その日、
「あの方、
曙草は紫雲英がお気に入りらしい。
何度かその名を口にしている。
「年齢も近しいことですし、良き友になれる気がしているのです」
「こちらに来ることは、難しいかと思います。彼は
「残念です。見せたいものも話したいことも、たくさんあるのですよ」
茶壺を取り、曙草が手ずから凍星の茶杯に茶を注いでくれる。
「さ、召し上がれ」
「頂戴します」
曙草はふわりと柔らかく微笑んで、己の茶杯を干す。
茶に加えられているのは柑橘系の果皮だろうか。
爽やかで心が落ち着く香だ。
だが曙草は少し不満気に唇を尖らせる。
「茶の質が落ちておりましてね」
「
曙草は首を振る。
「とてもとても。常ならばもっと匂いやかで甘く、且つ苦みもある良い茶葉なのです。しかしながらこのところは不作が続いていまして」
凍星は目を細めた。
「もしや、雨が少ないのですか?」
「ええ。良くお解りになりましたね」
「私がこちらに来てから、雨の日は極端に少なく思います。虹霓国と比べてのことかと思っておりましたが、やはり常よりは
曙草は苦く頷いた。
「ええ。本来なら五雲国にも雨期があるのです。ですが今年は……。虹霓国は雨に困ることは無いと聞きました。本当でしょうか」
凍星は思案し、言葉を選ぶ。
「
「聞き及んでおります。女王陛下が祈られて、まるで奇跡のように雨が止んだそうですね。
凍星は静かに頷いた。
「王族には及びもつきませぬが、虹霓国の官ならば雨乞いには長けております。陰陽師や
「なんと!すぐにも王に申し上げます。願っても無いことです」
曙草は勢い込んで頷いて。
凍星の手を取って頭を下げる。
「今や五雲国全土と言っても良いだろう広域で、旱魃が続いているのです。是非ともお助け頂きたい」
「そんな簡単に
虹霓国使節団として派遣された神部のひとり、
「ここは異国。しかも我らは王族ではなくただの神職でございます。ここは五雲国。祈りを捧げる神も違えば、祈りの言葉も儀式の手順も虹霓国とは違いましょう。安請け合いされては困るのです」
確かに。
だが。
「こちらの王からも是非にと頼まれてしまったのだ。無理でも頼む」
凍星は素直に頭を下げた。
木綿花はがりがりと頭を掻いて溜め息を吐く。
「月白
五雲国王、玄
それ程に五雲国では旱魃が酷いということなのだろう。
「そも、こちらの神は何処に
「雨の神に願うのだから、天だとは思いますが、好みもわかりませんしね。どの
「いや、五雲国で神の声は聞こえなくなって久しいというが、異国の我らが聞いたとして、果たして応えてくれるのだろうか」
神職たちが額を寄せ合って真剣に話し合っている。
神祇官の総勢十人。
神部の
虹霓国使節団の正式な人数は二三人である。
八千草と小菊の二名のみが女性だ。
大傅、長官、次官の三名と神祇官が十名。そして陰陽師が十名。
ここまでで二三人。
さらにそれぞれの者が、幾人かの雑色を従えているので、それなりに多い。
役所がそのまま派遣されたと思えばいいだろう。
ちなみに凍星は全員の顔と名とを覚えて居るという。
「神祇伯さまや陰陽頭さまなら簡単かもしれぬが……」
「いやいや、主上の祈りには敵いますまい。あれほど龍神に愛された王も居ないのでは」
「とにかく算段を立てよう。まずは神部が神の声を聞く。卜部は良い日取りを定める。陰陽師が邪気を祓い、巫覡が楽と舞を捧げる。ひとまずこれで行こう」
「問い掛けに応えて貰えることをまず祈りましょう」
「そうですね。なるべく瘴気の薄い地に行きたいところですが、その辺
「聞こえてなくても祭祀くらいはしてるだろう。その場所を借りるのが一番効率的なのではないかな」
「ああ、
「ところで誰と誰が行く?全員とはいくまい」
額を寄せ合っていた者たちが一斉にくるりと振り返り、凍星を見た。
「何だ」
目を
「大傅さま、ご承知かと思いますが、康安で雨乞いはたぶん無理ですよ」
久利が続けた。
「瘴気が強過ぎます故、我ら程度の力では掻き消されてしまいます。この王宮を出れば、可能性は少し増すかもしれませぬが」
「旱魃地域への旅となりますと、かなりの
そこまで考えていなかった。
凍星は少しだけ、ほんの少しだけ視線を泳がせる。
「五雲国王が良きように取り計らってくれるだろう」
「護衛はつくのでしょうか。我ら使節団に武官は居りませぬ」
そういえばそうだった。
凍星は額に手を当てる。
五雲国に配慮して、武官の派遣は見送ったのだった。
「どうしようもない場合は私が護衛を務めよう」
「大傅さまに護衛させるって、どんだけですか」
柊が顔を引き攣らせ、久利が目を覆った。
実際、虹霓国使節団の中で一番の腕利きは凍星だろう。
弓も太刀も、人並み以上には使える。
並の武官よりも上である。であるが……。
「流石に護衛無しということはあるまい。民草でも遠出する時には護衛を雇うと聞いたぞ」
「まあ、それだけ物騒ってことですよね、五雲国」
「怪異の類いで無く、脅威は人であるのだがな」
「一人で出歩くと追い剥ぎに遭うと言われましたよ」
「身包み剝がれるくらいならまだいい。奴婢として売られると聞いたぞ」
「裏路地に入ると八つ裂きにされて、饅頭にされて喰われるって話、聞いたか?」
「老女の私ならばともかく、小菊など危なっかしくて。王宮の中でさえ一人歩きはさせたくないですわ」
「八千草さま、心配し過ぎですよ」
「怪異であるなら、我らにも対抗手段はあるのですけれどねえ。人となりますと……」
「護衛に頼るしかないな」
神祇官たちは揃って溜め息を吐いた。
虹霓国では縁の無かった心配である。