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第42話 大団円というものは

 エリカは駆け足で、さらに奥にある屋敷へと急ぐ。石畳は滑りやすく、時々転げそうになりながら、それでも精一杯の速さで進んでいく。

 ジャクリーヌに教わった、エレアノールが監禁されているという半円形の大きなバルコニーのある屋敷で、事態はおおよそ把握できるに違いない。誰も彼も目的地はそこだからだ。

 正直に言って、エリカはもはや関係者全員を把握していない。誰がここにいて、誰が協力していて、誰が味方なのか、把握する必要もなければ、そんなことよりもさっさと答え合わせの現場に居合わせたほうが数倍早く済む。

 そう思って、エリカがやっと半円形の大きなバルコニーを持つ屋敷へと突入したところ、玄関ホールにはすでに役者が揃っていた。

 エルノルド、エーレンベルク公爵、それに担架で運ばれていくエレアノールと思しき濃い茶髪の美女。それだけではない、ベルナデッタとロイスルの姿もあった。背後では、ベルナデッタの指揮下で動く男性たちがキビキビと荷物の移送に従事している。

 最初にエリカへ声をかけてきたのは、意外にもエーレンベルク公爵だった。

「おお、役者は揃ったか。エレアノールは運び出してもらったよ」

 監禁していた本人が、嬉しそうにそう語る。違和感しかないが、ここでエリカが言及しても始まらない。それに、エーレンベルク公爵の傍らでエルノルドは明らかに困惑した表情で突っ立っていた、予想外のことが起きたという証明のように、だ。

 それよりも、エリカはロイスルを従えるベルナデッタへ向き直った。

「ベル……?」

「こんばんは、お姉様。大丈夫、お姉様には絶対に傷つけないし、無事帰れるわ」

「いや、それより、いつの間に」

「それよりって、お姉様? また私をのけものにして、アメリーのところに行っていたでしょう? みんなでお茶会をしていたとか!」

「あっ」

「どうして私を誘ってくれないのかしら!」

「べ、ベル、今はそれどころじゃないでしょ! ほら、これからどうするの?」

 お怒りのベルナデッタをなだめ、エリカは本題へと引き戻す。ここでもっとも現状を把握し、物事を進める代表の立場にあるのはベルナデッタだろう、と踏んでのことだ。

 当然、ベルナデッタは何もかもをまとめてみせていた。

「私は、解呪薬リカースワクチンの大規模接種への協力をお願いして、エーレンベルク公爵閣下と取引をしたの。お姉様が公爵閣下へ陳情したのは正規ルート、私はあくまでそれ以外のルートから。二重の取引だけれど、これなら公爵閣下は確実に動いてくださるはず。そうですよね?」

「無論、ここまでされれば約束は守るとも。だが、最後の条件はこれからだ」

「最後、って……」

「いくつか取引の条件や内容について交渉して、すでにそちらはまとまっているの。たとえば、エレアノール様は表向き療養のため国外の静養地へ向かうというストーリーを作って公表するし、エルノルドも秘密裏に国外へ脱出してそれについていく。その後の身分はノルベルタ財閥が保証するの。それで、条件の最後の一つは、解呪薬リカースワクチンの効果を証明すること」

 ここで初めて、エリカは合点がいった。

 エーレンベルク公爵が、なぜすんなりとエリカの申し出を受け入れたのか。解呪薬リカースワクチンという未知の魔法薬の効果を疑い深くしていなかったのはなぜか。

 その答えは、ベルナデッタが効果を証明してみせると約束していたからだ。

解呪薬リカースワクチンを接種した私が、『のろい』にかかってみせることよ」

 ベルナデッタの手には、解呪薬リカースワクチンと接種用の注射器があった。どれもルカ=コスマ魔法薬局にあった、専門の医療機器だ。

「それ、私の作ったやつ……」

「ごめんなさいお姉様。さっき人を派遣して、持ってきてもらったわ。これが本物であることを確認してくださる?」

「そりゃあ、まあ、うん」

 さすがベル、手早い。エリカは妙に感心しながら、ベルナデッタから渡された解呪薬リカースワクチンと注射器を確認する。しっかり高密度コルクで蓋をした小瓶には、透明な液体が七割ほど入っている。時折光が屈折したような虹を放つのは、魔力を持つ魔法薬の証でもある。さらに、針を外した注射器はエリカが特注したもので、接種前に油紙で封をした消毒済みの注射針を装着するものだ。どれもこの世界にはまだ存在しない、前世で現代医療に関わったことのあるエリカしか作りようのないものだった。

