——二人が初対面を行った次の日、エドワード邸宅にて。
朝食と同時にこの日の公務スケジュールを確認するため、ジェフは主人の部屋へ訪れる。
「坊ちゃん、失礼します」
ノックをした後、いつものように扉を開けて食事用のワゴンを運び、テーブルの上へ料理を置く。
メニューは、パンとポタージュが定番の朝食だ。
他にも、毎朝ウィルが飲んでいる目覚め用のブレックファーストティーもセットで添えてある。
瑞穂国の人間にとって異国人の食事は、豪華なイメージの方が大きいかもしれない。
だが、実際は帝国人から見ると、かなり質素なもので故郷での暮らしとほぼ変わらないものだ。
「あぁ、ジェフ。おはよう」
「おはようございます。食事の用意が整っておりますよ」
「うむ、ありがとう」
「坊ちゃん、今日の予定をお伝えしますね」
ウィルはスープをひと口飲み、淡々とパンを小さめのサイズに千切って食べる。
食事をしている間にジェフはこの日の公務内容を伝える仕事が、毎日の日課である。
しかし、今日に限って……。
「午前は以上、続いて午後からの……」
「ん? ジェフ? 午後のスケジュールは先方が明日にしてほしいからと延期になったはずだが……?」
「え? そうでした?」
「は? この前、言ったはずだぞ? もう忘れたのか?」
「少々お待ちを……! えーと、確か……」
ジェフの物忘れに、ウィルは嘘だろと言わんばかりに愕然としていた。
そのことにジェフの額から冷や汗が流れ、だんだんと青くなっていく。
慌ただしくいつも使用しているメモ帳を内ポケットから取り出し、その用件のことを確かめていると……。
「あぁ、申し訳ございません! 私がメモしておきながら、確認ミスでした!」
「……そっか」
(うぅ……まさか、私としたことが……)
珍しくジェフが、主人から間違いを指摘されてショックを受けている。
普段はそんな単純なミスなんて殆どないに等しいくらい、ほぼノーミスで業務を行ってきているからだ。
「あと」
「はひ!」
(オイオイ。ジェフ、大丈夫か? 俺は何もしてないぞ?)
まだ引きずっているせいか、ジェフの返事は変な声で発する。
それを聞いたウィルは顰めっ面をしながらカップを差し出し執事へ催促した。
「……とりあえず、紅茶のおかわりを……」
「は、はい! 承知しました!」
焦りながらも気を取り直して主人の命令に従い、ジェフは紅茶を淹れる。
なるべく、気丈に振る舞っているつもりだろう。
しかし、主人の目には気づかれている。
それもそのはず、震えが隠れているようで上手く隠せていないからだ。
(いつもより調子悪い……? 一体、どうしたんだ……?)
普段のジェフなら、殆どと言ってもおかしくないくらいミスをしない。
そんな執事だが、ウィルの表面上は困惑せずただ疑問に思っているのみ。
実際のところ、心の中では怪訝そうにしているのである。
原因を探ろうと思ったもののそこまで詮索しなくても良いだろうと判断するが、ウィルはふと思い出す。
(あぁ、そういや……俺、ユリコとの初対面の件、何にも報告してなかったな。余りにも俺の酷い姿を見られるのも嫌だったしな)
初めはいちいち報告しなくてもいいやと、そのまま何も伝えないままでいた。
特に、男の恋愛話なんて興味を持たないと思い込んでいるからだ。
けれど、いつまでも放っておくわけにはいかなかった。
ジェフに櫛の持ち主探しの依頼から始まり、色々と百合子に関する調査などを巻き込ませているのは事実である。
このままではウィル自身まで尾を引き、調子が狂っても困ると判断した結論は……。
(あまり気は向かないものだが……。どのみち、アレを渡す時に言うかぁ……)
ウィルはタイミングを見計らってから、あの日の結果を軽く伝えることに決めたのである。
