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第四十四話 ウィルの小さな幸せと贅沢な悩み

 ——場所を変え、大使館内では……。


「はぁ……」


 ウィルの口から、溜息を一つ漏らしている。

 仕事の疲れから解放をしようと、窓の外を眺めている最中だった。

 けれど、彼からすればそんなことはどうでもいい。

 それよりも、もっと深刻なものが現にある。


(ユリコに送ってみたものの、やっぱダメだったのかな……?)


 やはり皆が想像しているであろう、彼女からの手紙を待ち侘びている。

 本の貸出をする約束をどうにか取り付けようと書いたもの。

 早く手紙を出したのも、百合子の願いを少しでも早く叶えられるようにと認めたからだ。


(うーん、送ってまだ二日くらい……か。って、俺、もしや気が短くなったのか?)


 彼女へ手紙を出してまだ二日しか経ってもいないというのに、ソワソワしてもどかしい感覚が拭えない。

 その相手が、意中の女性なら尚更のこと。

 気が散らないように、書類作業を行なってはレタートレーを見てしまうと悶々してしまうといった永遠の繰り返し。

 彼にとって、そのサイクルはあまり良いものではない。

 少しでも解消したいものだが、肝心のジェフが帰ってきていないこと。


(ジェフに話しかけようにも、まだ帰ってこねぇ……。それ以前に彼女から手紙くるのかどうかさえ不安だし、そろそろ早く帰ってきてくれよ)


 まるで、執事に念を送るように両手で握り結びながら祈り、待つ時間をひたすら耐えるしかなかった。



 あれこれと悶々した訴えがあの執事に聞こえたのか……。


 ——コンコンコンッ!


(ん? もしや、帰ってきたか?)


 ようやく、扉のノックをされる音がした。


「はい」


 すかさず、ウィルは一言返事を返す。


「ジェフです。坊ちゃん、部屋に入りますよ」

「あぁ、入れ」


(はぁ、ジェフ……待ちくたびれたぞ……)


 ジェフの声が聞こえて、ようやく返事の有無が聞けると思うと気が抜けそうになる。

 その上、心の声が喉元まで漏らしそうになるも、なんとか我慢を貫いた。


「失礼しま……す⁈ えっとぉ、坊ちゃん?」

「おかえり……」

「はい、ただいま戻りました……が、いかがいたしました?」

「別に」


 戻ってきたジェフは扉を開けた途端、ウィルの超不機嫌な姿を見てタジタジする。

 主人自身も、ジェフの帰りに待ちくたびれて意気消沈していた。


(あ、これは……おそらく坊ちゃんの背中からオーラを放っている、いつものダークモードですな……。今のうちに機嫌を直さないといけませんね)


 主人の機嫌を早めに直さないと、いつまでも引きずりつつ自分の仕事まで影響に出てこられても困るからだ。

 スッと丁寧かつ素早く、燕尾服の内ポケットから一通の手紙を取り出した。


「坊ちゃん」

「……なんだ?」

「百合子様から手紙が届いてますので、こちらに置いていきますね」


 そう言って、いつものように革製レタートレーの上へ彼女からの手紙を置いておく。


(……!)


「あぁ……わかった」


 ウィルはそれを見て素っ気ない返事をするが、内心は当然嬉しいのである。

 ただ、あまりはしゃいでいる姿を執事たちに見られるのは癪なことだからと、ワザとそっぽ向けているだけのこと。


「それから、坊ちゃん」


 ジェフは、何か言いたいことがあるようで前置きの台詞も追加された。


「ん? なんだ? 手短に話せ」


 どうせ預かった百合子の手紙以外の用事なんだろうとウィルは思い込んでいた。

 今回、ジェフは別件で貿易商などが集まる商会の会議場へ訪問している。

 その際、たまに誰かが文句を言うこともあるため碌でもないと耳が痛ましい。

 しかし、そのことだと思いきやジェフは咳払いした後、予想外なものを口にする。


「えーとですね、ん゛ん! 百合子様から伝言お預かりしてまして」

「ん? 彼女が?」

「えぇ。『また、お返事待ってます』とです」

「……」


 ウィルは少しの間だけジェフの顔を見て、呆然としていた。

 今回、百合子から伝言をもらったのは初めてのことだったから。

 本当か?と疑心暗鬼になりそうだが……。


(そんなこと言われたら……ジェフを少しでも疑った俺が悪く見られるじゃねぇかよ)


 彼にとっては、百合子からの予想外なお土産をもらって嬉しいこと。

 その場でジェフを疑うことを辞めることにした。


(坊ちゃん、今更背けても分かりやすいですぞ)


「では、私はこれで失礼します」


 主人の気持ちをすでに読み取っていたジェフは苦笑いする。

 手紙を渡し、伝言も済ませたところで別件へ取り掛かろうと、主人の部屋から退出をしようとするが……。


「ジェフ」


 ウィルは背中を見せたまま、ジェフが部屋から出ていく前に声を掛け一言だけ添える。


「はい?」

「……ご苦労、だ」


 主人は、決して舌を噛んでなど誤った話し方をしているわけではない。

 単に照れ隠しをしているだけ。

 普段はそんな歯切れの悪い言い方もしないはずだと思っていたジェフは、キョトンとしてしまった。


「あ、ありがとう、ございます……?」

「ん? ……ただ、それだけだ」


 ウィルはチラッと後ろを向けるが、ジェフの間抜け顔を見ても動じなく真顔でボソッと一言だけ言って終わる。

 これ以上話すと、折角楽しみにしているこれからのことが台無しになる。


「は、はぁ……。それだけでしたら、改めて退出しますね」

「……」


(さっきの「分かりやすい」発言は撤回。いつものこととは違うし、やっぱ坊ちゃんの心底は難しいものです……)


