——数日が経ち、約束の日曜日。
この日も日差しが丁度いい心地よさ。
百合子は、前回と同じように子供の前で本を読み聞かせている。
その傍らでウィルも同様、少し離れたところの壁に背をもたれ、目を閉じながら耳を傾けていた。
数十分後……。
「……ということで、今日はここまで! 次回は来週にお楽しみに!」
「はぁい!」
朝の読み聞かせ会も定刻で終わり、子供達もぞろぞろと部屋へ戻るために向かっている。
今回は誰も他所へ行かず、順当に見送ることが出来た。
「ウィル様、お待たせしました!」
「あぁ、おはよう。ミス・ユリコ」
「おはようございます」
見送った後は壁際で待っていたウィルの元へ駆けつけ、挨拶を交わした。
あとは前回と同じようにお互いの距離を少し離して横へ並ぶ。
「ユリコ」
「は、はい!」
「……今日も、朗読……良かった」
「あ、ありがとうございます」
相変わらずウィルは彼女の目の前にしたら緊張をするせいで、ぎこちない口調で挨拶を交わす。
そして、今日分の朗読の感想も簡潔に伝えた。
百合子も、直接でも彼に褒められるとは思わず顔からほんのり赤みを照らし、噛みそうなお礼を伝えた
「とりあえず、渡せなかったら困るから先に……」
そう言って、櫛を渡した時と同じように腕を百合子の方へ向かって伸ばした。
少し重さと厚みのある本だが、表紙は赤色をした厚めのレザークロスで仕立てられた丈夫な上製本。
他に金色の箔で施した装飾の枠デザインとタイトル文字が添えられている。
ウィルが屋敷で見繕ったその本の中身というと、一話限りのストーリーをメインに集めた小説だ。
ファンタジーはともかく、現代に通じる恋愛ものから帝国内では流行りのミステリーまで勢揃いで掲載されていた。
「うわぁ~、すごく楽しみにしてました! ありがとうございます!」
百合子の目は、キラキラと星のように輝かせて大事そうに抱きかかえている。
こんなに嬉しそうな彼女の顔を見て、ウィルの内心はホッと一安心した。
「……。まぁ、中身は色んな種類の話があるから……好きなものだけ」
「いえ、全部読みます! 時間を掛けてでも最後まで読み切りますから!」
「お、おう……わかった」
百合子は一生懸命頑張って読みます!と言わんばかりにガッツポーズをしながらやる気満々の表情を見せた。
彼女の本気度もいつにも増していた。
(ミス・ユリコ……。すげぇ、行動力だなぁ……恐るべし)
その意欲を出している姿を見ている限り、ありふれたパワーがどこから湧き出るのだろうと物怖じしてしまいそうになる。
「はぁぁ~……! これが、異国の……」
「そんなに、読みたかったのか?」
「えぇ、もちろんですとも! 異国の暮らしだったり、瑞穂国にはない文化とか沢山載ってますから……あ、つい熱くなりましたね。アハハ」
「いや、キミがそんなに喜んでくれたのなら充分なんだ」
今も本物の感動に、表裏と手紙のように表紙を返しながら眺めていた。
ウィルも彼女の笑顔が見られるならと、胸の内で満足している。
「……けれど」
「けれど?」
今の瑞穂国ならばでの国民性からくるものだろう。
少し俯き加減で、百合子はゆっくり呟いた。
「高価だから買えないという理由もありますが、なかなか手に入らないですし……。本当は他所様の目からすると、異国で書かれた書物をあまり女性が読むものではないとか……」
「ほぅ……それはどういうものなんだ?」
まだ根付いていない本や雑貨など、異国のものは高値で売られいる。
種類にもよるが、百合子の給料だと半年に一回買えるかどうかだ。
そのぐらい安易に手に入らない上、女性はどんな高学歴の人でも女学校卒の学歴までが限界。
ブレス語以外書かれた異国の言葉は研究者に属する者は除き、男性でも大卒の人が読めるかどうかとまだまだ発展途上だ。
