アオは鏡に映る自分の姿を見ながら集中力を高める。じっと、反射する自分の姿を見て、ただ集中する。
(おっ、消えた)
鏡から自分の姿が消えたことに喜び姿を現してしまう。
(一喜一憂してたらダメだ。これを当たり前にしないと……!)
普段から仙術の扱いが苦手なアオは、上手く使うことができると喜んでしまう。そういった感情の起伏が仙術の扱いが苦手なことに繋がっているのだが、感情の起伏が激しいタイプなため、こればかりは使えることに慣れるしかない。
(もう一度)
再び鏡を見ながら姿を消す。なにも感考えずにただ鏡を見つめ、しばらくして姿を現す。
(そうじゃないんだよな)
目を開けたまま姿を消すということはなんとなくできるのだが、視界情報は無いに等しい状態だ。これでは目を閉じているのと変わらない。
(できる人って、どうやってるの?)
『どうとは、どういうことじゃ?』
(いや、姿を消したまま動くことができるんでしょ? でもそれって意識が姿を消す以外にも使うってことだよね?)
『ああ、そういうことか。それはじゃな、全ての意識を一定にするんじゃよ』
(意識を一定に……?)
アオには仙人の言っていることが上手く理解できない。
(どういうこと?)
『碧は術を使う時、その術を使うために集中するじゃろ?』
(する)
姿を消す術を使う時、アオは意識の全てを、姿を消す術を使用することに向ける。そのために集中するのだ。だから目で見て情報を獲得する、話すなど、少しでも違うものに意識を使えば術が解けてしまう。
『意識の段階が十あるとするじゃろ? 碧は術を使う時にその十全てを使っているんじゃよ』
(そういうものじゃないの?)
『そういうものなんじゃが……他の者は術を使うための集中を一で術を使うことができる。じゃから残りの九で動いたり話したり、他の術を使うことだってできるんじゃ』
(訳分かんない……)
アオの言葉に仙人が困ったように唸る。できる者からすればどうってことの無いことだが、できない者にすればややこしいのだろう。今の例えも、なんとか説明するために考えたものだ。
『そうじゃな……、走りながら、周囲の状況確認はできるじゃろ?』
(うん、まああできる)
『そんな感じじゃ』
(えぇ……、なんとなく分かるような……分かんないような……)
『繰り返し修業するしかないの』
最後は投げやりになってしまったが、要するに慣れなのだ。ただ、感情の起伏が激しいアオには難しいだけということだ。
(だよね……分かった、ありがとう)
そうしてアオは仙人との話を終える。
再び鏡を見て姿を消す。
しかしすぐに考えごとをしてしまい術が解ける。そしてまた姿を消すことに意識を集中させる。それを繰り返していると、不意に思いついた。それはこの世界に来て間もない時のことを考えていた時だ。アオは仙人と話しながら歩くことができていたのだ。
あの時の状況はもう覚えていないが、その経験があることで、アオの中で一つの案が浮かんだのだ。
(今まで姿を消すことを一番にしてきたけど、それを変えたら……!)
姿を消した後で考えごとをしてしまい術が解ける。それなら、考えごとをしている最中に姿を消せばどうだろうか。
早速思いついたことを実践してみようとするアオであったが――。
「アオはお風呂入らないのー?」
その時、風呂に行っていたアサリナが戻って来たのだ。
「あー、じゃあそろそろ行こうかな」
この修業法なら、風呂に入りながらでもできると思ったアオは素直に頷いた。
「分かったー」
自分のベッドにボンっと倒れ込んだアサリナは、なにも言うことなく静かなままだ。さっきまでのやり取りを引きずってまだ拗ねているのだろうか。
一度寝て機嫌が戻ってくれるといいのだが、もし機嫌が悪くて明日の移動に支障が出ると困ってしまう。今のうちになんとか機嫌を戻してもらいたい。
これも修業の一環だとアオは割り切り、アサリナの名前を呼ぶことにする。
「アサリナ」
するとアサリナはピクリと動く。もぞもぞと動いた後、首だけをアオに向ける。薄紫の髪から覗く、宝石のように透き通った紫の瞳がアオに向けられる。
名前を呼ばれたことで反応はしたがまだ拗ねているらしく、胡乱気な眼差しで、なに? と問いかけてくる。
「お風呂、どうだった?」
「………………別に」
「そっか」
「……………………」
「……………………」
そしてしばらくの間、二人の目は合ったままだ。
会話をしながら姿を消してみようかと思ったが、アサリナが返してくれないため姿を消すことができない。
使える話題が無い。とりあえず風呂に入ってこようと立ち上がるアオ。
「入ってくる」
着替えの入った袋を持ってアオは部屋を後にするのだった。
風呂にやって来たアオは自身の服装を見て思う。
(この先、あの服装じゃマズいよね?)
あの服装とは、魔法使いセットのことだ。確かに性能はいいが、これからは魔法使いだとバレるとマズい場所に行くのだ。そんな場所で、如何にも魔法使いな服装をすることは自殺行為だろう。
一応、あの服を見てそれが魔法使いだと連想するかは分からない、という逃げ道もあるが、そんな博打のようなことはしたくない。
この後部屋に戻ってアサリナに聞いてみようと、会話の話題を一つ手に入れたアオは服を全て脱ぐ。
幸いにも風呂には誰もおらず、姿を消していても騒ぎになることはない。
この世界には、最初の世界にあった、捻れば温かいお湯の出てくる設備など無い。元の世界でもそのような物はなかったし、なんなら滝で身を清める的なものだったため気にはしていない――はずだった。
「水道は通ってても、やっぱシャワーとかそこら辺のやつは無いんだよね」
魔法使いの塔では、魔法や魔道具でそれらに匹敵する物があるが、こんなただの町ではそういった物は期待できない。
「一緒に入った方が良かったかも……」
人がいなければ、アサリナと一緒に入って魔法でどうにかしてもらえばよかった。
もうアサリナは入ったばかりでどうしようもないから我慢して、アオは大きな桶に溜められたお湯を、傍らに置いてある、片手で持てる大きさの桶で掬って身体にかけていく。
これがシャワー代わりの物だ。この次はシャンプーとボディソープの代わりなのだろうただの石鹼で全身を洗うだけだ。
髪がギシギシにならないか心配だが、恐らくこれを使ったであろうアサリナの髪は特に問題なさそうだったので躊躇いなく使うことにする。
全身を洗い終えたアオはお湯に浸かろうと、そこそこ大きな湯船にやって来た。人が十人は入ることができるだろうか。この世界の技術レベル的にお湯が汚れているのではないかと思ったがかなり綺麗で、汚ければそのまま部屋に戻ろうとも思っていたアオは遠慮無く浸かることにした。
「はあぁぁ……」
肩まで湯に浸かると、思わず声が出てしまう。大きく伸びて身体をほぐしたアオは、修業のことなど忘れてしばらくこの心地良さに浸っていた。
そうやって心地良さに揺られていると頭に浮かぶのは、翠との、かけがえのない時間の記憶だった――。