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第三十四話 また手紙を送るその日まで

 ——数分後。


「すみません……。ハンカチまで出していただくなんて」

「いや、構わない」


(俺からすると、予想外なことだったけど……。今は、ユリコの様子を聞かなくては)


 百合子の流していた涙は鎮まり、先ほどよりか徐々に心が安らかになって安定してきた。


「そんなことよりも、パニックの方は収まった?」

「えぇ、なんとか落ち着きました。大丈夫です」

「あぁ、良かった……」


 落ち着きを取り戻せたことで、ウィルは安堵する。

 ただ、彼には拾い預かっていた櫛のことに疑問を持ち、百合子へ問い掛けてみることにした。


「その櫛……キミの大切なモノなのか?」

「はい。私の本当の母から貰った……最初で最後のプレゼントなので」

「本当の、とは? 失礼だが、キミの母君はどういった方で?」


 もしやとウィルは思いつつも、真実かどうかはまだわからない。

 彼女本人からの言葉を出さない限り、なるべく人の話を疑わないように心がけている。

 彼女はゆっくりと目を伏せながら櫛を大事そうに胸に当て、静かに出した答えはこうだった。


「あまり私からは言ってなかったのですが……実は今、私が勤めているお店を切り盛りしている夫婦は親戚であり養父母なんです。叔母様が言うには、母が一人で育ててくれたと教えてくれたのです。でも、私が三歳になる手前くらいに病気で亡くなったので」

「え……じゃあ、父君は?」

「私が生まれる前から父は既にいないまま育ちましたので、どんな人か全く知らないんです。なので、母のことしか……とはいえ、あまり記憶もないのですけどね」

「……そう、だったのか」


 この事実のことは他人に話さなかったと言う百合子は、少し悲しそうな顔をして正直に語ることにした。

 今後何かしら起こる出来事の中、いずれ知られることだと分かった上で簡潔に事情を伝える。


「でも、叔母様から聞いた話ですが、将来、名前から由来を取った百合の花のように……と私の為に作ってくれたものなんで」

「ふむ……なるほどな」


 無理矢理、彼女の身を知ろうとした罪悪感に苛まれなかった。

 そのせいからか、百合子の話を聞いてもなかなか頭の中に入り込めない。


(彼女には本当の両親はいないと、ジェフからの報告書では噂として目を通してはいたが、そういう事情とは……。俺も悪いことしたな)


「あ、その……」

「?」

「……こんな暗い話をさせて、申し訳ない」

「え? どうしてです?」


 質問をしてしまった台詞に対し、ウィルの口から謝罪の言葉が出る。

 突然彼が発した謝罪を聞いた百合子は、思わず驚いてしまう。


「俺がいくらなんでも知らないからといって、あまりこう変なことを聞いてしまったせいで……キミを」

「いっ、いえ! そんなことないです。今は大丈夫ですし、叔父様や叔母様以外、他に色んな人から助けていただいてますので。ウィル様が謝ることないです!」

「……」


 百合子は、ショボンと片手でおでこを覆う彼を慌てて止めに入る。

 上手く会話が成り立ってないと感じていたのか、ウィルは更に落ち込んでしまった。

 そんな中……。


「百合子お姉ちゃーん!」

「あっ、ゴメン! ちょっと待ってねー!」


 百合子を呼ぶ声が遠くから聞こえてきた。

 きっと神父かエリスに頼まれて、何かの用事があって声をかけたのだろう。


「な、なんか……。よ、呼ばれてるみたいですね。私……」

「……お、おう。そう、だな」


 二人の会話は、結局のところスムーズなものではないまま終わろうとしていいのか迷っている。

 今のままだと長く続けられるのがまだまだ厳しい段階だ。

 気まずいまま、会話が出来なくなった無言の空気感にウィルは何も言えなくなる。


「え、えと……ウ、ウィル様には申し訳ないですが」


 今度は百合子から、はにかみながら彼に声を掛ける。

 子供達からの呼び掛けで不穏の空気を断ち切り、このタイミングを掴むのが正しいと判断したからだ。


「私、この後も用事がありますので……一旦、この辺でお暇しましょう」

「う、うむ。その方が……良さそう、だよな」


(おい、ここで終わっていいのか? 俺よ)

(本当はもう少し話してみたいけど……今はここまでが限界なのかもしれない)


