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第三十八話 ジェフによる主人観察記 其の弍

 ——朝、ある厨房にて……ウィルが出発して間もないこと。


(……くぅ……ぅ……)


 密かに涙を流してる老紳士、その名はジェフ。

 ウィルの付き人係を担当をして二十数年の歴を持つ。

 幼少期から仕え、主人の仕事はもちろんプライベートでも付き添いをすることが多い。

 長い付き合いだからこそ、彼の性格も知っている。

 もちろん、彼の女性が苦手なことも。

 だが……。


(まさか……坊ちゃんにこんな日が訪れるなんて)


 この日、ウィルから断られた。

 なぜなら、初めて女性と直接会うと約束をしたからだ。

 ジェフからすると、それは信じがたいものだった。

 何かあったときに横についていた方が安心だろうと思って、主人にお供をすると言ってしまった。


(いえ、これも主人の成長だと思って……。でも……私としてはちょっと寂しいですな)


 つまりあの涙は嬉しい反面、実の親ではないが子離れのような感覚だ。


(しかし、今頃どうだろうか……?)


 心配性のジェフは、不安が募るばかりだ。

 チラッと壁掛けの時計を見てみれば、時刻は出発してから少し過ぎたところではある。

 まだ対面はしていないだろうと思うものの、これからどうなっていくのかソワソワしている。


(こうなれば、ちょっとだけお忍びで様子を……。でも見つかったら……いや、ここは……!)


 やはりウィルが上手くいっているのか、気になって仕方ない。

 結局ジェフは、待ち合わせの場所へ向かうことにした。


(坊ちゃんは、最近どんな隙間に隠れていても私を見つけるのが上手くなっているから、慎重にせねばいけませんね)


 主人がいつも通りそうな道をなるべく避け、見つからないように上手く隠れながら目的地へ辿り着くのである。


(ふむ。坊ちゃんと百合子様の待ち合わせ場所が、ここですな)


 時間を掛けて到着した先は、教会が管轄している図書館。


(確か中庭と仰ってましたので……その周辺の生垣での隙間とどこか……)


 あとは隠れる場所さえ見つけ、様子を伺えばと思っていた矢先……。


「あら、マグナーさん?」

「ひぃい! 誰です……って、なぁんだぁ……ビックリしたぁ。シスター・エリスでしたかぁ」


 一人の女性が後ろから声を掛ける。

 振り向くと、正体はウィルとも出会ったこの教会に配属している修道女・エリスだった。

 一瞬大声を上げそうになったジェフは、抑えながら冷静に対処していく。


(はぁ、彼女のせいで心臓止まりそうになるし、寿命縮んだかもしれませんね……)


「その『なぁんだぁ』とは、どういうことです? ふふふ……」

「いえ、なんでも、ありませんので……お気になさらず。アハハ……」


 ニコニコと笑いながら怒りのオーラが見えてきそうなエリス。

 それに対し、何もなかったように濁すジェフは見向きもせず逸らしていた。

 二人は、ウィルが来校する以前からの古い付き合いである。


「それよりも、マグナーさんはここで何をしてい……」

「Sh! Be quietly!」

「え? 何? もしかして、エドワードさんの……」

「Shhh!」


 興奮気味にネイティブな発音で、彼女の発言を静止するよう口元に人差し指を立てて促す。

 しかし、それでも気になるエリスは更に質問をしてくる。

 ハラハラしながらも、エリスには説明しないといけない為やむを得ず。

 このままでは主人に気配を気付かれてしまうと感じ、エリスの口を無理矢理だが手で覆い塞ぐ。


「そうですよ。でも静かにしないと坊ちゃんに気付かれるので」

「ふぁいふぁい、ふぁかひまひたふぁら(はいはい、わかりましたから)」


 強く覆われていたジェフの手をエリスは自分の手で剥がし、ジェフの慌て振りを宥める。

 執事の事情にある程度理解し始め、軽い説得を試みることに。


「ふはぁ……苦しかったぁ。マグナーさん、一旦落ち着いて私の話を聞いてください」

「はぁ……」


 ジェフはまだハラハラして、なかなか焦りが収まらない。

 しかし、エリスの説教が始まってしまうと主人に勘付かれると思い、彼女のいう通りに冷静さを取り戻すよう努める。


「エドワードさんとユリコさんの行方を知りたい気持ちや心配するのはわかります」

「はい」

「だけど、ここは引いて二人のこと見守ってあげましょう。ね?」

「でも……」


 まだ不安げに募るジェフだが、エリスは宥めながら。


「そんなに大袈裟なことしなくても、あの二人ならきっと大丈夫と思いますよ。それに……」

「へ?」

「ほら、見て下さい」


 エリスの視線と同じ方向へ、ジェフは顔を向ける。

 二人の目に映っているのは、彼らの気恥ずかしさやあどけない仕草だ。

 時折、ウィルが百合子を見守っている姿も垣間見て……。


「貴方の主人様でも、いざという時は動くんですよ」


(坊ちゃん、いつの間に……)


 ジェフも思わず、そんな情景を見て涙が流れそうになる。

 普段なら、女性から声を掛けられるだけで逃げ回ったり隠れたりする主人だった。

 今や成長しているところを見て、しみじみ思うのだろう。


「そう、ですね……」

「マグナーさん?」

「貴方の仰るとおり。私こそ、坊ちゃんのことを考えて遠くから見守るべきでしたね」


 主人が出掛ける前の覚悟を聞いた時は信じられなかったジェフ。

 しかし二人の姿を見ていくうち、むやみに彼の手を出さない方がいいとようやく思えるようになった。

 心配ばかりでは彼の成長を邪魔していると感じた執事は、自分の手から離れて寂しく思うも僅かに嬉しさの方が勝っている。


「ふふ。なので、ここから一旦離れていきましょ」

「えぇ、そうします」


(坊ちゃん、百合子様……どうか上手くいきますように……)


 ——二人の幸せを願いながらジェフはエリスの誘導に従い、そっと図書館から去るのであった。

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