◇ ◆ ◇
——食事が終わって身嗜みを整えた後、仕事場である大使館へ向かっている最中。
「坊ちゃん」
「ん?」
「今朝は本当に申し訳ございませんでした」
ジェフは、主人に改めて謝罪を述べる。
今朝のミスに対して、相当響いていたのだろう。
執事の落ち込む姿が半端ないくらいの有様だ。
だが、そんな姿を見たウィルは気にすることなく……。
「……それは別にいい。次、気をつけてくれたら充分だ」
「はい……」
間があったものの、ジェフの方へ振り向かない。
厳しく言いつけられるかと思いきや、なぜか少し和らげた口調だった。
多くは語らないが、まるで背中でほんの僅かな許しを語っているかのようだ。
その姿にジェフは安堵するも、ただただ猛省するしかない。
——そして、大使館内の部屋に入り……。
「坊ちゃん、今日はいつもお世話になっている雑貨屋の仕入れと手配を伺いに行きますので……」
「あぁ、そうだな……。じゃあ、この書類を。頼んだぞ」
「はい。では、私はこれで……」
ジェフは注文書など手渡され別の用事へ……といっても、ほぼ主人に頼まれたおつかいで回るのがメイン。
しかし、百合子への手紙を送る仕事がないとちょっぴり寂しそうにしている。
(……このタイミングで渡すかぁ)
ウィルは、仕方なく最後の切り札を出すことにした。
「あぁ、それとジェフ」
「へ?」
ここで簡素に頼まれた用件を聞き終わらせて自分の仕事へ……と思いきや、今度はウィルから声を掛ける。
急な呼び掛けだったため、ジェフは間抜けそうな顔で振り返った。
「気晴らしにというわけじゃないが、とりあえず……」
そう言ってウィルが差し出したのは、百合子へ送る一通の手紙。
もちろん、いつも送っている白の封筒に青の薔薇柄が入ったシーリングスタンプで施されている。
「えーと……? え? もしかして……」
「昨日の件で、ジェフも知りたいんだろ?」
「い、いやぁ、何といいましょうか……。坊ちゃんから、その……無理に言わせてしまうのは……」
(はぁ……やれやれだ)
焦りが出ている影響か、ジェフの額から少し汗が一筋流れている。
やっぱりなといった呆れ顔のウィルは、自身に心当たりがあることくらい分かりきっている。
その為、執事の心情などなんてとうに読んでいた。
ウィルも気恥ずかしさが出ているか、視線を背けながらなるべく顔を隠すように話す。
「まぁ、簡潔にいうと……それが答えだ」
ウィルから出した結論は端的だが、言える範囲での回答となればこれが精一杯だった。
受け取った後、ジェフは一枚の封筒が嘘か真かと疑うぐらい表裏と返し見ている。
宛先を改めて見ると、ブレス語で百合子へ……と宛名の文字が入っていた。
「つまり、百合子様への手紙ということは……」
「あぁ、午前の仕事と昼食が済んだらそれを渡しに行ってきてくれ」
「……」
「……ジェフ?」
ウィルは、執事の表情を伺う。
これを渡してもまだ落ち込んでいるのかと心配するも……。
「ジェ、ジェフ?」
あんなに落ち込み具合がどん底にあったはずだったのにと、ギョッと驚く。
なぜなら、余りにもジェフの顔色が今朝の時と打って変わり百八十度入れ替わっている。
曇り空からぱぁぁ……っと隙間を切り離し、晴れ渡ったようにものすごく明るくなっているではないか。
「……」
「あっ! いえ、何でも深い意味などありませんので! 早速、行ってまいります!」
喜びに舞い上がりながら、ジェフは外出へ向かって行った。
朝に見せた形相は何だったのか? と、短い溜息をつきながら思うも……。
(……やっぱり、昨日のこと気にしていたんだな。だが、ジェフ。悪いがそろそろ俺一人でやれることをしたいからな……)
少しでも元気になったジェフを見て、苦笑いしながら見送るのであった。