「私は、まだ運が良かったと言って良いのかわからないですが、そういうのは寛容な家族なので女学校へ行かせていただいたことはありがたいのです。でも、もっと学びたい人達にとって勉学も読書も自由にさせてほしいというのが本音……なんです」
瑞穂国での女性は、あくまでも家中の全てが主な仕事。
外で商売をやっている藤乃をはじめとした者は、まだこの時代では稀であった。
百合子も家柄上「代筆」という商いの家として育った為、働くことは許可されている。
「と言っても、私の場合は、瑞穂国で出てる本だけでは読み足りなくなったから勝手に読んでいるんですけどね」
「いや」
苦笑いしながら、単純だけど自分の内なる想いを述べた百合子。
だがその意見を聞いてウィルは、一言で言い表せる短い前置きをした。
「キミの言っていることは別に間違ってないと思う」
「え?」
「瑞穂の一国民としての貴重な意見も、俺はちゃんと聞きたいから。キミが言ってくれることは助かるんだ。だから、もっと……」
「えっ……ウィル様?」
ウィルは内政関係の仕事となると真剣な目つきに変わり、俊敏に耳を澄ませ、もっと話してほしいとせがみそうになった。
けれど、すぐ我に返って顔を少し背けてしまった。
多少髪の毛で隠れているからあまり見えないが、きっと俯いている表情を覗いたらショボンと落ち込んでいる顔なのだろう。
「あ、済まない……。どうしても仕事みたいな話になって、つい……」
「いえ、そんなことはないです! ただ……」
「ん?」
「ウィル様って、何をしている人なのか……ちゃんと未だに分かってないので、私が無神経なことを言ってしまったらと」
百合子は、ウィルの本業を知らない上に、手紙でもまだ何も交わしていない内容だ。
それ以前の問題として彼にそれを尋ねてみることで、失礼に当たらないのか迷っていたからだ。
「アレ? ジェフから何も聞いていなかったのか?」
「えと、大きな仕事を背負って業務をしているとはお聞きしましたが、詳しくまでは……」
(てっきり、噂程度にサラッと話しているかと思ったが……)
「あぁ、そうなのか。実は俺……」
「……」
ウィルの口から、自分の職業を改めて伝えようとしたところで……。
——ゴーン、ゴーン……。
「ん? 今、何時だ?」
孤児院にある天上のベルから時報を鳴らしている。
鐘の音を聞いて、ウィルは百合子に時刻を聞く。
「この鐘は、お昼の休息時間を表す音ですね」
「そっか……。ミス・ユリコ、悪いがこの時間だと……俺はそろそろ戻らないといけないんだ。ジェフを待たせてしまうし、午後から野暮用で……」
「あら……そう、なんですね」
タイミングが掴めないまま、次の逢瀬まで持ち越しとなってしまった。
お互い何処か名残惜しく感じて、帰ることも躊躇ってしまう。
だが、ウィルに用事がある以上は、帰路につかないといけない。
「じゃあ、また今度、俺の仕事のことを詳しく教える」
——ウィルがそう残し、屋敷に帰る為に中庭から出ようした途端。
「あの、ウィル様!」
「……⁉︎」
百合子は、咄嗟に呼び止める。
急に止められるとは思わず、コケそうになるも歩みをなんとかバランスを崩さず停止できた。
引き止める程せっかく言いたいことがある彼女だからこそだ。
真面目に聞こうとウィルは、顔を向き合えるよう百合子の方へ振り返る。
「次は私から……」
百合子も、緊張した面影が垣間見える。
けれどウィルに直接、言葉にして伝えられるチャンスはここでしかない。
勇気を振り絞って、彼に今日のお別れ言葉を……。
「手紙を書きますし……また、次回もここでお会いしたいです!」
(…………!)
百合子の見せた笑顔は、ウィルの胸を熱くさせる。
そんなえくぼに、彼も少しはにかみながら……。
「あぁ……俺もだ」
(……)
ウィルは縦に首を振り、肯定の返答を済ませてサッとこの場所をあとにした。
百合子の目に映っている瞳からは、なんとなく彼が柔らかく微笑んでいるような表情が見えるのであった。