 つまりそれは、これら解呪薬リカースワクチン接種セットが本物であることを示している。

「本物よ。これを注射するんだけど」

「痛いのよね……?」

「筋肉に注射することになるから、この針じゃだいぶ痛いと思うけど我慢して」

「安心してちょうだい、お姉様! 私、頑張るわ!」

 ベルナデッタは意気軒昂、鼻息荒くそう宣言した。

 それを見ると、エリカはちょっとかわいそうに思えてくるが、致し方ない。この世界の技術では極細の注射針を用意できなかったので、筋肉注射はとても痛いだろうと推測される。

 しかし、この場で解呪薬リカースワクチンの効果を証明するためにベルナデッタは我が身を提供してくれたのだから、それに応えないわけにはいかなかった。

 衆目が集まる中、エリカはベルナデッタの左肩に、躊躇うことなく解呪薬リカースワクチンをぶすりと注射した。

「いッッたあぁい!」

 そう上擦って叫ぶベルナデッタだが、歯を食いしばって、身をよじって逃げそうになるのを堪えていた。周囲の男性陣はそれを見て、ドン引きしている。

「ごめん、そんなに私、注射上手くなくて」

 もう注射以外の方法を考えたほうがいいかもしれない、などと今更悩みながら、エリカはベルナデッタへの解呪薬リカースワクチン接種を終えた。次はもう少し、マシな形での接種になるだろう。

(でも、魔法薬は即効性の面では他の追随を許さない。もうベルナデッタの体の周辺には、魔力の防御膜ができているもの)

 エリカの目には、すでにベルナデッタの皮膚にうっすらと、光沢を放つ虹彩模様が張っているように見えている。それはやがて全身へ広がり、そして消えた。

 準備は完了だ。

 激痛が残る左腕を押さえ、ベルナデッタは待機していたロイスルへ指示する。

「ロ、ロイスル、『のろい』のほう、お願い」

「一応確認しておくが、いいのかい? 望みどおり、死に至る『のろい』だが」

「いいわ。ちゃんと覚悟しているもの」

「そうか。では、遠慮なく」

 そもそもロイスルの頭に遠慮という概念が存在するのかどうかはさておき、ロイスルはあっさりと『のろい』の依頼を承諾した。

 あまりにも淡々と、ロイスルは短い杖と触媒の小さな金属箱を取り出すものだから、エリカは心配になってきた。

 

 その疑問が心を占めたとき、エリカは思わず制止の声を出していた。

「ちょっと待っ、やっぱり心配」

「もう遅い」

 ことん、と小さな金属箱がロイスルの手から床へ落ちる。

 ロイスルと同じく魔力を持つエリカの髪は、それがどれほど恐ろしいものかの警告を発するように、緑色の光を放つ。

 小さな金属箱から、目を閉じたベルナデッタへ膨大ながらも細い魔力の流れが一直線に向かっていく。エリカは何もできず、それを眺めているしかなかった。

 ベルナデッタを死の『のろい』が蝕む、そう思われた。

 ところが、ベルナデッタに魔力の流れが触れた瞬間、弾けるように霧散する。

 それを見たのは、魔力を持つエリカとロイスルだけだ。他の人々は、ベルナデッタが平然と『のろい』を受けた——なんとなく不愉快な空気がベルナデッタへ向かっていく感覚だけを感じたにすぎない。

「ぶ、無事かね、ベルナデッタ嬢」

「ベルナデッタ!」

 一秒、二秒と経ち、ベルナデッタはじっとしていた。何か特別変化があるわけではない、ロイスルがタイミングを見計らって、『のろい』の専門家としてピリオドを打つまで、誰もが固唾を呑んで見守っていた。

「ご覧のとおり、即効性の高い『のろい』をかけたが、本来であればもうとっくに結果は出ているはずだ。私は手加減などしない、彼女に対しては最大限の礼儀を尽くした」

 緊迫した空気が、若干和らぐ。

 目を開いたベルナデッタは、鼻声でガッツポーズをした。

「無事、よ! ちょっと、鼻水出るけど!」

「ベル、これ、ハンカチ」

「ありがとう、お姉様」

 ハンカチで鼻水を噛むベルナデッタを、エリカは注意深く観察する。どこかに異変はないか、魔力の流れに不自然な点はないか。その上で、エリカはやっと確信が持てた。

解呪薬リカースワクチン、完成した……本当に、効果がある。ちゃんとできたんだ、私)

