えるためのものであり、その次に使用人たちの作業場や住居を兼ねた屋敷がいくつか、そして公爵家の生活の場である屋敷はさらに奥に建っているようだった。王都の一等地にこれだけ広大な敷地を持つというのは——エリカには畏怖や驚きよりも先に非合理の極みで無駄のようにしか思えないが、それもまた王をしのぐ権勢を誇示するために必要なのかもしれない。

(ゲーム中のマップじゃこんなのなかったしなぁ……というか、公爵邸自体がダンジョンみたい。歩くの疲れるわこれ……まあ、魔力の反応もないし、『複合型魔法装置マルチツール』とか魔法道具が使われていないことを確認できただけでもよし。罠はないでしょ、多分)

 どうやら、エーレンベルク公爵邸は流行りものに飛びつくことはしないらしく、エリカは周囲の警戒をようやく解いた。『複合型魔法装置マルチツール』があれば三つ星ホテル『ノクテュルヌ』のように別の場所へ移動させられたり、まさに迷宮のように何かあっても公爵邸から逃げ出せないよう細工されている可能性もあったが、それはないと確信が持てたのだ。

 やっと渡り廊下の終わりが見えてきたところで、待っている人影が確認できた。

 金髪のふわふわ毛がまとまらないメイドが、落ち着かない様子で立っていたが、エリカと案内役の執事を見て分かりやすく安堵していた。

「お待ちしておりました、こちらです」

「では、あとは任せました。エリカ様、よろしくお願いいたします」

 案内役の引き継ぎを終え、エリカは慌ただしくメイドにその先の屋敷へと迎え入れられた。

 談話室のあった屋敷とは違い、飾りのない家具やシンプルな壁紙、無駄を排した直線的な廊下を、あちこちで使用人であろう人々が行き交っているが、エリカには誰も目もくれない。自分の仕事が忙しくてそれどころではない、という危機迫った雰囲気に気圧されそうになるが、同時にエリカは同情もする。ここで働くのは気が休まらないだろうな、と。

 そうして、メイドに従いある一室へ入る。小さな休憩室のようで、長ソファが二つとサイドテーブルがあるだけだ。そのソファに、一人の中年の女性が寝かされていた。きちんと化粧をし、メイド服を着ているのは案内役のメイドと変わらないが、腰のベルトから各部屋の鍵束を下げているあたり、位の高いメイドだと一目で分かる。

「この方は?」

「東邸のメイド長、ジャクリーヌです。めまいがして倒れたようです。いつもお医者様は呼ばなくていいと言ってばかりで……今日は高名な魔法薬調剤師様がおいでだと聞き、お呼びした次第です」

「まあ、そうでしたか。持病や日々飲んでいる薬はありますか? できれば、ご本人の口から聞ければいいのですが」

「申し訳ございません、厳格な方でして、部下にはプライベートな面を見せないよう徹底していらして」

 エリカはソファで目を閉じているメイド長ジャクリーヌの顔色を一瞥してから、案内役のメイドへこう言った。

「とりあえず、温かいお茶と水などをご用意ください。あと、毛布も」

「かしこまりました」

 案内役のメイドはやはり慌ただしく飛び出していく。扉が閉まり、数秒ほど経ってから、エリカは声をかけた。

「ジャクリーヌさん、起きていいですよ」

 その一言で、パチリと目が開く。中年のメイド長はあっさりと起き上がり、エリカへ会釈をした。

「さすが、エルノルド様の婚約者であらせられますね」

「いえ、もう婚約はなくなりましたけど」

「ご謙遜を。それより、他のメイドの耳に入る前に、状況をお話しします」

 ジャクリーヌの顔色は別段悪くはない。それに異常も見受けられず、エリカはすぐに仮病だと察した。もちろん普段の体調不良もあるのだろうが、それを利用してタイミングよくエリカを呼び出し、二人きりになるよう取り計らったのは、やはりこのメイド長も密かにエルノルドに協力していたというわけだ。

