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第83話

「お腹減った、パンもう一度温めてよ」

「じごーじとく!」


 アオの要望にアサリナはそっぽを向く。


 あの後、パンが冷めて固くなった頃にようやくアオはアサリナの名前を呼ぶことができた。


「アサリナ」

「もー仕方ないなぁ!」


 魔法で焼き立てのように温めなおされたパンに齧りつきながら、アオは冷たい目をアサリナに向ける。


 これから先、無理難題を押し付ける時に名前を呼べばいいのだろうと便利な気もするが、反対にことあるごとに名前呼びを強要されそうな気がするのだ。


 この流れが一時的なものであればいいのだが、もし仮に続けばどちらに転ぶのか、いまいちよく分からないアオである。


 食事を終えても、まだ寝る時間には早い。風呂に入ろうかと思ったが、その前にアオは仙術の修業をしようとする。


 町中の宿のため、風や水など、失敗して周りに被害がでるものはできない。だからアオがするのは、この先一番必要になる姿を消す術だ。


(ねえ、動きながら姿を消すのって難しくない?)

『慣れぬうちは難しいじゃろうの』


 仙人と話すのも随分と久しぶりに感じる。


『今は姿を消しておるのか?』

(同時にするのはまだ無理)

『それなら、同時に使う修業からはどうじゃ? 動きながら姿を消すのも、姿を消しながらわしと話すのも変わらんじゃろう』

(やってみる)


 アオは目を閉じて集中しようとする。


「姿消すから、消えてなかったら言って、ていうか合図して」


 姿が消えているかどうかはアサリナに見てもらう。


「…………」

「ねえ」

「ふーんだ」

「…………」

(なるほど、そうきたか)


 アサリナは名前を呼べと言いたいのだろう。早速面倒な流れになった。ここで折れて名前を呼んでしまうと、今後その流れが当たり前になってしまう。それなら、アオのとる行動はただ一つ。


 ――なにも言わずに姿を消す。


「なんでー‼」

(姿を消すって、自分で確認できる方法って無いの?)

「あ、見えた」

『鏡を使うのはどうじゃ?』

(集中するとき目、閉じちゃうんだけど)

『なら、まずは目を開けたまま自由に消す修業じゃな』

(なるほど、分かった、やってみる。この世界に鏡があるかは知らないけど)


 アオは頬を膨らませるアサリナを無視して鏡を探す。ソーエンスにある魔法使いの塔でも見なかった気がするのだが、その時は鏡を意識をしていなかったため、記憶は定かではない。


 部屋を見渡し、洗面所も確認する。無い。


 それならばと、鏡の代わりになるようなものを探す。しかし、ただの町の宿だ。反射する物があっても鏡として使える物は無い。


「無いか」

「なに探してるの?」

「鏡」

「あー、鏡ねー」


 意地悪く笑ったアサリナが革袋を手に取る。


「あるよ」

「あっそ」


 名前を呼んでもらおうと思っているのだろうが、革袋は二つあるのだ。アサリナに頼らなくとも自分で取ることができる。


 早速アオは自分の革袋を使って鏡を取り出そうとする。しかし鏡がどこにあるのかは知らない。


 それでも心配はいらない。ルドベキアに用意してもらえばいいのだ。


「ルドベキアー!」

「もー!」

そしてまたルドベキアの名前を呼んだことで不機嫌になるアサリナ。


 しかしルドベキアからの返事は無い。


「ねえ! ルドベキア!」


 それでも返事はない。それから何度か呼びかけたところで――。


「アオのバカー‼」


 いよいよアサリナが怒りだしたため一時中断する。


「それよりも、返事が無いことの方が大変じゃないの?」

「どーせ忙しいだけでしょ‼」


 アサリナは革袋から取り出した手鏡を持って怒る。


 機嫌が悪くなったアサリナが手鏡を持っている。ルドベキアは連絡がつかず、なにかあったのかと思ったが、アサリナの言葉から別に緊急事態ということではなさそうだ。そんな状況でアオが取るべき行動は一つだった。


「鏡、貸してほしいから貸して。……アサリナ」

「むぅー……」

「アサリナ。鏡、貸してくれない?」

「……しょーがないな」


 渋々といった様子で手鏡を渡してくれる。


「ありがと」


 半分閉じかけた目でアサリナを見るアオである。


 そして気を取り直して早速修業をすることにする。


「……あたし、お風呂入ってくるね」

「うん」


 なにか言いたそうだったが、アオが集中しようとしたのを見て大人しく部屋から出ていくアサリナであった。

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