話が終わると、王子はスイを抱き上げて部屋を出ていった。
それに対してイラっとしながら、自由に使っていいと言われたこの部屋で大きなため息をつく。
この世界では、スイを怒らせなければならないのに、前の世界みたいに、スイを喜ばせてしまった。
今まで散々怒らせようとしたのだが、どれもスイは怒るというよりかは悲しんでいる。
あの男を殺しても、スイが怒らないのだとしたら、いよいよ打つ手が無くなる。
しかし、ここまでくると不安になっている暇は無い。必ずそれでスイが怒るだろうと確信して行動しなければならない。
失敗することを考えるな、そう自分に言い聞かせる。
薬の効果が切れるまでの三日、姉達がナイフを持ってきて来るまでの三日、変な動きは起こさないでおこう。
ただ、三日後に上手くナイフを受け取れたとしても、王子を殺しに行けるとは限らない。後でこの城の中を案内でもしてもらうか、勝手に探索するか。痛む足を我慢しながら歩き回ることはしたくないのだが、万全を期すためにはしょうがない。
とりあえずは王子の部屋の確認と、夜の城内の警備体制の確認をしなければならない。
ひとまず自身のやることを決めたアオ、後は王子がどのような動きをしても対応できるように心を落ち着ける。
まだ日は高いが、感情が動きすぎて疲れてきたアオは、見るからに寝心地がよさそうなベッドに身体を沈めるのだった。
その日の夜になると、アオは部屋を抜け出して長い城の廊下へ出てきた。夜になると城の中も閑散としており、波の音が微かに聞こえるようになる。
見回りなどはいないのかと確認しながら、昼間教えてもらったトイレまでの道を進む。できればこの世界のトイレは使いたくないのだが、そう言ってはいられないのがもどかしい。
城の廊下には灯が無く、動くためには暗闇に目を慣らす必要があった。アオの場合は片眼しか無いということで、暗闇の中の移動はより一層注意が必要だった。
用を足し終えた後は慣れてきた、右眼を頼りに城の中を散策する。もし見つかった時には、トイレに行った後、部屋の場所を忘れたと言えば問題無いだろう。
少し進むと、城の窓から月明かりが入って来る場所へやって来た。確か、海からスイを見た時にはここら辺だった気がする。
アオが自由に使える部屋から、王子の部屋はあまり離れていないと推測する。
あの時、使用人がスイを連れて来る時の時間を考えるに、それ程離れていないと予想しているのだ。詳しく聞いていないが、スイは王子の部屋の近くで寝ているらしい。アオがあの使用人に連れてこられたのは朝だから、スイも起きてから間もなかっただろう。
そこまで考えてはたと気づいた。再び怒りが湧き上がる。
今日のあの二人の様子、あの男を助けたのがスイということが分かった後の距離感、間違い無くスイとあの男は一緒に眠っている。
怒りに任せて音をたてないように、この一日でかなり鍛えられた精神力で耐える。今すぐ王子の部屋に向かい、殴り殺してやろうかと考える。
しかし王子の部屋が分からないため、幸いにもアオは動けなかった。
城の中は驚くほど静かで、見回りの者がいる気配は無い。それ程までにこの世界は平和なのだろうか。
とりあえずこの調子なら、当日王子を殺すのに支障は無さそうだ。
後は王子の部屋を探すだけだが、それはまた明日だ。
次にアオが向かったのは、あの海の中まで続いている階段だ。
誰もいない城の中を歩いて、あの階段まで向かう。
相変わらず痛む足を冷やすのもいいかもしれない。そんなことを考えていると、波の音に交じって人の声が聞えた。
この聞くだけで不快になる声の持ち主、聞きたくないが、嫌な声程よく聞こえてしまうものである。
間違い無くあの男がいるのだろう。一人で喋っている異常者ならまだ救いはあるが、当然のようにスイと一緒にいるのだろう。
見つからないうちに部屋に戻るか、それとも姿を見せるか悩む。二人でいるのなら、あの男を海に突き落とすことができるかもしれない。三日後を待つ必要なんて無く、殺すことができる。
突如やって来たチャンスを逃す訳にはいかないと決めたアオは痛む足を堪えながら階段を下りる。痛む足に耐え兼ねてバランスを崩し、あの男諸共海に落ちようという算段だ。
下りていくと、案の定スイもその場にいた。
アオの足音に気づいた二人、スイは海の中に脚を浸して、その隣では王子が立っていた。
「こんばんは」
「君は……」
そういえばアオは名乗っていなかったことを思い出す。こんな男に名乗りたくはないが、不信感を抱かさないためにも名乗るべきだろう。
「アオといいます」
あからさまに痛む足に耐えてますといった風に、一歩一歩階段を下りる。
「そうか。君達二人は、その名の通り色をした綺麗な瞳を持っているんだね」
(気持ち悪いなあ。でもスイのことに関しては同意)
「そうなんです、スイなんて全てが綺麗で美しいんであっ――」
ここで作戦通り、バランスを崩して、階段から落ちるように倒れる。その先にいた王子は、アオが階段を下りる様子を見て備えていたのだろうか、見事にアオを支える。
アオは王子諸共落ちるつもりだったのだが、意外にも王子の身体はがっしりとしており、アオが落ちるように倒れたところでビクともしなかった。
「大丈夫かい⁉」
驚いた声を上げる王子の隣では、スイも慌てた表情を浮かべていた。
「ごめんなさい、助かりました」
(ちっ、ドロップキックにしとけばよかった)
この作戦は失敗だった。