「私は前のメイド長の後を継ぎ、エレアノール様のためエルノルド様にエーレンベルク公爵邸の内情を報告していたのです。そして、今夜、エルノルド様の侵入計画は成功しました。あとは、偽装工作の上、エレアノール様にここから脱出いただく、という筋書きがございます。ベルナデッタ様のご指示もあり、そのように」

「……ははあ、なるほど」

 分かりやすいといえば分かりやすい、すでにエルノルドとベルナデッタは協力作戦を遂行していた。エリカが知らされていない内容はさておき、エーレンベルク公爵から遠ざけるため、あるいはすでに計画が進行していることを知らせるために、ジャクリーヌの一芝居でエリカは移動させられたのだった。

 どうせ談話室でボロボロになっていたエルノルドは演技で、あそこから大逆転的な展開になるのだろう——それはエリカでも簡単に予想できた。一人で考えたわけではなく、そこにベルナデッタも絡んでいるのなら、ひとまずOKだ。

 なぜなら、『ノクタニアの乙女』シナリオでのエルノルドの不幸は、エルノルドが先走って単独行動してしまったから起こるものばかりだった。味方はおらず、アメリーも犠牲になってしまう最悪のルートエンディングだ。そこに、今の財力も地力もステータスカンスト状態のベルナデッタが深く関われば、少なくとも最悪は回避できるはずだ。

 ならば、それを待てば——そう思っていた矢先、部屋の扉が激しくノックされた。エリカとジャクリーヌが顔を見合わせる。ところが、「どうぞ」の言葉を待たずに、来訪者は扉を大きく開けた。

「お休みのところ失礼します! メイド長、大変です!」

 顔面蒼白の三つ編みメイドが、部屋へと飛び込んでくる。ジャクリーヌは一つ咳払いし、上司として冷静に対応した。

「何を騒いでいるの」

「ああ、申し訳ございません! ですが」

「ですが、なんです?」

 ほぼ間髪入れず、深刻な表情をした三つ編みメイドは叫んだ。

「公爵閣下が、人質に取られて奥屋敷へ連れていかれたのです!」

「なんですって? 誰に!?」

「知らない男性です! 濃い茶色の髪に、グレーのメッシュが入った」

 ここまで来れば、エリカは(あー、エルノルド、やってるわねー)くらいにしか思わない。

 ただし、まだエルノルドの計画が失敗する可能性は残っている。その可能性を潰すためにも協力しておこう、ついでに結末をちゃんと見届けよう、とエリカは俄然やる気になった。





 少し前、エリカが談話室から辞去した直後のことである。

 エーレンベルク公爵は、エリカとの話し合いで決まった内容についてヴェルトナーへ指示を出し終え、ふと視線を下へと向けた。視界を遮る自分の腹はさておき、一人がけソファの傍に倒れている青年を一瞥して、ふむ、と低く唸った。

「さて、どうしたものか」

 その一言を聞きつけ、去り際のヴェルトナーが進言した。

「閣下、その者を始末なさらないのですか?」

「うん? ……ああ、そうだな、あー」

 乗り気でないのか、エーレンベルク公爵は目を逸らした。

 そして、こう言ったのだ。

「ヴェルトナー、少しな、時間をかけすぎたように思う」

「いかがなさいましたか?」

 エーレンベルク公爵の真意を把握しきれないヴェルトナーの問いかけに答えが出る直前、談話室にいる人間たちの目から完全に外れた瞬間、無様に床に這いつくばっていたはずの青年——エルノルドは、いつのまにか拘束から逃れてエーレンベルク公爵の背後を取り、その首へとしっかり右腕を回し取った。

 殴られた青あざが残ったままのエルノルドの眼光は鋭く、微動だにしないエーレンベルク公爵へと脅しをかける。

「エーレンベルク公爵。貴様には、このくだらない芝居が幕を下ろすのだと宣言してもらう。死にたくなければついてこい」

 エルノルドの左手には、小さくとも刃の厚いナイフが握られている。隠し持っていたナイフで拘束していた縄を切り、隙を窺っていたのだ。

 ところが、命を脅かされているはずのエーレンベルク公爵は、澄ました顔だ。

「ふむ。若者は元気なものだ。いいだろう、付き合ってやろうか、子どものお遊びに」

 エーレンベルク公爵の一言と、ヴェルトナーや執事たちを払いのけるような手を振る仕草で、あっという間に談話室の扉への道は開かれた。ヴェルトナーなど、一度視線をエーレンベルク公爵と交わして、執事たちとともに談話室から出ていってしまったのだ。

