五雲国側でも知る者はごく
大使の
「向こうではよく入れ替わって色々とやっているのでな。今回も頼み込んで代わってもらった」
「いや、代わってもらった、ではなかろう。そなた、王なのだぞ。軽々しく動くな」
「何をニコニコしておるのだ。私は怒っているぞ」
「うん。怒ってくれるのが嬉しいからな。心配してくれているのだろう。ありがとう」
榠樝は言葉に詰まった。
まだ抜き身である。
「太刀をしまえ、南天。うっかり傷でもつけたら困る」
「……御意」
不満気に南天が太刀を収め、けれど眼光は秋霜に突き刺さるようだ。
榠樝はやれやれと首を振る。
「それで。本当は何しに来た。私に逢いたいだけでは無いだろう」
「いや、本当に逢いたいから逢いに来たのだ」
けろりと秋霜は言ってのけた。
「逢って
もくもくと黒煙が湧きたつようだ。
秋霜は表情をいくらか改めて榠樝を見詰めた。
「求婚しに来た。虹霓国では
榠樝は頭を抱える。
「充分に伝わっている。だが私はそなたの妻にはなれぬと何度言ったらわかるのだ、秋霜」
秋霜はそっと切なげに吐息を零した。小さく、小さく。
南天の耳はそれを拾って、眉根を寄せる。
(本当に恋しいからってだけで来やがったなこいつ)
「道理を説いてもそなたには響かぬ。多少なりとも無理を押す必要があると思った」
「どこが多少だ。無理矢理すぎるぞ」
秋霜は首を振った。
「私の后になってほしい。
紫雲英は驚いて秋霜と榠樝を交互に見、南天は呆れたように目を瞬いた。
榠樝は揺らがない。答えは変わらない。
「
秋霜は溜め息を吐く。
いつでも立場が邪魔をする。
王の座が、国という
「榠樝、二人きりで話したい」
「駄目だ」
榠樝ではなく南天が答える。
秋霜は嫌そうに南天を振り返った。
「そなたには聞いておらぬ」
「主上をお守りする立場として、見過ごすわけにはいかねえんでね、異国の王様。あんた人目が無ければ手ェ出すだろ」
「いっそ人目が有っても構わんが」
冗談交じりに返した秋霜を刃物のような光が貫く。
鋭すぎる南天の眼光であるが、秋霜は無視した。
「榠樝」
秋霜が名を呼ぶ。
愛しさに溢れた声音で、柔らかく、優しく。
榠樝は溜め息を吐き、紫雲英が拳を震わせた。
「王を辞して、誰も知らない地へ二人で行かないか?そなたが居れば、私は何も要らない」
地位も立場も邪魔なだけ。
秋霜は思う。
ただの男と女であったら榠樝は応えてくれただろうか。
同じことを思って、紫雲英がごくりと喉を鳴らす。
否、と紫雲英は思う。願う、が正しいだろうか。
王であろうとする榠樝が好きだ。
より良い
榠樝を振り返り、紫雲英は泣きそうになるのを必死で堪えた。
「答えは変わらぬ」
紫雲英が何より好きな表情で。
凛として答える女王、榠樝。
「私は虹霓国の女王である。それ以外の私は私ですらない」
眩しくて、目が眩みそうだ。
秋霜もきっと答えはわかっていたのだろう。
諦めに似た微笑を浮かべ、ぐしゃりと前髪を掻き上げた。
「そなたと私が結ばれれば、二国は一つとなり新たな時代を築くことができるだろう」
秋霜は答えのわかっている問いを敢えて、問う。
「簡単な理屈だ。簡単なことなのに、何故拒む」
榠樝は首を振る。
「簡単なことだ。確かにな。二つが一つに。虹霓国を飲み込んで、五雲国は勢いを増す。それではならぬ。虹霓国を失うことになる」
「五雲国の財を惜しみなく虹霓国へ与える。自治を尊重し、君主としての地位もそのまま。それでもか」
榠樝は目を細めた。
「その問答は既にした。覚えているだろう。答も変わらぬ。そなたにそれだけの力は無い。五雲国朝廷は王の意のままに動かせるものでは無い」
淡々と、榠樝は言葉を紡ぐ。
その声は静かなのに、圧倒的な王の威厳に満ちていた。
紫雲英と南天が震えるほどに。
「どれほどの誓約があろうと、一方が力を持てばもう一方が従属を強いられる。大国となれば確かに繫栄が約束されるだろう。だが、
秋霜は泣きそうに笑った。
「愛している。傍に居たい。そなたを抱きたい。それだけのことがこんなにも難しいとはな」
榠樝は小さく吐息を零す。
「愛があればすべて上手くいく。そんな夢物語があったら良かったな」
「榠樝、そなたが欲しいものならすべて差し出す覚悟があるのに。この命でさえも」
榠樝は首を振った。
「命を捨てる覚悟があるなら、私を愛し抜く覚悟を持ってほしい。私を愛しているのなら、五雲国王として虹霓国を共に守ってくれ」
秋霜はくしゃりと顔を歪めた。
「
榠樝も顔を歪めた。
「私は逃げぬ。逃げることなどできぬ。私が私であるために、私は虹霓国の女王でなくてはならぬのだ」
「それは辛いことではないのか?」
優しく問う秋霜に、榠樝は首を振る。
「辛いこともある。だが、それでも。私は王として在りたい」
「そうか」
秋霜は顔を歪めたまま、笑う。
「ならば今回は私の負けだ」
「今回
榠樝だけでなく、紫雲英も南天も眉を寄せる。
「そう。今回は引き下がる。だが諦めないぞ、私は。五雲国を従わせ、次の王にも虹霓国を同盟国として尊重するように確約させる。その上でまた来る」
長い沈黙が落ちた。
「秋霜」
何とも言い
「それくらいのことを成せる男で無くば、虹霓国女王の婿に相応しくは無いのだろう?」
そっと榠樝の手を取り、唇を寄せる。
指先に触れるだけの優しい口付けを落として。
「待っていろ。必ず私を愛していると言わせてみせる」
「……………」
榠樝は口を開いて、また閉じて、首を振った。
「懲りないな」
「そうでなければ王などやってられるか」
今度こそ晴れやかに秋霜は笑って見せた。