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第85話

「見ててね! 翠を驚かせてあげるから!」

「私はいつも碧の突拍子のない行動に驚いているわよ」


 日の沈んだ夜の世界で、等間隔に並べた松明の火を前に碧が手を広げていた。今の碧は、やる気が火のように燃え盛っていた。


「いやいや、今回のはそれよりももっと驚くことだよ!」

「これ以上驚かすと流石に𠮟るわよ」


 そんなやる気に満ちた碧の声とは正反対の抑揚の無い声で翠は言う。その表情や声音からは感情を感じられないが、ただ感情の起伏に乏しいだけで感情自体は持っている。


「今回は大丈夫‼」

「それを言うのは何回目?」

「憶えてない!」

「私も。数えるのを止めたわ」


 宝石のような碧い瞳が碧に向けられる。


「感情の起伏が激しい碧が仙術を使うのは無理。これも何度言ったか憶えていないわ」

「それ!」


 翠の言葉を聞いていない碧は松明に灯る火を大きくした。なにをしようとしているのか分からないがいつもの如く失敗。火は爆発的に大きくなり、辺り一面を真昼のように照らした。このままではここら一帯が焼け野原になってしまう。翠はそんな火を上空へ打ち上げる。火の龍が、まるで滝昇りをするかのようだった。


「ほら」

「なんでぇぇ‼」


 やはり失敗した碧は地面に身を投げ出す。その隣に腰を下ろした翠が碧の顔を覗き込む。


「何度言っても聞かないのなら、もう言っても意味が無いわね」


 碧の夜よりも黒い烏羽色の髪を手の中でサラサラ流しながら、呆れたように言う翠。その中に、愛おしさが含まれていることは、碧にしか分からない。



(確かあの後から、わたしが火を使った仙術を使おうとしたら、問答無用で翠に消されたんだっけ)


 少し苦いが、それでもがかけがえのない、愛おしいものだ。


 今ならもう少し上手く使うことができると、謎の自信が湧いてくるアオ。そういった自信が湧いてくる限り、仙術を使えるようになることは無いのだが、今のアオはそれに気づかない。


 そんな記憶を思い出すのに意識を使ってしまい、姿を消すことを忘れていた。姿が消えているかどうかは分からないのだが、そもそも姿を消す術を使うという意識すら無かったのだから間違いなく消えていない。


 今度は忘れないようにしようと、湯に反射する自身の姿を見るアオ。


 鏡を使わず、最初から桶に水を溜めて鏡のようにすればよかったのだ。


 どうでもいいようなことを考えながら、ふと思い出したように姿を消してみる。


 上手いこと姿が消えたが、やはり頭では姿を消すことしか考えていなかった。


 (あ、いけた?)


 そう思った瞬間姿が見えてしまたったのだからこれは確かなことだった。


「アオー? だいじょーぶ?」


 アサリナの声が聞えたような気がするが、それに構わずアオは姿を消す。


「あれぇ……? もう上がったのかなぁ? いやでもまだ服はあったし……もしかして⁉」


 そんなアサリナの声は聞こえず、アオの意識を塗り替えたのは、突如バシャンっと音を立てた湯船だった。


「アオ‼」


 意識が塗り替わった直後、そんな声と一緒に肩に手がかけられる。


「だいじょーぶ⁉」

「え、なに? 急に……なに?」


 少し頭を揺らしながら答えたアは、目の前にいるアサリナの顔を観察する。


 随分と焦った様子だったが、どうやら繰り返しているうちにかなり時間が経っていたのだろう。心配をしたアサリナが様子を見に来てくれたらしい。


「帰って来るの遅かったから……それであたし心配して……」


 今にも泣きだしそうな声音でアサリナは話す。


「お風呂覗いても姿が無かったから、もしかして溺れてるんじゃないかって、それでっ、あたし……!」


 そこまで言われたのならアオも理解する。


「なるほど……ごめん。でも、大丈夫だから。流石にのぼせてきたし、もう上がる」


 純粋に心配してくれたアサリナに、こっちを見るな、なんて言えない。だけどいつまでも自分の身体を見せたく無いアオは立ち上がって出ようとする。


「待って、危ないよ」


 ふらふらと身体を揺らすアオを慌てて支えに向かう。


 目の前が徐々に暗くなり胸になにかが込み上がる感覚がして気持ち悪くなってきたアオ。頭は痛いし回らないし、身体は思うように動かないため抵抗できず、大人しくアサリナに支えてもらうのだった。


 そこからの記憶は曖昧で、多分アサリナに背負われて部屋まで戻ってきたアオ。


 アオの気がつくと、アサリナが魔法で出した水の玉がシャボン玉のように漂い、アオの目の前にやって来た。


「ちょっとずつでもいーから飲んで。うぅ……服乾ききらない……」


 魔法を使って乾かしたのだろうが、まだ乾ききっていない服をどうしようかと右往左往するアサリナを他所に、アオは水を少しずつ飲んでいく。冷たい水が体を内から冷やしてくれる気がした。


 もう目の前は暗くないし、気分が悪いのも治まった。それでもまだ少し頭はボーっとするが。


「アサリナ……来て……」

「え? あたし濡れてるんだけどー……なに?」


 やって来たアサリナに、少し体を起こしたアオが手をかざす。


 意識を全て集中できる訳ではない。今のアオは特に考えず、アサリナへの礼をしなくてはならないということしか考えていなかった。感情を動かす気力すら無い状態で、アオは自分の力を半ば無意識に使う。


 アサリナの服を濡らす水だけを使う。あの時、翠に見せようとした火の花を咲かせようとした時のように、今度は水の花を咲かせる。


 やがてアサリナの服から出た水が、その場で小さな花を咲かせる。


「わぁ……きれー」


 小さな花がアサリナを囲うように咲き、すぐに姿を失って落ちていく。


 床を濡らしてしまったが、アサリナの服はもう、濡れていなかった。

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