魔法使いの塔の中は、その見た目からは想像できない程広い。だがそれはそこに住む魔法使いしか知る由は無い。
ソーエンスの街の中心にある魔法使いの塔には、街に住む人々や、その周辺地域に住む人々からの依頼窓口が存在している。地上から塔に入ると、カウンターで仕切られた窓口になっている。
そこでニゲラは、やって来た二人の若い男の話を聞いて、青い髪から覗く黒い瞳を細める。
その鋭い瞳に映るのは、目の前にいる男たちに対してではなく、ようやく本性を現した山賊に対してだ。
もう日が暮れているし、ラグルスとクレピスはスズメを追い返すために出払っている。
今動けるのは、丁度依頼を終えた自分と、ルドベキアだろう。
「ありがとうございます。ここからは、僕達魔法使いに任せてください。すぐに山賊の駆除へと向かいます」
そう言って、やって来た男を帰したニゲラは、今は誰もいない旨を伝える紙を貼り、カウンターの奥へと入って行くのだった。
塔の中の螺旋階段へやって来たニゲラは、ルドベキアの部屋へと向かう。
ルドベキアは相変わらず、木彫りのドラゴンを作っている。間違いなく暇をしている。
「ルドベキア、遂に山賊からの人的被害が出た。手伝ってくれ」
「……なんだと?」
ニゲラの言葉に顔を跳ね上げたルドベキアは理解しがたい物を見るような表情を浮かべていた。
「どんな被害だ?」
「馬車ごと奪われたらしい。経緯は……、山道で倒れていた少女と、それを助けようとしていた少女。その二人を助けようと馬車を降りて近づくと、そのまま締め落とされた。そして目が覚めると馬車が無くなっていた。あと少しだけだが、身に着ける物も無かったらしい」
「なんで今になってそんなことをしているんだ……?」
「山賊に考えを期待すること自体無駄だろう。それよりも、さっさと向かおう。人的被害が出たんだ。行商人達が不安がっている」
そう言うニゲラの動きに迷いは無く、いつでも出られるよう準備も終えている。
ルドベキアはそれでも、なぜ今頃になって山賊達が人的被害を出したのかについて考えを巡らせる。人的被害と言っても、怪我をさせたということではなく、気を失わさせて馬車を奪うという行為だ。今までは馬車の荷物を盗られていただけなのだが、ここにきて馬車自体を盗られたのだ。その目的はなんなのか、しかしそれを考える暇は与えてくれなかった。
「なにをしている。そこまで気になるのなら捕らえて吐かせればいいだろ」
「……それもそうだな。てっきり、ニゲラは山賊を皆殺しにするのかと思ったがな」
「あんたがここまで考え込んでいるんだ。殺すのは止めた」
ニヤリと笑いかけるルドベキアに肩をすくめて返す。
「そうか。じゃあ、山賊は全員生け捕りだ」
「全く。無茶を言う」
「できるだろ? まさか、できないとは言わないよな?」
分かりやすいルドベキアの挑発に、ニゲラはズレた眼鏡を直して答える。
「僕を舐めるなよ」
目が覚めると窓から入ってきた薄い光が部屋を照らしていた。
どうやらあの後眠ってしまっていたらしい。
恐らくアサリナがかけてくれてくれたのだろう毛布から抜け出したアオは、徐々にクリアになって行く意識と共に昨日の記憶も思い出す。
(確かのぼせた後、濡れた服を乾かしてあげるために……)
「あぁぁぁぁぁぁ‼」
「うわぁなに⁉ ラグルスのげんこつが降ってきたの⁉」
飛び起きたアサリナが訳の分からぬことを言いながら見回す。
賑やかな朝を迎えるのだった。
「昨日、わたしあんたの服乾かしたよね?」
「……また名前呼んでくれない。そーだけど、きれーだったよ」
アオの問いかけに、不貞腐れたアサリナが答える。二人は今、宿で用意されていたパンとスープを部屋で食べている。
アオはご飯を食べるのも忘れた様子で、その時の詳しい事情をアサリナに聞く。アサリナは渋々ながら全ての質問に答える。
「先にご飯食べよーよ」
そんなアサリナの言葉は聞こえない。アオは今、アサリナの話と合わせ、その時の自身の意識の変化を思い出していた。
昨日から続く扱いの雑さに不満が溜まっているアサリナは、パンを無理やりアオの口にねじ込んだ。
「ままもふふほ!」
「いーから早く食べて出発するよー!」
仙術を使えたのだから、その時の状況を考えることは大切だが、それは移動しながらでもできることだ。今は早く食べて早く用意をして、祭壇を目指さなければならない。
「分かってるけど! あの感覚を思い出さないと」
「思い出すって言ったって――」
そこまで言ってアサリナが考え込む。そういった感覚が大丈なのは理解できるしなにより、アオの気の済むまで考えさせてやらないと、どうせ先に進まない。
アオはやはり手が止まっており、考え込みながらも朝食を食べているアサリナとは違う。その様子を見て、アサリナは気づいたことを口にする。
「食べながら考えるとかー? ほら、似たよーなこと言ってたよねー?」
「言ったっけ? ……まあ試してみるか」
それを試そうとして、アオはもっと単純なことに思い至った。
この世界の自分には、相談のできる相手がいるではないかと。
(昨日、仙術使えたみたい。よく憶えていないんだけど)
『なんじゃと……⁉』
アオは簡潔に昨日のことを説明した。
仙人もまさかそのような状況で使ったのかと大層驚いていたが、仙術を使えたことに関してはなにか納得した様子だった。
『通常アオの容量十だとするじゃろ? そのアオが仙術を使う時には、その十全てを使わなくてはならん。そして今回の場合、意識が朦朧とすることにより、十ある容量が三にまで減ったんじゃ。本来十入るものが、三までしか入らん。その分集中力はいつもよりも少なくてもいいんじゃな。じゃから、その時は使えたんじゃのう』
(じゃあ今は十に戻ってるから――)
『昨日よりも集中力は必要になるのう』
(なにそれ、訳わかんない)
ホッホッホと、仙人は笑い声をあげる。
『修業を頑張るしか無いのう』
(それしかないか……)
仙人との会話がひと段落して、アオはパンに齧りつく。
パンはまだまだ残っている。話している間、手が止まっていたのだろう。
仙人の言葉で少しばかり混乱したアオは食べることに集中するのだった。