「じゃー、そろそろ出発しよっか」
朝食を食べ終えてからすぐに、アサリナは出発しようと言う。アサリナよりもアオの方が急ぐ気持ちがある。仙人に相談したせいで余計に混乱してしまい、時間を無駄にしてしまったのが悔しい。
勿論だと頷いたアオとアサリナは足早に町を出て箒で飛んで目的地を目指す。
これから箒で飛べない地域まで向かう。その前に一度休憩を挟む予定だ。
朝の空気を全身に浴びながら、アサリナは気持ちよさげに言う。
「んー、朝の空気って良いよねー」
「そうなの? 別になんとも思わないけど」
「そうなのー。もー」
不満そうな声を漏らすアサリナの後ろで、流れる景色に目を向ける。
空中をこんな速さで飛ぶなんて、今思えばかなり貴重な経験だ。そんな貴重な経験をしながら見える景色を今のうちに目に焼き付けようとアオは思った。そして、全てが終わった後、翠に話をするのだ。
巡った世界の話を。
ただ、その中でも唯一言いたくないことがある。それに、今でもその時を思い出すと、この世界でスイに会うのが怖くなる。
愛する人に向けられた殺意。
この世界でのスイはなにをしているのだろう。そうすると考えたくもないことを考えそうになったアオは頭を振り、景色に集中する。それでも、アオはいい訳のように頭の中で考えてしまう。
あれは『怒』の世界のせいだ。その世界の性質上、スイはアオに殺意を向けざるを得なかったのだと。
最初の世界は『喜』の世界、翠を心の底から喜ばせなくてはならなかった。そのために、翠に嫉妬され、別れを切り出されそうになった。元の世界の翠なら、そんなことにはならない。感情の起伏が少なくても、感情が無い訳ではない。そんな翠と何年も共に過ごし、あんな状況になったことは無かった。
だから、翠がどういった人間になるのかは、その世界に由来するのだろうと今は思う。
元の世界でも、嫉妬してくれるのなら大歓迎だが、そんなことしてくれなくても互いに愛し合っているのは明らかだ。
だから『怒』の世界も、その感情を解放するために、そういった感情を抱いてしまうスイがいるのだ。
そうでなければならない。
アオは想像してしまう。全ての感情を集め、目が覚めた翠の顔が殺意という憤怒に染まり、自分の首に手をかける姿を。
そんなことは無い。そう自身に言い聞かせるが、想像は止まらない。
この世界ではどうだ。スイを見つけたとして、そのスイが自分に暗い感情を抱くかもしれない。
そんなことを考えてしまったせいで、冷たい風が身体の内にまで入って来て、アオの心臓をいつでも切り刻めるぞと撫でていくような感覚を覚えてしまう。
「アオ? だいじょーぶ?」
そんなアオは、額を触られたことで我に返る。
目に前には不安気な表情を浮かべるアサリナの顔があった。
どうやら考え事の不安が顔に出てしまっていたらしい。それに気づいたアサリナが箒を止めてくれたらしい。
足が浮く程度には浮いている箒に乗った状態のアオを、箒から降りたアサリナが心配をしているという図だ。
「うん……大丈夫」
「酔ったとかー?」
大丈夫と言っても心配される。アサリナから見てアオは大丈夫には見えないのだろうか。鏡が無い、確かめようにも確かめられない。
「まー、もうそろそろ姿消さないとダメな場所だから、休憩しながら、作戦会議でもしよーよ」
「うん、そうする」
アオは素直に頷く。今の精神状態で姿を消せと言われても、すぐに考えてしまいすぐに術が解けてしまうはずだ。
魔法使いの塔には、ラグルスとクレピスの二人しかいなかった。
昨日スズメを追い払った後、塔に帰って来た頃には、ルドベキアとニゲラはいなかった。
なにか急用が入ったのだろうと言うことは容易く想像できるが、朝まで帰ってこないとなるとさすがに心配をしてしまう。
「別に騒ぎがおきてねえから、やべえヤツと戦ってるってことは無いだろうけどよ、せめてなにをしているのかぐらいは教えてほしいよな」
「はい……心配です……」
ラグルスは朝食が口に入らないらしく、掬ったシチューがスプーンから零れる。
その様子を見て、クレピスは眉尻を下げる。普段は素っ気ない態度をとったり、辛辣なことを言うが、なんだかんだラグルスはみんなのことが大好きなのだ。
「でもまあ、あまりにも遅くなるんだったらルドベキアが連絡してくれるだろうし、それがねえってことはもうじき帰って来るかもよ」
それはラグルスも知っているだろうが、口に出して言うことで安心できることだってある。だからクレピスは敢えてそれを言う。
ラグルスはそれを聞いて安心したように微笑み、シチューを食べる。クレピスのやったことは効果があったようだ。
「食べ終わったらさ、二人の分のメシも作ってやろうぜ!」
「はい、そうですね。イモしかありませんから、街へ買いに出かけましょうか」
そうすれば、二人が帰って来るまでの時間潰しにもなる。
別に急ぐ必要は無いのだが、目的がそれ以外しか無ければどうしても急いでしまう。それに、もし緊急の依頼が入ればそっちに回らなければならない。
だからラグルスは急いでシチューをかき込む。
すると――。
『二人共、帰ってるか?』
二人の右耳近くからルドベキアの声が聞こえた。
二人の右側には誰もいない。ルドベキアが空間を繋げて声だけを届けているのだ。
まさか遅くなるのだろうか? そんなことを考えながら、クレピスは答える。
「ああ、帰ってるぜ」
『おう、それなら良かった。頼みがある。飯の準備をしてほしい』
それにはラグルスが返す。
「丁度その話をしていました。もう帰って来ますか?」
『そうか、それなら良かった。じゃあ二十三人分用意をしてほしい』
「「は?」」
自然な流れで言ったが、なにがどうなって二十三人分用意をしなければならないのか。
疲れて言った冗談か、ルドベキアとニゲラが空腹すぎるため、二十三人分のご飯を作れという意味なのだろう。
「そんなにハラ減ってんのか?」
「疲れていますよね……?」
すると返って来たのはルドベキアではなくニゲラの声だった。
『確かに空腹だが、そんなに食べられないし、冗談でもない。客だ』
「……マジか」
「…………」
聞えたニゲラの声音が、これが嘘ではないことを証明する。
そして黙ったラグルスとクレピスに、ニゲラが困惑気味に声をかける。
『どうした……?』
「……しかねえ……」
『無理にとは言わないが――』
「やるしかねえ‼」
「そうですね‼」
ニゲラの声を遮り、クレピスが力強く、ラグルスが覚悟を決めて言う。
「ラグルス! 残った食材は‼」
「全部イモです‼」
「だよな‼」
二人のテンションから察するに、もうなにを言っても無駄だろう。
ニゲラとルドベキアの声が無くなったことに気づいていないラグルスとクレピス。しかし気づかなくても問題無いのだ。二人はもう二十三人分の食事を作ると決めているのだから。
いつ帰って来るのか分からないが、ルドベキアのことだ。こちらの出来具合を見て帰って来るだろう。そういう意味では余裕はあるが、客人を待たせるつもりは無い。
イモはまだまだ残っている。だが、客人にイモばかりの料理とはいかがなものと、一瞬だけクレピスは考える。
「ラグルス! 肉と野菜! 買ってきてくれ‼」
「分かりました‼」
任せろと、ラグルスは走って街に出る。
それを見送る余裕も無いクレピス、早速今ある材料で作れる料理だけ作り始める。