 さすがにエルノルドも、不可解な状況に疑問を持つ。

「……? なぜ退いた?」

「ほら、早くしろ。人質に急かされてどうする」

「うるさい、黙れ」

「私は歩きたくない、背負ってくれ」

「その腹を蹴られたくなければ黙れ!」

 靴を拾って履き直したエルノルドは、扉ではなく談話室の庭に繋がる窓を開けて、エーレンベルク公爵を引きずるように外へ出た。

 外はもう暗い。いくつもの屋敷の明かりが芝生を照らすほか、照明らしい照明はないが、エルノルドは公爵邸の建物配置図をしっかりと頭に叩き込んでいる。奥に進み、半円形の大きなバルコニーが特徴の屋敷に母エレアノールが監禁されていることを、マリステラや現メイド長ジャクリーヌなど内通者たちのもたらしてくれた情報で把握していた。

 ようやくエーレンベルク公爵は自分の足でのそのそ歩き、すでに首からエルノルドの腕は離れているが逃げようともせず、呆れた様子で憎まれ口を叩く有様だった。

「まったく、忙しない。誰に似たのやら、あの小僧か? ニカノール伯爵の夢見がちなところはすっかり似てしまって」

「貴様、黙れと」

「歩きながら教えてやろうか? すでにお前は掌の上だよ、私と彼女のな」

 ぴたりとエルノルドの足が止まる。

 思考を巡らせるエルノルドを振り返って見るエーレンベルク公爵の目は、呆れ半分、愉快半分といったところだ。

「どうした? 母恋しさにやってきた鼻垂れ坊主が、事ここに至って誰を敵に回したか、分かっておらぬようだな」

 その言葉の意味を、エルノルドは必死に掴もうとする。平静さを取り繕い、顔には焦りも何も表れていないはずだが、エーレンベルク公爵は余裕綽々の笑みすら浮かべ、逆にエルノルドを先導する。

「ほら、来い。こちらだ」

「勝手に歩くな」

「なら、お前は他の目的でもあると? お前の目的は一つだろう」

「そういうところが、誰もがお前を嫌う理由だ! 勝手に娘を監禁して、仲を引き裂いて、悪びれもしないクズが」

「だからなんだね。罵倒する時間があれば、さっさと歩け。馬鹿が」

 エルノルドは、言葉に詰まった。

 この男には『孫』だなどと呼ばれたくもないという反抗心が燃え上がると同時に、こうも思った。

 ——口先だけではあるが、エーレンベルク公爵がエルノルドを『孫』だと認めたのか。憎んでいれば、そんな言葉を使うだろうか。

 理解が追いつかず戸惑うエルノルドへ、終始冷静さを保ったままのエーレンベルク公爵は、数歩先を歩きながら喋る。

「エレアノールはお前に預けよう。お前はあれを連れて、国外追放だ。そういう筋書きをと共有している」

「彼女とは誰だ」

 ようやく足を踏み出して追いついてきたエルノルドへ、エーレンベルク公爵はとうとう共謀者の名前を披露した。

「ふん、ベルナデッタ・ノルベルタだよ。お前が焚きつけたわけではなさそうだがね」

 もはやどちらが主導権を握っているかは明らかだった。

 エーレンベルク公爵は、エルノルドを引き連れ、目的地へと向かう。

 エルノルドには、もう目の前の祖父の考えが分からない。それだけではない、協力者と思っていたベルナデッタもまた、すっかりエルノルドを出し抜いて、さらなる別の企みを持っていたのだと気付かされた。

 それが吉と出るか、凶と出るか、無意識に足取りの重くなっているエルノルドには知りようもなかった。

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