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第四十八話 主人の小さな変化

 ——百合子に本を貸し出して約一週間を経とうする頃、大使館内にて……。


 コンコンコンッ!


 ノック音が主人の部屋に響く。

 そこには扉を開こうとする黒の燕尾服姿。


「坊ちゃん、ジェフです。失礼しますよ」

「ジェフ、どうした?」


 帝国へ報告する書類などを羽ペンで書き記しながら、ウィルは淡々と返事を返す。

 先程ノックした行動と声の主はもちろん、執事のジェフだ。

 ジェフが主人の仕事部屋に入ると、少しニマニマとニヤけ顔しながら用件を伝えにやってきた。


(ん? なんだ? 何か良いことでもあったとか……? そんなこと、あるわけないか)


 だが、ウィルから執事の表情を見ると若干気味が悪く捉えてしまいそうだ。

 どんな形であれどひとまず、さっさと聞いて終わらせたいのが彼の本音である。


「……で、何だよ? 用件なら手短に話せ」


(しかも、なんか幸せそうにニヤけてるが……本当に気味が悪いな)


「ふふ、坊ちゃんに朗報ですよ」

「……朗報?」


 「朗報」という言葉にピクッと反応し、首を傾げるウィル。

大抵ジェフのいういい知らせというものは、そんなに大した事ないとみくびっていた。

 しかし今回はそうじゃない気がするような……と、執事の真意にどこか疑問を感じている。


「はい、このことですよ」

「…………!」


 ウィルの眉尻と心は、飛び跳ねるような動揺感が浮き彫りになった。

 だが、目まで泳いでしまうとジェフに見られ、内心喜んでいるのがバレてしまうと目に見えている。

 なるべく反応を見破られないよう、瞳の動きを静止している。


「えぇ、百合子様からお手紙が届いてますので。こちらに置いておきますね」


 ジェフは、冷静にサラッと説明しながら手紙を置いている。

 いつものように燕尾服の内ポケットから取り出す。

 机の上に差し出したのはもちろん、百合子から預かった白い用封筒と百合柄のシーリングを施した手紙のことである。

 あの美しい筆記体で書かれたブレス文字を見て、彼女の字だとすぐわかっていたことだ。


(やはり……。そうだろうなぁと思っていたけど、面倒くさいことになりそうだしな。ここは黙って返事だけにしておこう)


 それを見たウィルは、毎度のことだが内心喜んでも情を表に見せないと決めている。

 少しでも平常心と冷静さを保ちながらジェフに返事を告げる。


「……わかった、後で読む。また返事の手紙を書いたときは呼ぶ」

「かしこまりました。その時はお呼びくださいませ」

「……ッ」


 ウィルへの返事にニッコリと快諾するジェフは、笑顔を保ったまま彼の方へ向ける。

 これ以上見られると我慢の限界になり、視線を逸らせてそっぽ向いた。


(ふふっ、坊ちゃんは、やはりいつも通りの照れ屋さんですな)


 素っ気ない表情と返事をした時点で、ウィルが照れ隠しをしているのは明らかである。

 ジェフはもう既に見抜いていたので、どんな素振りをしていたとしてもとっくにバレていた。


「では、私からの用件はこれだけですので失礼しま……」


 百合子からの手紙を早く読みたいであろうと心情を見抜いていたジェフは、いつものように退室の挨拶をし終えようとした。

 ところが……。


「……ジェフ」

「は、はい?」


 今回も何故か、ウィルから不意に呼び止められてしまった。

 流石に百合子からの手紙を渡したのだから文句などは言われないだろう。

 そう思うも、ジェフはどうしても不気味に感じている。


(坊ちゃん……今度は一体何を……?)


 何を言われるのかわからないと、ジェフの緊張が段々高まる中。


「……いつも、ご苦労だ」


 少しの間が空いたものの、ウィルの口から労いの言葉をボソッと呟いた。

 執事にお礼を伝えるのが照れ臭く感じているのが、ジェフの今いる部屋の扉側へでも雰囲気が漂っている。


「は、はい。ありがとうございます」

「……」

「では、失礼します」


 無言になるということは、一人になりたいからさっさと部屋から去って欲しいのだろう。

 そう感じたジェフはお礼を伝えた後、素早く出ていった。


 ◇ ◆ ◇


 ——主人の部屋から出た後……。


(今日も坊ちゃんは相変わらずなところがございましたなぁ……)


 あの無言の間は、ジェフにとってかなり心臓が悪かった。

が、なんとか切り抜けて安堵する。


(それにしても……)


 廊下を歩いている最中、ジェフはウィルの持つ心境の変化に対して観察を振り返ってみた。

 百合子と出会う前と後を比較しながら思い返すと、ちょっとだけ違いがある。


(坊ちゃん、百合子様と会うようになってから、少しだけ心が明るくなったと言いますか……いや、丸くなったという表現が正しいのでしょうかねぇ)


 普段はジェフに対してお礼など、滅多に言わない。

 主人と共にすること、つまり執事は主人のサポートを担う仕事だということが当たり前であるからだ。

 ウィルが幼き頃からそう教えられて今に至る。


(それでも、坊ちゃんから自然とお礼を申し上げるなんて、私は嬉しゅうものです。坊ちゃんの力になれるのなら……私はいつでもお助けしますので)


 主人にとってその行為は、照れくさい部分が大きいかもしれない。

 だが、それでも感謝されることは嬉しいもの。

 そう思いながら、ジェフはふふっと笑みを浮かべ自分の仕事に戻るのであった。

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