 まだまだ修行が足りないと感じたジェフは、困った顔をしながら別の仕事へ向かうのであった。


 ——バタン……。


 彼の口調に戸惑いを覚えつつも、ジェフは自分の仕事へ戻るために部屋から退出した。

 読めるようで、まだまだ未知な部分があると実感する執事である。


「ふぅ~……」


 ウィルは、始めに出した時よりも少し長めの溜息をついていた。

 百合子からの手紙を読むときは、どうしても一人になりたいからだ。

 落ち着きながら彼女の為に、次の行動へ向けて考えていきたい。

 それがウィルの思案だ。


(これでようやく一人になれた。さて……手紙を読むとして、今度はいつ会えるのだろうか……?)


 心の中でワクワクと小躍りしながら封を開け、二つ折りにしてある便箋を広げる。

 いつもの彼女が書く美しい文字に見惚れつつ、文を読み辿っていく。


 拝啓 ウィル・エドワード様


早速のお手紙、ありがとうございます。

届くのがあまりにも早かったことには驚きでした。

けれど、私もウィル様からの手紙が届くのを楽しみにしていたので嬉しかったです。


(まぁ、ユリコを不安にさせたくなかったのもあったからそうなったが……喜んでくれたなら)


 その言葉に嬉しく思いながら、続きの文章へ読むのを彼女と同様に楽しみにしている。



それから先日は当初の櫛をはじめ、ハンカチまで何からと本当にありがとうございました。

ウィル様が本をお貸しいただけるのでしたら、是非お借りしたいものです。

次回会える日は……来週の日曜日でもいかがでしょうか?

待ち合わせの時間や場所も、前回と同じで構いません。

もちろん、同様に読み聞かせ会の後となってしまいますが、楽しみにしてます。

また、お返事をお待ちしております。


伏原 百合子


「…………」


(はぁぁ……会える! やったぁ……!)


 顔に表情を出さないが、心の内にいるもう一人のウィルが喜びを爆発させている。

 同時に彼女への返事が書ける楽しみが増えたと、まるでご褒美を貰えた嬉しさのようだ。


(はっ! マズい! 人が来たら……ひとまずは落ち着こう)


 喜びから少し冷静に収めつつ文章を読み終えた後、百合子の直筆サインがいつも最後に書かれている。

 だが、よくよく手紙の最後を見やると……。


(ん? 続きが……?)


 彼女の名前の下に本文よりも小さく最後の文章が綴られていた。

 それを軽く読んでいると……。


 ——追伸

 私もこんなことをお伝えするのは、ちょっぴり恥ずかしいのですが……


(え? なんだ? 一体ユリコに何か……した?)


 何か気まずさを感じたのか、ウィルは心の中でざわつきを覚える。

 何もしていないはず……と、信じたいところではある。

 だが、前回出した手紙のことで無理矢理に誘ったのがいけなかったのだろうかと。


(どうか、いい方向に……!)


あの日、私の読み聞かせのことに対しての、お褒めの言葉ありがとうございます。

まさか、そう褒められるのは思いもしなかったので……ひとまず、お礼までです。


(…………)


 ホッと一息出来るかと思いきや。


「~~~~……ッ!」


 書かれていた内容の書き覚えがある。

 その理由には当然、ウィル張本人のこと。

 自分のやったことに対し、日が経ってから後悔の念が出るとも思わなかったのだろう。


(ま、不味いなぁ……自分の文章で、あのことを書いたくせに……)


 彼は、想像してしまった。

 百合子が少し恥ずかしがりながら話す声での台詞と、照れながら見せる表情を。

 そのせいかウィルまで恥ずかしくなり、片方の手のひらで顔を覆う。

 部屋では彼一人だからといえど、誰にも見せられない……いや、見せたくない感情が大きい。


(あぁ、このままだとユリコにどんな顔をして会えば……というよりか、今度もまともに話せるだろうか……俺は)


 悩みがまた増えたなぁと、少し頭を抱えている。

手紙の中だと対面ではないゆえに強気で言えるのだろう。

しかし、直接の対面になると手紙のようにサラッと発言が出来ない。


(とはいえ、ユリコに約束事を切り出した上に俺の返事を待っている。まずは書かないとな)


 気を取り直して、彼女への手紙を書くことに移す。

 デスクの引き出しからいつも使っている便箋と封筒を取り出し、洋墨壺に羽ペンをつける。

 いざ、書こうとするが……。


(うぅ……なるべく意識しないようにしているのに……)


 彼女へ伝えたい文章の言葉を考えている。

 ただ、どうしても初対面の時も含め、これから見せてくれそうな表情や仕草が頭の中の半分以上を支配してしまっていた。

 今は片隅に寄せて手紙を書くことに集中したい一心だけど、元通りの現状になりそうで首を横に振りつつ葛藤している。


(いや、葛藤を払拭するよりも、やり方を変えた方が良さそうだ)


 見方や考え方を別の方法に切り替え、改めて手紙を書き始める。

 今回の書き出しも、大方決まったようだ。


(やっぱり一番はユリコの笑顔が見たい……。ならば、見せられるように俺が努めないとな)


 ウィルは少しでも彼女の喜ぶ顔を見出せるように、試行錯誤しながら想い文を綴っていくのである。

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