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 五雲国ごうんこくの王、玄秋霜げんしゅうそうが身代わりを立てて虹霓国こうげいこくにやってきた。


 五雲国側でも知る者はごくわずか。

 大使の玄石斛げんせっこくも秋霜のことを従叔父いとこおじの薄雪だと思っているそうだ。


「向こうではよく入れ替わって色々とやっているのでな。今回も頼み込んで代わってもらった」

「いや、代わってもらった、ではなかろう。そなた、王なのだぞ。軽々しく動くな」


 榠樝かりんに叱責され、けれど秋霜は嬉しそうだ。


「何をニコニコしておるのだ。私は怒っているぞ」

「うん。怒ってくれるのが嬉しいからな。心配してくれているのだろう。ありがとう」


 榠樝は言葉に詰まった。

 紫雲英げんげが眉間の皺を深くし、南天なんてんが太刀を握る手に少し力を入れた。


 まだ抜き身である。


「太刀をしまえ、南天。うっかり傷でもつけたら困る」

「……御意」


 不満気に南天が太刀を収め、けれど眼光は秋霜に突き刺さるようだ。

 榠樝はやれやれと首を振る。


「それで。本当は何しに来た。私に逢いたいだけでは無いだろう」

「いや、本当に逢いたいから逢いに来たのだ」


 けろりと秋霜は言ってのけた。


「逢ってじかに口説こうと思ってな」


 唖然あぜんとしてしまった榠樝を他所よそに、紫雲英と南天が不穏な空気をかもし出す。


 もくもくと黒煙が湧きたつようだ。

 秋霜は表情をいくらか改めて榠樝を見詰めた。


「求婚しに来た。虹霓国では妻問つまどいと言うのだったか。文書ではちっとも伝わらないからな」


 榠樝は頭を抱える。


「充分に伝わっている。だが私はそなたの妻にはなれぬと何度言ったらわかるのだ、秋霜」


 秋霜はそっと切なげに吐息を零した。小さく、小さく。

 南天の耳はそれを拾って、眉根を寄せる。


(本当に恋しいからってだけで来やがったなこいつ)