 ウィルは、密かにこの逢瀬で終わらせていいのか自分へ問いかけている。

 反対に、百合子は女性との会話が苦手なウィルのことを思ってあまりその場で長居してしまうのは彼に迷惑かけてしまうと感じていた。

 そろそろ読み聞かせで借りた本を一度書庫へ戻すために行こうと思案している。


「今日は櫛も届けてくださり、ありがとうございました」

「あ……あぁ……」


 百合子は最後にお礼を伝えるも、なぜかウィルは無意識に止めに入ろうとする。

 けれど、その前進の一歩が出ず奮い立たせられないまま後退りしてしまった。


(本当にここで終わるのか? そんなの嫌だ……! あの時みたいにまた繰り返すのはゴメンだ。俺は、絶対に今度こそと決めたんだ!)


 ウィルの思考回路が混乱しかけそうになりながらも、彼は臆病な心から振り切り彼女の名を呼ぼうと意地を示しながら試みる。


「……ミ……ミッ……」


 口では勢いよく出そうとしても、自ら相手の名前を呼ぶ怖さから抵抗が出て言葉を詰まらせてしまう。

 そんな状態からこれ以上留まらないように最後のチャンスを掴もうと、片方の手を僅か伸ばそうと……。


「では、ここで失礼しますね」


——百合子が別れの挨拶を交わし、ウィルに後ろ姿を向けてその場を離れようとした瞬間。


「Miss Yuriko!」


「——……!」


 ようやくウィルは、自分が出しきれそうな限界値まで精一杯の勇気を振り絞って彼女の名前を呼び叫ぶ。

 百合子は「え?」と言わんばかりに、思わずふわりと彼の方へ振り向いた。


「……ッ!」


(このまま繋げられる言葉を、今言わなければ……!)


 普段では出さないあまりの勢いにネイティブな発音で彼女を呼び掛けたが、自分の行動に怯んでしまってたじろいでいる。

 彼女の背中を見せられると、もうあとが無いと思ったのだろう。

 どうしても、この瞬間と機会を逃したくない気持ちがより強くなっている。

 お互いぶつかってしまったあの日のようにもう二度と繰り返したくないからだ。

 そんな想いが、彼の中で再び蘇る。


「……? ウィル、さま?」

「……!」


 急な呼び掛けにキョトンとしてしまった百合子だが、次なる言葉を待つかのように振り向いて遠くから見守っていた。

 多少彼女からの心配な気持ちも含まれているが、元となる天真爛漫幼さの表情にウィルはまたしても惚れてしまう。

 彼女を呼ぶ際、伸ばしそうになった腕を一旦引っ込め下ろし直立したままだ。

 そんな姿を見られることで人に弱さを目撃されてしまったらと、頬を赤らめた顔をふいっと少し横に背けてしまう。

 しかし、まだその場で終わらせたくない想いから諦めず拳に力込めて握り締め、百合子の耳に届く範囲でこう告げる。


「……ま、また……」


(あぁ! もうあと一声を……!)


「また手紙……を」

「……」

「手紙を送る、から……」


 百合子の前で格好良く決め台詞を決めたいわけではない。

 恥ずかしがり屋であるウィルにとってギリギリ切羽詰っている中、懸命に出した答えだ。

 けれどドギマギな台詞しか出せなかったのは、伝えたい方が勝っている故でもある。

 それを見聞きをした百合子はふふっと少しだけ口角が上がって微笑み、彼に向かって同じく届く声で短い回答を返す。


「はい……!」

「……」


 百合子の柔らかく幸せな表情と温かい姿に、ウィルは再び心の音がドキッと跳ねて胸に伝わる。

 そして、今度は彼女から心のこもった声色で返事の続きを伝えた。


「私も……」

「……」

「ウィル様のお手紙、またお待ちしてます!」

「あ、あぁ……」


 百合子は、ウィルに今度は穏やかな瞳と満面の笑顔を見せながら軽やかに簡単な返事で答え、お辞儀をした後はその場から去っていく。

 無事に彼女から返事の声を聞けたウィルは、暫くこのまま正気に戻れずその場で立ち尽くして……。


——距離が少し縮まり、良くも悪くもこれが初めて彼が女性と真正面に向かって交わしたひと時であった。

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