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 藤花の宴が終わり、更衣ころもがえが行われた。

 四月一日。

 今日よりは、暦の上では夏である。


 御前定の後、榠樝かりんはちらと関白蘇芳深雪すおうのみゆきに目を遣った。

 深雪は頷き、咳払いをする。


「本日は更にひとつ、主上おかみよりお話があられる」


 勿体ぶった仕草で居並ぶ公卿を一瞥し、深雪は榠樝に向かってこうべを垂れた。


「では、お願い致しまする」


「うむ」


 榠樝は少しだけ、居心地が悪そうに視線を揺らし、けれど高く宣言した。


「本日より王配のくらべを執り行うこととする」



 前触れは無かった。


 突然の宣言に、清涼殿せいりょうでんは大いに揺れた。




 飛香舎ひぎょうしゃ

 ここは、今や榠樝の側近たちの溜まり場のような有り様になって来ている。


 榠樝が居ても居なくても。

 いつでも誰かが訪れて、賑やかで騒がしい。


「しかし私に一言も無く王配の競べを始めるとは」


 菖蒲紫雲英あやめのげんげが鼻息荒く拳を握った。

 この間、碁の勝負の時にはそのような素振りは一つも無かったのに。


 それとも見落としたのだろうか。

 己の不甲斐なさに、紫雲英は苛立ちを隠さない。


「せめて一言あっても良いだろう。主上も水臭い。山桜桃ゆすらも怒っておったぞ。何の相談も無くお決めになられた、と」


 堅香子かたかごが苦笑する。


「紫雲英どのは、今はもう妻のある身。競べに関係はございませんでしょう」


「候補で無くとも関係はある。私は主上の一の臣であるのだからな」


 堅香子が勢いよく片眉を跳ね上げた。


「それ、わたくしの前でおっしゃいます?一の臣はわたくしですわ!」


 藤黄茅花とうおうのつばなが笑う。

 懐かしい遣り取りだ。


「まだやってるんだ、それ。進歩無いなあ」


「お前には言われたくない」

「あなたに言われたくありませんわ!」


 二人の声が重なった。

 堅香子は息つく間もなく畳み掛ける。


「大体あなたも最早候補からは外されておりますでしょう。何だってノコノコこんな所にまで顔を出しておりますの。仕事なさいませ。北の大宰府にお戻りなさいな」


 茅花は大宰少弐として、意外にもまめまめしく働いている。

 そして先日、めでたく北の方を迎えた。


 もう少し待っていれば、と思わないことも無いが。

 茅花は目を細めた。


 かつて榠樝に恋い焦がれた気持ちに、嘘は無い。

 けれど、茅花では届かないことも思い知った。


「俺だってかつての婿がねだったんだから、顔を出すくらいいいじゃん。懐かしい面子ばかりだし……そうでもないか」


 月白六花つきしろのりっかがぺこりと一礼する。


「若輩者ではございますが、この度競べに加わらせて頂くこととなりました。宜しくお願い申し上げます」


 縹笹百合はなだのささゆりがそっと目をすがめる。


「こんな顔をしているが、六花は中々の曲者だ。紅雨こううどのもうかうかしていると出し抜かれるよ。気を付けなさい」


 蘇芳紅雨すおうのこううが驚いたように六花を見る。


「まさかお前、私の文を握り潰したりなどは……」


 紅雨が口元を引き攣らせ、六花が顔を顰めた。


「致しませんよ、そのような。きちんとお渡し致しましたのでご安心ください。笹百合さまもお人が悪い。誤解を招くような物言いはお止めください」


 不満気な表情の六花に、笹百合が苦笑する。


「何が誤解なものか。私が重ねて言い置かねば、私の文もろとも無かったことにするつもりだっただろう」


「何を根拠にそのような」


虎杖いたどりどのより聞いている」


 笹百合がすぱりと言い切れば、小さく舌打ちが聞こえた気がする。


「……弟の恋路を邪魔するなど、酷い兄ですね」


 笹百合は艶やかに微笑んで。

 六花は貼り付けたような笑みで応じる。


 激しい火花が散る様子に、紅雨が歯噛みした。


「笹百合どのも六花どのも、表立って正々堂々と勝負をしろ。裏で動かれては困る」


 笹百合がくすりと笑った。


「相手の困ることをするのが勝つ秘訣ですよ、紅雨どの」


「だから、そういう所がだなあ!」


 紫雲英が咳払いをした。


「とにかく、此度こたびも私は一から十まで主上のお味方だ。心得て置くように。既知の仲だといって手助けはせぬ」


 紅雨が冷ややかな目を紫雲英に向けた。


「主上が女東宮の頃からまるで変わらぬだろう、それは」


 紫雲英の眉間に皺が寄った。

 つん、と顎を上げて宣言する。


「お前は特に助けてやらぬ。助言も無しだ」


「そ、それはどうかと思うぞ!この中で一番主上に近しいのはお前なのだから、それは卑怯ではないか?」


 慌てる紅雨に、けんもほろろに返す紫雲英。


 喧喧囂囂けんけんごうごう。煩いことこの上ない。

 全く、今をときめく貴公子たちが揃いも揃って、なんとみっともないことか。


 堅香子が目を細めた。


「懐かしいですわねえ、この感じ」


「だね。昔に戻ったみたいだ」


 堅香子と茅花とがほのぼのとした会話を交わし、六花が笹百合を見た。


「当時から、このように喧しかったのですか?」


「そうだね。ここに山桜桃どのが加わって、堅香子どのが張り合って。君の兄上の虎杖どのと、花時どのも居て。ふふ、今よりずっと騒がしかったかもしれないね」


 六花がふ、と睫毛を伏せる。


「主上も」


「うん?」


「主上も懐かしいと思われるのでしょうね」


 少しだけ悔し気に六花は呟く。

 その時、そこに居られなかったことが、残念でならない。


 あの時の六花はまだ子供で。

 身体も弱く、皆の足枷でしかなかった。


 そう。

 五雲国ごうんこくからのはかりごとに利用されるほどに。

 弱く小さかった。


 だが、今は違う。

 虹霓国使節団大輔たいふとして五雲国に赴いている父凍星いてぼしから、の国のありとあらゆる情報を得て。


 今や虹霓国一、五雲国に精通している官ではないだろうか。

 表向きのことから口に出せないたぐいのことまで、すべて。


 凍星が可能な限り書き送ってくれる。


「主上は何よりも虹霓国のことを思っておられる。故に一番有益である者を選びましょう。私がそうであると内外に示さなくては」


 六花が胸を張り、笹百合が目を眇める。

 だが紅雨が先んじて言った。


「思い上がりもはなはだしい。主上のことを一番想っているのは私であり、また一番に主上のお役に立てるのも私を措いて他に無い!」


 紫雲英が眉間を押さえ、堅香子が溜め息を吐き、茅花が笑う。

 六花は笹百合を窺った。


「昔からこうなのですか?」


 笹百合は頷いた。


「変わらないね」


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