「道理を説いてもそなたには響かぬ。多少なりとも無理を押す必要があると思った」

「どこが多少だ。無理矢理すぎるぞ」


 秋霜は首を振った。


「私の后になってほしい。しくは私が王を辞し、虹霓国に婿入りする」


 紫雲英は驚いて秋霜と榠樝を交互に見、南天は呆れたように目を瞬いた。

 賢木さかきは遠くで式神を通して観察している。


 榠樝は揺らがない。答えは変わらない。


いなと言った。私は虹霓国の女王である。五雲国王の后にはなれぬ。また、五雲国王はそなた以外では困る。そなた以上に虹霓国をぐうしてくれる王は居ないだろうからな」


 秋霜は溜め息を吐く。

 いつでも立場が邪魔をする。


 王の座が、国というしがらみが二人を隔てる。


「榠樝、二人きりで話したい」

「駄目だ」


 榠樝ではなく南天が答える。

 秋霜は嫌そうに南天を振り返った。


「そなたには聞いておらぬ」

「主上をお守りする立場として、見過ごすわけにはいかねえんでね、異国の王様。あんた人目が無ければ手ェ出すだろ」


「いっそ人目が有っても構わんが」


 冗談交じりに返した秋霜を刃物のような光が貫く。

 鋭すぎる南天の眼光であるが、秋霜は無視した。


「榠樝」


 秋霜が名を呼ぶ。

 愛しさに溢れた声音で、柔らかく、優しく。


 榠樝は溜め息を吐き、紫雲英が拳を震わせた。


「王を辞して、誰も知らない地へ二人で行かないか?そなたが居れば、私は何も要らない」


 地位も立場も邪魔なだけ。


 秋霜は思う。

 ただの男と女であったら榠樝は応えてくれただろうか。


 同じことを思って、紫雲英がごくりと喉を鳴らす。

 否、と紫雲英は思う。願う、が正しいだろうか。


 王であろうとする榠樝が好きだ。

 より良い為政者いせいしゃであろうと足掻あがく榠樝だからこそ、支えたいと思った。


 榠樝を振り返り、紫雲英は泣きそうになるのを必死で堪えた。


「答えは変わらぬ」


 紫雲英が何より好きな表情で。

 凛として答える女王、榠樝。


「私は虹霓国の女王である。それ以外の私は私ですらない」


 眩しくて、目が眩みそうだ。


 秋霜もきっと答えはわかっていたのだろう。

 諦めに似た微笑を浮かべ、ぐしゃりと前髪を掻き上げた。


「そなたと私が結ばれれば、二国は一つとなり新たな時代を築くことができるだろう」


 秋霜は答えのわかっている問いを敢えて、問う。


「簡単な理屈だ。簡単なことなのに、何故拒む」


 榠樝は首を振る。


「簡単なことだ。確かにな。二つが一つに。虹霓国を飲み込んで、五雲国は勢いを増す。それではならぬ。虹霓国を失うことになる」


「五雲国の財を惜しみなく虹霓国へ与える。自治を尊重し、君主としての地位もそのまま。それでもか」


 榠樝は目を細めた。


「その問答は既にした。覚えているだろう。答も変わらぬ。そなたにそれだけの力は無い。五雲国朝廷は王の意のままに動かせるものでは無い」


 淡々と、榠樝は言葉を紡ぐ。

 その声は静かなのに、圧倒的な王の威厳に満ちていた。


 紫雲英と南天が震えるほどに。


「どれほどの誓約があろうと、一方が力を持てばもう一方が従属を強いられる。大国となれば確かに繫栄が約束されるだろう。だが、。今でなくとも、いずれ消し去られる。歴史が証明しているだろう。譲歩は出来ぬ」


 秋霜は泣きそうに笑った。


「愛している。傍に居たい。そなたを抱きたい。それだけのことがこんなにも難しいとはな」


 榠樝は小さく吐息を零す。


「愛があればすべて上手くいく。そんな夢物語があったら良かったな」

「榠樝、そなたが欲しいものならすべて差し出す覚悟があるのに。この命でさえも」


 榠樝は首を振った。


「命を捨てる覚悟があるなら、私を愛し抜く覚悟を持ってほしい。私を愛しているのなら、五雲国王として虹霓国を共に守ってくれ」


 秋霜はくしゃりと顔を歪めた。


非道ひどい女だな、本当に。このまま攫って逃げてしまいたい」


 榠樝も顔を歪めた。


「私は逃げぬ。逃げることなどできぬ。私が私であるために、私は虹霓国の女王でなくてはならぬのだ」

「それは辛いことではないのか?」


 優しく問う秋霜に、榠樝は首を振る。


「辛いこともある。だが、それでも。私は王として在りたい」

「そうか」


 秋霜は顔を歪めたまま、笑う。


「ならば今回は私の負けだ」

「今回?」


 榠樝だけでなく、紫雲英も南天も眉を寄せる。


「そう。今回は引き下がる。だが諦めないぞ、私は。五雲国を従わせ、次の王にも虹霓国を同盟国として尊重するように確約させる。その上でまた来る」


 長い沈黙が落ちた。


「秋霜」


 何とも言いがたい表情の榠樝に一歩近付いて、秋霜は手を伸ばした。


「それくらいのことを成せる男で無くば、虹霓国女王の婿に相応しくは無いのだろう?」


 そっと榠樝の手を取り、唇を寄せる。

 指先に触れるだけの優しい口付けを落として。


「待っていろ。必ず私を愛していると言わせてみせる」

「……………」


 榠樝は口を開いて、また閉じて、首を振った。


「懲りないな」

「そうでなければ王などやってられるか」


 今度こそ晴れやかに秋霜は笑って見せた。


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