 ロイスルの死の『のろい』は本物だった。それを受けてもなお、解呪薬リカースワクチンを接種したベルナデッタは、無事だ。鼻水は出ているが。

 感極まるよりも先に、エリカの目からは安堵の涙が溢れ出した。

「本当に効いた……よかった、死んじゃったらどうしようと思った」

 そんなエリカを、ベルナデッタが思いっきり抱きしめる。

「私はお姉様を信頼していたわ! でも悪寒がするからまずいかもしれないわ! 風邪を引いた気分よ!」

「ああもう、早く、うちの薬局に戻るわよ! 解熱剤くらいは効くだろうから!」

 実際、抱きしめてきたベルナデッタの体温は、妙に熱かったのだ。エリカは後処理をその場の人々に任せ、大至急ベルナデッタをルカ=コスマ魔法薬局へと連行していく。

 鼻水が止まらず、悪寒で震えるベルナデッタが、道中エリカへすべてを話してくれた。

 エルノルドの企みに乗る形で、ベルナデッタはそれをも含めた計画を練って、エーレンベルク公爵と取引をしたこと。

 長女エレアノールとエルノルドに対するエーレンベルク公爵の愛憎入り混じった感情は、もはや解決には政治的しがらみを残すまでになっていたこと。

 そして、もっとも驚いたのは——。

「私、決めたの。ノクタニア王国から、私も出るわ。ロイスルもエルノルドも、なんならアメリーも連れていきましょう。だから、お姉様」

 急ぐ馬車に揺られながら、熱っぽい顔で、ベルナデッタは笑う。

「この国のややこしいことはもう取っ払って、お姉様も一緒に行かない? そうすれば、。どうかしら?」

 ベルナデッタは分かっていないに違いない、ずっと前からエリカがそれを望んでいたことを。

 絶望的なルートエンディングばかりが用意された乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』の中で、みんなが幸せになるハッピーエンドを探し求めてきたエリカは、意外にもベルナデッタが同じものを希求していたと知って、もう我慢できなかった。

 エリカは、涙ながらに語る。

「何よ、ベルも同じだったなんて、もっと早く相談すればよかった。ベルのほうが何枚も上手だわ」

 さすが、ヒロイン。そんな称賛は、胸にしまっておく。

 目的をここまで同じくするなら、もう迷いはない。

 エリカは、決心した。






 ▼エリカは称号『ハッピーエンドを望むものハッピートリガー』、『大団円グランドフィナーレ』を手に入れた!

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 ▼メールを開きました

 ▼From: "Maiden of Noctanea" Game creator & management

 ▼To: 当該シナリオを取得されたみなさまへ

 ▼『ノクタニアの乙女』をプレイしていただきありがとうございます。

 ▼このメールは、『ノクタニアの乙女』が技術上の問題からゲームストアより削除されることを知ったメインディレクターが、実装間近だった追加シナリオを一時的に公開し、ダウンロードしたプレイヤーへ向けて残したメッセージとなります。

 ▼当初より要望の多かったハッピーエンドの追加を目指しておりましたが、不測の事態によりサービス終了までに全面公開が間に合わないことが分かり、追加シナリオを不完全ながらゲームへ実装する運びとなりました。

 ▼このシナリオは今後発売予定のガイドブックにログのみ収録される予定です。

 ▼次回開発予定の『ノクタニアの乙女』後継ゲームアプリにおいて実装されることはありません。

 ▼SNSなどでシナリオ内容を公表することは差し支えありませんが、当社としては公認することはありません。

 ▼なにぶんにも技術的な問題を解消することができず、サービス終了に至ったことはまことに遺憾の極みであり、当社はこの経験を次の開発に活かすことをお約束いたします。

 ▼それでは、よいハッピーエンドをご堪能ください。


 ▼『ノクタニアの乙女』メインディレクター ※#!>?『=%





 のちに、エリカのもとへ一通の手紙が送られてくる。

 しかし、内容はすべてしており、一切読み解くことはできずじまいだった。

 そして、エリカは気付いていない。自身の髪に、その手紙の内容がしっかりと取り込まれ、エリカは唯一ハッピーエンドに至ったプレイヤーとして遠く、はるか次元の異なる場所で絶望していたゲームクリエイター、シナリオライターたちへと届く。

 この世界において、それを知るのはノクタニア王国魔法学院代表リーンリンクス・クゥエルタークのみだが、彼がそれを語ることはない。

 彼は満足していた。

「ハッピーエンドを望むものが、ハッピーエンドに到達したんだ。終わりよければすべてよしAll's well that ends well、このゲームもいずれはまた世に出ることだろう。……魔法使いたちの力を借りてね」

 ヒロインベルナデッタ——そしてエリカの物語は、この先も続いていく。

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